いつか太陽が昇る日まで

相手の身体を斬りつけたいとき、大半のマグルはまず刃物の類いを使うだろう。皮膚を突き破り、血管を断ち、侵入してくる凶器の刃を阻んで収縮する筋肉に逆らい、さらに押し込むと、内臓へ達する。その感触は、刃物の柄を握りしめた手のひらから感じられるはずだ。
魔法使いは、杖を使えば遠隔から相手を斬りつけることが可能になる。ただ、マグルと異なるのは、相手から血が噴き出したときに返り血を浴びにくい、という点くらいで、ほかはあまり変わらないらしかった。
一切、手を触れていなくても、自分が放った呪文で相手の身体の一部が傷つくと、経験したことのない、生々しい感触が杖腕に滲み広がる。指の先から肩の付け根まで、恐れ慄くような震えが、一気に駆け抜けていくのだ。
魔法は便利なようでそうでもない。なにかを簡略化しようとしても、必ずどこかで帳尻を合わせるようになっている気がする。
「つまり」ムーディさんは、話の結論を急かすように、身体を支えていた杖で床を突いた。カツン、という冷たい音が響き、医務室に虚しい余韻を残す。

「つまりなにが言いたい」
「つまり、私は、彼らに敵わないんです、一生」
「おまえを鍛えたのは、わしだ。おまえはわしの期待以上に強くなった。実際、ここまで生き延びている」

そこで言いにくそうに口を歪めると、入院着でベッドの上いる彼女を見て、「まあ、なんとか、ぎりぎりだがな」と肩を竦めた。

「でも、笑っていたんです」

気を失っているあいだに解けたのか、視界でチラついていた頭の包帯を引っ張る。痛みはすでにない。
医務室に担ぎ込まれるのはもはや、治療というより、修理に近い感覚である。通常なら自力では二度と立ち上がれないほどの傷も、短時間で治療できる。が、以前より傷跡が残りやすくなっているところを見ると、いずれ身体のほうが先に耐えきれなくなるだろう。このまま続ければ、四肢がバラバラに崩れ落ちる日も近い。

「私を殺そうとした、あの男は、その瞬間、とても楽しそうでした」

ほとんど勝敗は目に見えていたのに、油断大敵だ。捕縛時の命乞いは飽きるほど聞いてきたが、今回に限って彼女は、相手の言葉に耳を貸していた。彼が己の弁明ではなく、懺悔をはじめたからだ。貧しかった家庭や、親に愛されなかった過去、周囲の無関心を捲し立て、涙まで流していた。善人でありたかったのに、死喰い人になるしかなかったと彼女に訴えた。
そのとき、彼らの根本にあるなにかをやっと掴めると思い、気分が高揚した。
ところが結局、男は不意を突き、最後の抵抗に打って出て、己の血の海にひれ伏すことになった。
男の話が本当かどうか、調べればすぐにわかることだろうが、同情する相手を嘲笑いながら襲いかかってきた様子を思い出すと、その気にはなれない。そして、笑いながら人を傷つけようとする彼らに、どうして勝てるというのか。
彼女のベッドテーブルの上に、白紙の報告書と質素な羽ペンが滑り込んできた。

「とにかく報告書を出せ。上がうるさい」
「はい」
「それが書けたら、着替えろ。さっさと退院だ」
「はい」
「それから」ムーディさんはまた、杖をカツンとやった。いまから大事なことを言うぞ、という合図だ。「次からは、ためらうな」
「でも」
「おまえが一秒、ためらっているあいだに、その男はふたり殺せたことを忘れるな。もっとかもな」

死喰い人と闇祓い、所詮、潰し合いの駒だ。わかってはいるが、同じ戦場で自分たちが闇祓いでいられるのは、彼らと違って、慈悲があるからこそなのではないか。人を傷つけているのに、杖腕の不快感に慣れてしまってよいのか。それとも、慈悲を捨てれば、ムーディさんのように強くなれるのだろうか。ならば、慈悲は弱さでしかないのか。
いつもぎりぎりの場所にいるような気分だ。迫ってくる闇の力に耐え、抵抗し、しかし一瞬でも道を見誤ると、周囲の闇にあっという間に飲み込まれて、同じ場所に帰ってくることができない。
たとえそれが弱さでも、なにかを捨ててしまって、私が私のままでいられる確証はどこにもない。

「わしらは闇祓いだ。犯罪心理学者でも精神科医でもない。やつらのことを考えたり、理解しようとしたところで、無駄だ」
ムーディさんは嫌悪感を滲ませた。「やつらが他人を踏みにじって笑っていることに、理由などない。ただそれが楽しいからだ。わしらは、やつらを止めることだけに集中すればいい」

おまえがいるのは、そういう道の上だ。そう告げると、ムーディさんは部屋の出口に向かった。

「しかし、咄嗟だったのに、やつを殺さなかったことは偉かった。よくやったな」

扉が閉まったあとも彼女は、しばらくそのままじっとしていた。
おもむろに羽ペンを手にして、指でいじる。寒くもないのに一度、洟を啜る。

やがて、彼女以外だれもいない医務室から、ペンの走る音だけが聞こえはじめた。


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