僕らは愚かな生き物だ

どう抗っても傷つけてしまう、どうしても。
まるで大切なレポートでもふたつに破くように、相手の心をゆっくりと引き裂くような感触だ。
顔が強張ってしまい、それすらも相手を傷つけてしまうのではないかと慄き、いつも俯くことしかできない。

「ずっと好きだったんだ」

そう言われても、彼女が揺さぶられることはなかった。今回はとくに、名前と、自分より年上だということくらいしかわからない男子生徒が相手である。フルネームを知ったのも本当についさっきで、告白される直前だった。
返事は決まっている。しかし、どう伝えれば良いのか迷っている間に気まずい沈黙が流れて、ますます言い出しづらくなる。ため息のひとつでも吐きたくなるが、この場面でそれは絶対に誤解させてしまうことくらいわかっている。

相手に言われて、彼女は先に教室を出た。
先輩の男子生徒は、彼女の謝罪に苦笑を浮かべていた。そう、自分は結局、謝ることしかできなかったわけだ。
「返事は期待していなかった。卒業する前に想いを伝えたかった。これで満足だ」
強がりには見えなかったが、余計な気遣いは彼を傷つけるだけのような気がして、面白いことなどなにもなかったが、相手が笑っているのだから、と彼女も微笑むほかなかった。
さきほどの一連のやりとりや、居た堪れぬ空気を無意味に思い返しながら、とぼとぼと談話室へ戻る。途中、西向きの廊下でシリウスの後ろ姿を見つけ、声をかけた。が、すぐにそのことを後悔した。
億劫そうにシリウスが振り向く。背の高い身体がずれると、そこに泣いている女子生徒が現れたのだ。状況は大体、予想できたが、声をかけてしまった手前、黙って立ち去ることもできず、固まる。すると、シリウスが先に、「よう」と声をかけてきた。
「あ、うん」何事もなく声をかけてくるシリウスに、戸惑う。泣いている女子生徒の様子が気になるが、じろじろ見ては失礼だと思い、視線がシリウスから逸れないように集中させた。
「寮に戻るんだろ? 行こうぜ」
「え、え、でも」反射的に女子生徒を見てしまい、慌ててシリウスに戻す。
「話はもう済んでるから」
シリウスは、な? と泣いている女子生徒に同意を求めた。その態度に思いやりがないので、彼女は居心地が悪かった。
目元を拭っているだけで、相手の反応はなかったのだが、シリウスは女子生徒の横を素通りして、先に歩きはじめていた。

「大変そうだね、シリウス」
「この時期はな。もう慣れたけど」

外は、青葉の時期だ。夏が過ぎれば彼女たちはまたひとつ、学年が上がる。ここを去る最上級生は、卒業を目前にして、焦ったかのように心残りを消費していこうとしていた。
たとえば好きな相手に想いを伝えるとか、だ。ある意味、卒業記念のようだ。恒例行事化している。
「正直、面倒臭いよな」
並んで談話室へ向かいながら、シリウスが耳の上の髪をうるさそうに掻いて、言った。
「最後だからって、言ったほうはすっきりするかもしれねえけど、付き合わされるこっちは」
「シリウスは、うん、大変だと思う。毎年、数がすごいから」
「モテる男はつらいぜ」
「見た目に騙されるんだね、みんな」
「お、い」
扉をノックするみたいに横から頭をこづかれて、笑う。自分でも驚くくらい、ふにゃ、とした情けない笑い方になった。
仕方がない。シリウスは本当に、諦めたみたいに、息を吐く。
「仕方がないよな。まあ、さっきの子だって、卒業したら、俺のことなんてすぐに忘れるんだ」
涙の匂いが鼻先に蘇る。
「忘れちゃうのかな」
「そのくせ、好きなだけ泣いて、泣かれると、こっちが悪者みたいだ」
「悪者……」
「だって、そうだろ。俺には、あの子を慰められない」
そこではじめて、ほんの一瞬だったけれど、シリウスの作り物みたいな綺麗な顔がつらそうに歪むのを見た。「それはまた、別の人間の役目なんだ」
そうだね、と彼女も囁くように答えた。それ以外、なにが言えただろう。


「だから、だれが?」

名前を告げるが、彼女は、怪訝そうな表情のまま、首を横に振る。僕だって知らない、とスネイプはぶっきらぼうに言い返した。僕だって知らない、けど、上級生だと思う。昼食のあと、大広間を出て行けかけたところでルシウス・マルフォイに呼び止められて、言付けを頼まれたのだ。
「ルシウス先輩の友人だという、その人が、おまえと話したいそうだ。きょう、五限目が終わったあとで西塔の屋上に来てほしいんだと」
自分で伝えればいいではないか、と思うが、ルシウスの口調は上品だが、ほとんど命令形だったのを思い出す。スネイプの返事など、はなから期待していない様子は、同寮の先輩後輩という立場以上に、彼がいる社会的な高みを明らかに感じさせた。煩わしいが、反抗すればもっと面倒臭いことになるので、従うほかない。

「その、ルシウス先輩のお友達は、私にどんな用事があるの」半ば不安そうに彼女が訊ねてくる。
「おまえがルシウス先輩って呼ぶな」
「マルフォイ先輩の友人は」
「気があるんだろう、おまえに。告白でもされるんじゃないか」
「私に?」
「物好きだ」
「本当だね」

