ネガティブ・フレンドシップ

図書館で彼女を見つけたとき、その、異様な迫力に声をかけそびれた。
参考書を何冊も積み上げた机の前で、背を丸め、指でなぞり読み、比較し、書き留め、思い詰めたような真剣な顔つきで考えに耽って、その間、静かな黒い瞳はまじろぎもしない。新たに一冊、手に取ると、迷いもなく、頁を捲り出す。一瞬の隙もない、激しいまでの集中ぶりに、スネイプは気圧された。
近づいても、気づく様子がなかったので、「おい」と声をかける。すると、まるでさっきまで水の中で息を止めていたみたいに、はっと顔をあげた。

「え?」
「最近、姿を見せないと思ったら、ここに入り浸っていたのか」
「そう、うん」

彼女はどこか上の空だ。やがて、地上での生活をじわじわと思い出したかのように、「スネイプ? なんか、久しぶりだね」とスネイプがよく知る、隔たりのない、優しげな笑みを見せた。

「随分、熱心なんだな」

開いて置いてある本の頁をなんとなく覗き込んだら、彼女が慌てた。「あー、なんか、あれ」と、とっさに口を動かし、スネイプの気を逸らそうと試みる。机の上に覆い被さるように身体を伸ばし、手元の本や書きかけの羊皮紙を寄せ集め、閉じて、重ねていき、整理していく。
隠したいなら無理強いするつもりはないが、大半のそれは背表紙にも題名が書いてあるし、その題名だけで、内容の大体がわかるようになっているものだ。ほとんどが魔法界の生物種に関する専門書のようだった。
意地悪で指摘してもいい。しかし、「昼食空いたよね、お腹食べに行こう」とめちゃくちゃなことを口走っている彼女を見ると、それも気の毒な気がした。

「昼食の時間はとっくに終わったぞ」
「また食べそびれた」

残念そうに言うので、スネイプは自分の教科書が入っている鞄の留め具に指をかけた。

彼女が中庭に現れなくなって、数週間が経っていた。合同授業などで顔を合わせる機会があれば、さりげなく挨拶してくるので、スネイプが気づかぬうちに彼女の気分を害した、というわけではないだろう。
ただ最近、忘れがちになっていたものの、自分たちはグリフィンドール生とスリザリン生だ。闇の魔術に近しいスリザリンの生徒を嫌がり、憎む人間が、彼女の周りはとくに多かった。
それでも彼女自身が今さら、気にするとは思えず、スネイプはさらに考えた。隣でスネイプがどんなに怪しい本を読み込んでいても尊重するように、彼女の交友関係を親か兄かのように心配する友人たちの思いを、根が真面目な彼女は尊重したのではないか。
そんな彼女を、自分は尊重するべきなのかもしれない。
そして、きょうになって、食事の時間になっても彼女だけが大広間に現れないことに気がついたのだ。
「あ、そうだ」と彼女が声を発した。横の席に置いた自分の鞄から、すでに一度、開封しているお菓子の箱を取り出した。

「クッキーならあるけど、スネイプも食べる?」
「箱ごと持ち歩いているのか」
「最近、こうやってつい夢中になって、食事を抜いちゃうことが多いから、いつでもなにか食べられるようにって、リーマスが鞄に色んなお菓子を詰め込んでくるの」

生暖かい友情を見せつけられ、辟易するが、彼女の表情は思いもよらず、暗い。友人の過保護気味な思いやりに微笑んではいるが、油断すれば、いまにも泣き出しそうだった。

「スネイプ、あの、実はね……」
「ああ」
「実は、友だちがすごく困ってる、かもしれなくて」
「うん」
「それで……」

そこで言い淀み、緊張している様子の彼女に、スネイプも固唾を飲んだ。
お互い無言のまま、沈黙が流れる。ふいに、彼女のほうが、ほっと息をついたので、気が変わったのだと察した。

「ねえスネイプは、どんなときに、友だちがいてよかったって思う?」
「僕に友だちがいるとは知らなかった」
「そこからかあ」

ここにいるじゃない、と自分がいる場所を指差し、苦笑を浮かべる彼女を横目に、スネイプは自分の鞄を持ち直した。
食器が下げられ、大広間に残っているのは雑談する生徒たちだけになっても現れない彼女はどこかでお腹を空かしているかもしれないと思い、念のためにとっておいたマフィンをわざわざナフキンに包んできた自分が、いまとなっては居た堪れなかった。鞄の中のそれは結局、行き場をなくしたのだと悟り、途方に暮れた。ここにはいない、非常に勘に触るだれかに、慣れないことをするからだ、と揶揄されているような気分になった。
友情や仲間など、ひとりではなにもできない者たちの綺麗事だと見下し、散々、馬鹿にしてきたくせに、今さら輪に入りたくなったのかい?
スネイプの惨めな気持ちを嗅ぎつけて、分をわきまえろ、と嘲笑ってくる。
まさか。スネイプは心の中で自嘲した。見当違いも甚だしかった。
僕は、僕から離れていく相手を、差し入れひとつで、あわよくば取り戻したかったのだ。利己主義でひどく打算的な偽善行為だ。
頭に拍手が響く。耳障りな声が歓声をあげている。さすがだよ、その狡猾さは立派なスリザリン生だね。
彼女が音を立てないように、箱からお菓子を取り出そうとしていた。

「いま、少し食べるから、バレないように見張ってて」
「いいけど、早くしろよ」スネイプの声に苛立ちが滲む。
そもそも図書館に篭るなら一言くらい、声をかけてくれてもいいじゃないか。そんな文句が口から出かけるが、彼女を責めるのはただの八つ当たりだとわかっていた。

「私、チョコレートが入ってるこれが一番好き」

そう言って、午後の授業に遅れないように身の周りを片付けながらお菓子をつまもうとして彼女は、片付けに意識が偏りすぎたのか、反対の手に持っていた本のほうを口に運び、そのまま噛りついた。
「あっ」自ら驚き、自分の歯に指で触れる。痛い、と悲しげに呟くと、ころっと表情が変わって、スネイプに向かって恥ずかしそうに、くしゃりと笑った。「間違えた」
一部始終を見ていたスネイプの口から、「ぐっ」と息とも声ともつかない音が漏れた。
顔を手で押さえ、逸らす。息を止め、腹の底に力を込める。スネイプの異変に気づいた彼女が、さらに照れくさそうにする気配があった。

「いまの、そんなに面白かった?」
「お、まえ、だっていま、思いっきり……」
「顔、なんで隠すの? 笑ってくれてかまわないよ」苦笑を浮かべたまま、彼女が申し訳なさそうに言う。
「間違えるか、ふ、普通……」
「あ、見て、本に歯型ついちゃった」
「ぶっ、くく……」

なにがこんなに可笑しいのか、自分でもわからない。さきほどまで身体の中で淀んでいた空気が、ふわふわした軽やかなものに変わり、肺から溢れてくる感じだ。
我慢しようとすればするほど、腹がよじれた。目に涙が滲む。
「スネイプのツボがわからないよ」と困っていた彼女も、「その本にチョコレートは入ってないぞ」というスネイプの震える声に、堪えきれず、「あはは」と楽しげに声をあげた。
小さな世界は、確かに色づきはじめていた。


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