その笑顔は反則だから

ほかの男子に向けられる、困り果てた曖昧な笑顔が無意識だったら、僕は嬉しい。

僕たちは友だちだけれど、彼女にとって友だちは、なにも僕たちだけではない。その相手が女子だろうと男子だろうと、なにもおかしなことはないが、ただ、彼女が男子生徒と話しているのを見かけるたびに僕は、なにもできない自分を慰めなければならなかった。

「なぁ、リーマス」

談話室の、暖炉に一番近い肘掛け椅子は、彼女のお気に入りの場所である。いつも膝を抱えるようにして座り、そうすると小柄な身体がさらに小さく見えて可愛らしいのだけど、飲み物を飲んだり、本を読んだりする。
きょうはそこに、男子生徒が一緒だった。僕たちよりふたつ、上級生の彼は、彼女に近づくと、彼女が読んでいた本を馴れ馴れしく取り上げ、本の内容を確認したあとで、彼女に向かってなにやら熱心に語りはじめたのだ。

「なあって、……リーマス?」

彼女は終始、戸惑っている様子だったが、相手があまりに熱心なため、無下にもできず、耳を貸さざるを得ない。上級生の男子生徒が肘掛け椅子とセットの足置き台に腰を落ち着かせ、ふたりの距離がさきほどよりぐっと近くなる。

「おい! リーマス!」
「え、は?」

すぐ近くで聞こえた声に驚いて振り返ると、シリウスが神妙な顔でこちらを見ていた。同じ机を囲っていた、女子生徒ふたりもだ。
自分の世界から急に我に返った僕は、彼女たちがいったいだれなのか、なぜ同じ机にいるのか、一瞬ではわからなかった。

ジェームズとリリーが交際を始めて以来、僕たちの周辺はかなり変わってしまった。ふたりが離れるのはトイレと風呂のとき、あとはジェームズがクィディッチの試合に出場しているときくらいなのではないか、と言われていたほどなのに、そのジェームズがいまはリリーにべったりなのだから、自然とフリーになったシリウスは、前にも増して異性にモテた。これ以上、モテることはないだろう、と思っていたのに、自分で自分の最高記録を塗り替えたのだ。
こうして見知らぬ女の子と一緒に宿題をする機会が増え、なぜか僕も一緒にいるわけだけど、シリウスを取り合わないための暗黙の了解なのか、女の子は日毎に入れ替わり、僕には相手の顔と名前を覚えきれそうになかった。いまのところ全員、きちんと把握しているシリウスは、さすがだというほかない。
「そんなに気になるなら、あっちに混ざってきたらどうだ」とシリウスが僕のほうに顔を寄せてきて、小声で言い、暖炉のほうへ目配せする。焦ったそうに唆してくるシリウスの整った顔を見つめていると、僕の口から、気怠いため息がつい漏れた。
そんな簡単に言わないでくれシリウス、と心の中で呟く。きみはなにも知らないんだ。
「ねえ」と今度は、僕たちの向かい側に座っていたふたり組の女子生徒のうち、僕の正面にいた子が机の上に身体を乗り出してきた。肩まで伸びた髪がチョコレートみたいな色をしていて、前髪に髪留めをつけている。

「ねえ、今度のホグズミード、みんなで行こうよ」
「みんな?」思わず聞き返した。僕の“みんな”にこの子はいない。
「そ、みんなで」とシリウス、僕、自分、隣の女友だちを順番に指で差す。
どうかなあ、と手元に広げた宿題へ視線を逸らしてみたが、しかし、ホグズミード行きの計画は、僕が会話に参加しなくても、いいアイディアだと言わんばかりに女子生徒ふたりを中心に盛り上がりはじめていた。それもそうだ。ふたりの目当てはシリウスで、僕は数合わせにすぎない。でも、ホグズミードなんて、シリウスを狙っているほかの女の子を出し抜くようなことをしたら、さすがに反感を買うのではないかな、とどうでもいいことが心配になる。
仕方なく、宿題に集中しようとした。が、数分、いや数秒も待たずに、僕の意識は抵抗しがたい力で暖炉のほうへ引き寄せられていく。
上級生の男子生徒はまだ足置き台にいて、しかも彼の片手が、いつの間にか彼女の肘掛けの上に置かれていることに気づく。どさくさに紛れて少しずつ目標に近づいている様子は、猛獣の狩りみたいだ。椅子から腰が浮きかけていたが、自分を宥めて、周りにバレないように座り直した。
シリウスはモテるから、きっと本気でだれかを好きになったことがない。だから、あっちに混ざってこい、なんて簡単に言えるのだ。ほかの男と話しているところに、割って入っていくなんて、そんな束縛じみたことができるのは彼女の恋人か、または父親くらいではないか。所詮、友だち止まりの僕には、なにも口出しできない。その資格がない。
男子生徒の大きな手が彼女の髪を撫ぜようが、彼女が気まずそうに微笑んで、その手を退けようとしていても、僕には。

「折れる! リーマス、折れるって!」

鬼気迫るシリウスの声に、はっとなると同時に、バキッ、という音が手の中で鳴った。
お気に入りの羽ペンが真っ二つに折れていた。ホグワーツ入学以来、きょうまで一緒にやってきたのになんたる仕打ち、と言いたげなささくれが、ちくちくと刺さる。
羽ペンが折れただけでなにを騒ぐことがあるのか、シリウスがやせ我慢するなよ、とかなんとか言い出して、女の子たちは女の子たちで、怪我はないかと騒ぎだした。
「待って、いま直すわね」髪留めをしている女子生徒が杖を取り出して、折れた羽ペンに向ける。
再び暖炉のほうに視線をやると、彼女もこの騒ぎを不思議そうに見ていた。目が合う。大丈夫? というふうに首を傾げてきた。

「あ、いや、このままでいいんだ」

女子生徒の杖先から、折れた羽ペンをかばう。
「もう古いものだったし、ホグズミードで新しいのを買うよ」
僕は少しだけ声を張った。部屋の端にある暖炉まで、ちゃんと聞こえるように。
「じゃあ、一緒に選んであげる」と女子生徒が顔を明るくするので、申し訳なくなる。「ごめん、僕はきみたちと行けない」と謝るしかなかった。

「一緒に選んでくれる友だちは、もういるんだ」

さりげなく、しかし彼女に見えるように折れた羽ペンを持ち上げる。無惨な羽ペンを確認した彼女は、わあ、と驚くような表情になってすぐに、了解、というように頷いた。
それだけで僕には、彼女が買い物に付き合ってくれることが伝わった。そのために、あの馴れ馴れしい男子生徒がホグズミードに誘ってきても、断ってくれるだろう。
彼女が僕と羽ペンを見比べて、なにがあったのか訝りながらも、可笑しそうに微笑う。僕に向けられた笑顔は安心しきった小さな子のように無防備で、危なっかしい。
でもその笑顔が無意識だったら、僕は嬉しい。


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