彼女の素っ気ない反応に面食らう。ただの軽口のつもりだったが、気を悪くしたのかと思い見ると、彼女は上の空で、むしろスネイプの言い草は気にも留めていないようだ。
「とにかく、五限のあとだぞ。西塔の屋上。間違えないで、ちゃんと行けよ」
彼女はしかし、きっぱりと、「行かない」と宣言した。口を一文字に結んで、意思の強そうな顔をしている。
「行かない?」
「行かないよ、そんな、呼び出された相手もわからないのに」
「相手が待ちぼうけを食うじゃないか」
「いいよ」
「よくはないだろ。ルシウス先輩にも迷惑がかかる」
「スネイプはちゃんと私に伝えたよ。でも、私は、行かないことにしたということで」
「行くだけ行って、嫌なら断ったらいい」
彼女は頑なだ。「行かないったら、行かない」と首を横に振り、「なんでだよ」とスネイプが追及すればするほど、手の打ちようがないほど頑固になる。
「行かないってば」
「わかった。じゃあ、僕も一緒に行くから。それなら、どうだ」
彼女は耳を塞いでた手を下ろし、恐る恐るといった感じで、スネイプを窺ってきた。
「スネイプったら、マルフォイ先輩のことが好きなんだね」
「普段、世話になっているし、敵に回したくないだけだ」
「世渡り上手なんだ……」
しばらく考え込んでから彼女は、「よし」と勇ましく頷いた。
「わかった、行くよ。でも、ちゃんと一緒に来てね」
「ああ」


午後の授業をすべて終え、陽が傾きはじめたころ、スネイプは彼女と落ち合い、ルシウスに言われたとおり西塔へ向かった。あとはこの、屋上に続く階段を上っていくだけだ。

「嘘ついたの、スネイプ」
「大きな声を出すな」
「スネイプが嘘ついたもん」

もん、ってなんだ、もんって。子どもじゃあるまいし。細い肩を怒らせ、身体の横で両手に小さな拳を作っていても、迫力など微塵もないが、怒っている彼女は珍しかった。いよいよ、その場にしゃがみ込んで、一歩もここから動くまいと全身で拒絶する姿は、やはり店内でお菓子を強請る小さな子どもと変わらない。
階段下まで来て、「僕はここまでだ」とスネイプが立ち止まったとたん、だった。彼女は、悲劇的なショックを受けたみたいに一瞬、打ち拉がれた。嘘つき、と騒がれて、通行人の好奇に満ちた視線がスネイプの背中に突き刺さる。
「上まで一緒に行けるわけないだろう」
「一緒に来てくれるって、約束したよ」
「だから、ここまで来たじゃないか」
「上まで来てよ、隣にいてよ」
そんな野暮な真似できるわけがない。甲羅に籠った亀みたいになっている彼女を、どうすれば説得できるのかと頭を抱える。
「もしかしたら」彼女が呟いた。
「私が自分でも気づかないうちに落し物をしていて、拾った相手が渡したいだけかもしれない、屋上で」
「見知らぬ男子生徒が人気のない場所に異性を呼び出すんだ。僕でもこの先の予想がつく」
彼女は、頭を横に振った。
「変だよ。私は相手のことを知らないんだかや、相手だって私のこと、なにも知らないはずなのに」
「そういう経緯を、いまから聞かされるんだろ……」
刻一刻と迫る約束の時間に焦らされながら、そこでふと、口を噤んだ。
思い返してみると、きょうの彼女はずっと変だった。スネイプの知っている彼女なら、たとえどんな相手だろうと、人の気持ちを無下になどしない。敵意を向けてくる相手の話にも熱心に耳を貸しそうなのに、自分への好意を嫌がる理由が、わからない。普通は嬉しいものではないのか。「なにがそんなに嫌なんだ」
「相手がどんな人でも、私は好きじゃない。好きにもならない」
だから、と彼女は泣きそうな声を出した。「だから、私はこのまま上に行っても、相手を、傷つけることしかできない」
スネイプは呆れて、思わず肩を落とした。「それがどうした、告白して、振ったり振られたりなど、よくある話ではないか」と言ってやりたかった。
でも、と思い直す。むしろ、すべてが腑に落ちた気分だった。
彼女はやはり、たとえ初めて名前を聞いた相手のためだろうと、立ち止まる人間なのだ。所詮は他人の気持ちを、汲み取って、汲み取って、いっぱいになって、座り込んでいる。
面倒臭いと思う。そして、優しすぎると思う。
たまらないのは、そんな優しさに甘えていたのは、彼女をこんなところに座り込ませているのは、自分も同じだということだ。
スネイプは、自分のひざを抱えている、彼女の手を取った。

「もういい」
「え」
「戻ろう」
「で、でも、スネイプがマルフォイ先輩に」
「もういいって」

彼女の手を引っ張る。前につんのめりそうになりながらも、彼女がなんとか立ち上がる。手を繋いだまま、廊下を引き返す。とりあえずまわりの視線が気にならない場所まで行くつもりだ。

「僕が悪かった」
「え、え?」
「もういいんだ」
「あ、の、ごめん、私……」
「おまえは悪くない」

おまえは悪くない。その言葉が彼女の胸に響き、痺れるような余韻が広がる。

……どうしてだろう。

「私は、悪くないの……?」
「相手は待ちぼうけを食うことになったけど、それは僕がおまえの手を引っ張っているせいだし」

スネイプはぐんぐん歩み、引っ張られる腕が痛いくらいだった。
人の手を握る強さの加減も知らない、不器用なこのひとは、どうしていつも、私の欲しい言葉をくれるのだろう。
彼女は、スネイプの後ろ姿を見つめた。
私もいつか、こんな自分を好きだと言ってくれた人たちのように、だれもいない教室に置いていかれるのだろう。考えただけで、胸が引き裂かれそうだ。
いつのまにか自分のものより大きい、彼の手を握り返す。いまは足を動かして、一生懸命、その背中を追いかけた。


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