05 魔法生物飼育学

「おう、きたか…」

小屋の中に足を踏み入れた瞬間、 ハグリッドを訪ねにきた彼女は、彼の落ち込みように、たじろいでしまった。
ある程度の予想はしていたものの、ハグリッドの周りにだけ、暗い湿り気が生じている。覇気がなく、顔は急速に老け込み、大きな身体も空気が抜けてしてまった風船みたいに、萎んで小さくなったような気がする。
ハグリッドのパートナーで、ボアハウンド犬のファングも、尋常ではなく暗い雰囲気を発している飼い主の周りを、不安そうに歩き回っては、鼻を鳴らしていた。床を引っ掻く爪の音が、虚しく響く。

「すまねぇな。ファングにエサをやってくれ…」
「ねぇ、ハグリッド」
「暖炉の近くに袋があるから…」

テーブルで頭を抱えている姿に声をかけたかったが、思いとどまり、暖炉の前に移動する。気づいたファングが彼女に寄ってくる。部屋の隅でひっくり返っていた銀の器を見つけ、ドッグフードを盛ってやると、ファングは頭を突っ込みかねない勢いで、かぶりついた。器の外にこぼしているし、お行儀のいい食べ方ではなかったが、その生命力が溢れんばかりの食べっぷりには見とれた。
ふいにファングが頭を持ち上げて、彼女に向かって、バフッと鳴く。「なにか文句ある?」と言っているような態度だ。
椅子を持ってきて、テーブルを挟んだハグリッドの向かいの位置に運ぶ。彼女はそこに腰を下ろして、「それで」と話を切り出した。

「それで、初授業はうまくいかなかったの」
「生徒に怪我をさせちまった…」
「医務室で見てもらった?」
「かすり傷だった…」
「なんだ」思わず息を吐いた。「それじゃあ、たいしたことはなかったんだね」
「でも」とハグリッドは惨めな声を出す。
「ドラコ・マルフォイを、おめぇさんも知ってるだろ? あれの父親が知ったら、俺を訴えてくるに決まってる…」
「マルフォイが怪我をしたの?」
「俺のことをケトルバーン先生の後任に推してくださった、ダンブルドアにも、迷惑をかけちまう…」
「ハグリッド」
「やっぱり先生なんて向いてなかったんだ。それなのに俺は、浮かれちまって…」

授業がはじまる直前まで、ずっと緊張していたハグリッドを、思い出す。ちょっと張り切りすぎてしまっただけなのだ。生まれてはじめて教鞭をとり、初日からヒップグリフの実習授業は無謀だ、と言われると、そうですね、と答えるほかないが。
彼女はおもむろに、持参してきた酒瓶を、どん、とテーブルの上に置いた。ビール瓶より一回り大きい、黒の分厚い瓶だった。中には透明の液体が入っている。音に気づいたハグリッドが、わずかに顔をあげる。瓶のラベルに目がいった瞬間、涙に暮れる瞳が釘付けになった。

「これ、やっと見つけた。前に飲んでみたいって言ってたよね」
「おめぇさん、どこでこれを……」不思議な力で引き寄せられるように、ハグリッドの両手が、酒瓶に伸びる。だが、途中で我に返り、慌ててテーブルの下に引っ込めた。
「だめだ、だめだ。いまは全然、酒なんか飲んでる気分じゃねぇんだ」
「そう、嫌なことも忘れられるかと思ったんだけど」
彼女は、酒瓶のほうをチラチラと見やり、生唾を飲んでいるハグリッドからそれを隠し、申し訳なさそうに眉を下げた。
「じゃあ、これはまた今度ね」


突然、がん、と音を立てて、テーブルが揺れた。
テーブルの上に上体を伏せて、浅い眠りを繰り返していた彼女は、その振動で目が覚めた。部屋に充満する酒の匂いに、頭がくらくらする。
いま、何時だろう。ハグリッドの小屋にきてから、どのくらい時間が経ったのだろう。可愛いらしいカーテンがかけられた窓の外は、相変わらず暗い。
足を動かすと、靴を脱いでいた爪先がなにかを蹴った。固く、冷たい。そのまま転がっていったので、空き瓶だと思った。
床だけではなく、テーブルの上にも、空になった瓶が並び、転がっている。彼女が持ってきた銘酒は、ハグリッドとその香り、その深い味わいを褒め称えつつ、ずいぶん前に飲み干してから、空き瓶すら見当たらなくなっていた。

「俺は、言ったんだ。礼儀をわきまえねぇとバックビークは怒るぞって、ちゃんと」

ハグリッドが大声で言っている。ガン、ガン、と声の調子に合わせて、テーブルを叩く。
「バックビークって?」と声を出ず、彼女は唸る。
ベッドで横になりたかった。なぜか目の奥が痛い。そして、これは飲み過ぎだ、とぼんやり思う。

「それなのに、あのドラコ・マルフォイは馬鹿にした。俺の授業も滅茶苦茶にしたんだ。あれくらいの怪我で騒ぎおって、自業自得じゃねえか。おめぇさんもそう思うだろう?」
「んー…」

彼女は、テーブルの上に右腕を伸ばし、その腕に自分の頭を載せる。眠れそうな体勢を探す。

「おめぇさんにも見せたかったぞ、ハリーがバックビークを乗りこなす姿。あの子は俺が言ったことをちゃんと守った。いい子だ。それに……」

ハグリッドは、そこで言葉に詰まった。彼女はほとんど眠りに落ちかけている。
さきほどから、フガフガと音をたてているのは、ファングだろうか。床にこぼれた酒の匂いでも、嗅いでいるのかもしれない。
「それに」とハグリッドが感極まった声を出す。「それに、優しい子に育ってくれた。な? 俺の様子を気にして、おめぇさんが来るちょっと前に、ハリーもここまで来てくれたんだ。シリウス・ブラックのことがあるから、本当はあんまり城の外に出たらだめなんだ、ハリーはとくに。それなのに、俺は…」
「……リウス…」
「そうだ」うなずき、くしゃくしゃのハンカチを取り出して、涙を拭った。

「赤ん坊のハリーを迎えに行った夜、俺はそこであいつに会ったんだ。おめぇさんにはもう話したか? シリウス・ブラックは、俺の移動用に、空飛ぶバイクを貸してくれてた。俺は馬鹿みてぇに、感謝までしちまった。あのとき、俺がなにかに気づいていれば、ピーターだってあいつに殺されずに済んだかもしれん。でも、いってぇだれに、シリウスがジェームズを裏切るなんて、想像できた? え?」

ハグリッドは、もう一度、ハンカチを顔に押しつける。
相槌が返ってこないので、「なぁ、聞いとる?」と彼女の肩を揺すったが、すっかり酔い潰れてしまっているようだった。

「……シリウス…」

彼女がまた、うわ言のように彼の名前を呼んだ。
つらそうな声だった。
ハグリッドは、ビール瓶に直接、口をつけ、喉へ流し込む。 その大きな手で、彼女の頭を髪がくしゃくしゃになるまで撫でた。
テーブルの上に、そっと瓶を戻す。椅子に座るハグリッドの膝に、ファングが甘えるようにして、顎を載せてくる。

「いまごろ、どこにいるんだろうな…」

眠っている彼女の寝顔は、髪に隠れて見えない。

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