08 恐怖のハロウィン

切り刻まれた太った婦人の肖像画は、グリフィンドール寮の門番から外され、人目を避けるように、ひとまず空き部屋に運び込まれた。
「どうなるんでしょうか、これ」
彼女はキャンバスの傷跡に顔をしかめる。「修復できますよね」
「時間はかかるだろうねえ」とフィルチさんが興味なさうに答える。

「フィルチさんが修復するんですか?」
「専門の修復師がいるんだよ」
「へえ、専門の修復師」
「この大きさなら、修復師を呼んできたほうがいいだろうね」
「運び出すのは大変そうです」
「どのみち、このままじゃあ、無理だがね」
フィルチさんは肖像画を指差す。「肝心の絵がいない」
「なるほど」

太った婦人を探してこい、というフィルチさんの指図に、「ふぁい」と欠伸混じりに答えた。




外壁に面した廊下は、昼下がりの日差しを受けて、日向と柱の影が交互につづいている。リーマスの耳にふと、すすり泣く女の声が聞こえたのは、陽の当たらない、脇道のような廊下の入り口だった。
進行方向を横に逸れ、リーマスは暗い廊下の奥に進んだ。進むにつれて、苦しげな嗚咽が明確に聞こえくる。
廊下の奥に、だれかがうずくまっているようだった。

「そこに誰かいるのかい?」

黒い影が身動ぐ。一瞬の間のあと、「リーマス?」と親しげな声がした。
「なんだ」リーマスは胸を撫で下ろした。「きみだったのか」
「こんなところでなにをしてるの」と彼女は廊下に座りこんで、自分の膝を抱えた格好まま、訊いてくる。

「ダンブルドアに呼ばれて、校長室の帰りだよ。たまたま通りがかったら、泣いてる声が聞こえて」
「それなら、太った婦人だよ」

彼女が指差した壁に、牧畜の絵がかけられていた。場違いな太った婦人が、でっぷりと肥えた豚の影に隠れて、こちらを窺っている。リーマスの登場に過剰な警戒を示していた。ハロウィンの夜からずっとそこにいるのか、せっかくのドレスも、泥だらけだ。

「絵を修復したいんだけど、婦人は自分の絵に戻りたくないって言うんだよ」
「きみが修復するのかい?」
「専門の修復師がいるんだよ、リーマス」

そう教えてくれた彼女は、なぜか少し得意げだった。

薄暗い廊下に、太った婦人のひとりで呟いている声が響く。悪魔、とか、化け物、とか、断片的な単語が聞き取れる。その様子はひどく病的だった。恐怖に取り憑かれている。よほど怖い目に遭ったのだろう。
それでも、入室の合言葉を知らぬ者を頑なに通さなかったのは、プロフェッショナルなのかもしれない。
「シリウスは」と彼女がその名前を口にした瞬間、太った婦人は悲鳴をあげ、豚の後ろで震えあがった。これにはリーマスも目を丸くする。気を取り直すように、彼女は声を潜めた。

「本当に、来てしまったね」

ハロウィンの翌朝からリーマスは、前にも増して、スネイプの視線を感じるようになっていた。スネイプは、リーマスがいまもシリウスの仲間なのではないか、疑っているのだ。彼の考えは、でも間違っていない、とも思う。リーマスが真実を黙っていることで、シリウスの行動を助けているのかもしれないのだ。
土の臭いがいまにも香ってきそうな牧畜の絵を、ぼんやりと眺めている彼女を、盗み見る。そして私は、彼女のことも巻き込んでいる。
「暗闇にいると」彼女が、ふいに言った。

「暗闇にいると、もう二度とここから出られないんじゃないかと心細くなるけど、だれにも見つからないっていう、安心感もあるよね」

それは、太った婦人にかけた言葉にも、リーマス自身にかけられた言葉にも思えた。
どういう意味だい、とリーマスが問う前に、突き出すように腕を伸ばしてくる。求められるまま、手を掴む。「よいしょ」と口にし、彼女が腰をあげる。「あ、よいしょって言っちゃった」
そのまま、促すように、リーマスの手を引っ張った。

「行こう」
「太った婦人は、いいのかい?」
「うん。気持ちが落ち着くまで、待つよ」
「じゃあ、これからきみを、お茶に誘ってもいいかな」
「もちろん」

彼女がうれしそうに微笑む。

近いうちにまた、必ず、シリウスはやってくるだろう。彼は目的を果していない。

ふたりは、日差しの届く廊下へ引き返した。足元から伸びる、自分たちの影をそれぞれ引きずりながら、それでも明るいほうへ。


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