04 過ぎ去りし

歓迎会のあと、寮に戻る生徒たちの大移動が落ち着くと、城内はたちまち静けさを取り戻した。
夜も更けた教室を、興味深く見回しているリーマスに、「ここで授業をするんだよ」と声をかける。
リーマスは、懐かしそうに目を細め、教壇に手を触れた。

「意外と、忘れているものだね」

そこに立っているリーマスを、少し離れた場所から眺めていた彼女は、ふいに泣きたくなってしまった。
リーマスの話し方や、物腰はひとつも変わっていなかった。しかし、彼女が知らないあいだに、以前は決してなかった溝がそこにある気がした。
自分が眠らされていなければ、最悪な出来事のあとも、リーマスと支え、支えられてこれたかもしれない。いや、そもそも眠らされてさえいなければ、常に別の道はあったはずなのに、それをすべて、奪われ、握りつぶされた。
そんな思いにとらわれそうになり、そっと振りほどく。いまさら、結末を変えることはできないのだ。
いつの間にかリーマスが、目の前にいることに気づく。

「きみはほんとうに、最後に見たときから、少しも変わらないね」

いつかスネイプがそうしたように、リーマスも彼女の頬に手を添えた。すんなりと馴染んでくる手のひらが嬉しかった。
「変わらないよ」と、リーマスの手のひらに擦り寄る。「そういう呪いだったから」
離れていこうとした手を、そっと捕まえる。リーマスの左手の甲には、自分で縫合したとしか思えない傷痕があった。彼女が知らない、傷跡だ。
あぁ彼は、ずっとひとりでいたにちがいない。傷跡をなぞりながら、彼の十二年を思った。
周りの仲間を一度に失い、彼はきょうまで、どんな気持ちで生きてきたのだろう。きっとだれにも想像できない。

「私がここにいるって、知っていた?」

近くの椅子を引き、腰を落ち着かせる。机の隅に、生徒の落書きがある。彼女の前の席に、リーマスも腰を下ろした。
「きみが目を覚ましたその日に」と寂しそうな笑みを浮かべていた。「ダンブルドアが、ふくろう便を寄越してくれたよ。きみからの連絡はなかったけれど、少しは私のことを、思い出してくれたのかな」
リーマスの口調は自虐的だったが、冗談めいてもいた。
彼女の脳裏を、幕で覆われたような暗い窓がよぎった。部屋の中で落ち着きなく揺れている、暖炉の火。安眠用のホットココアは、気づくといつも冷たくなって、マグカップの影をテーブルの上に伸ばしている。椅子にもたれるように腰をかけている彼女の指先が、肘掛けの縫い目を神経質に引っ掻く。そうしてただひたすらに、朝を待っている。
「忘れたことはないよ」
冗談っぽく聞こえるように、彼女は言った。

「脱狼薬のことは聞いたかい? ダンブルドアは、スネイプが調合してくれるって言っていたけれど、大丈夫だろうか」
「それは、毒を盛られないか、ってこと?」
「歓迎会のあいだもずっと、突き刺さるような視線を感じて、せっかくのご馳走もあんまり味わえなかったよ」
「スネイプは、根に持つタイプだから」
しかも、その根はだいたい深い。
「でも、魔法薬学の腕は、だれよりも確かだったでしょ」とリーマスを励ますように言う。
そうだね、とうなづくリーマスは、笑みを浮かべていたが、どこか上の空であった。

「そんなことより、私、ひとつだけ自信があるよ」
「なんだい?」
「脱狼薬は、すごくニガい」

リーマスが諦めたように笑い、なんとなく会話が途切れる。
シリウスのことを話すならば、いましかない気がした。
しかし、このまま今夜は、リーマスにおやすみを言って、部屋に戻って、明日から学生生活のつづきを演じることもできる。向き合わずにいることもできる。

「私が呼ばれたのは、シリウスのことがあるからだろうね」

リーマスが先に、そう言った。彼女は、リーマスの口から出た、「シリウス」という親しげな呼び方に戸惑い、安堵を覚えた。
いまや世間では、大量殺戮犯として取り沙汰されているけれど、私が知っている「シリウス」を、リーマスも知っているのだ。

「シリウスは、ここまで来ると思う?」
「少なくとも、ダンブルドアはそうお考えのようだ」
「私は、まだ誰にも言ってないから」

風が吹き、窓枠が音を立てた。すきま風の鳴る音がする。雨はとっくに止んでいた。重たげに渦を巻く雨雲が流れて、曇り空に切り込みができる。そのずっと奥に、星空が見えた。

「パッドフットのこと…」

リーマスの張り詰めた横顔を見ていると、彼を苦しめている葛藤が、まるで自分のことのように、言いようのない痛みとなって彼女の胸を突き刺し、ゆっくりと貫いていく。

「シリウスは、でも、大切な友人の一人だった」

リーマスが静かに言った。
彼の肩が震えているのに気づいたのは、それからしばらくしてからだ。

「なに、笑ってるの」
「思い出したんだ」
「な」なにか嫌な予感がする。「なにを?」
「きみが、女子ならだれでも振り向く色男を脅した、唯一のひとだってことを」

自分の顔が熱くなるのを感じた。「脅したつもりじゃないし、シリウスは、よく女の子に脅されていたでしょう」と慌てて弁明する。シリウスはしょっちゅう、「浮気したら殺す」とはっきり脅されていた。それを浮気相手の女の子に言われているのだから、呆れるほかない。
「でも、シリウスがあんなに落ち込んだことはなかった。学生のころ、きみを本気で怒らせたのはおそらく、彼くらいじゃないかなあ」
記憶を辿るように言う姿は、あきらかに面白がっている。よけいなことを覚えているんだから、と口を尖らせながら彼女は、でも優しい気持ちで自分の胸が満たされていくのを感じていた。あたりの闇が、静かにほどけていく。

「でも、あんなひどいことをしたんだから、いまも許してないよ」

自分でそう言いながら、そのときふと、改めて気づかされてしまった。
シリウスが、ジェームズを裏切るはずはない。新聞が騒ぎ、世界中のひとがシリウスを憎み、罵り、非難していても、やはり信じられないのだ。リーマスも、同じ気持ちだろうか。
眠りから覚めたにもかかわらず、この世界はまるで悪い夢の続きをみているようだ。

「あのときは、本当に心配したんだよ」
「心配したら、手が出ちゃうんだっけ」
「手なんて、出してないよ。でも、また今度、心配なんかさせたら、私、がつんと言うよ」

ふざけて右手に拳を作ってみせたが、「きみに暴力は似合わないよ」とリーマスは笑って、取り合わなかった。

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