10 連れ去られた少女

自分の執務室に戻ってきて、ようやく一息をつける。ダンブルドアがいなくなってから、マクゴナガルの胸中はずっと暗い。
校長が不在のいま、副校長として今回の事件を収束するすべを模索しているが、それもなかなかうまくいかず、焦りとプレッシャーばかり風船のように膨らんでいた。
しかし、それを周りに悟られるわけにいかないと、普段通りに振る舞うのも一苦労だった。
このまま学校を閉鎖するしかないのだろうか。
椅子に腰をおろし、背中をもたれる。そうしてしばらく整理が行き届いた机の上を見るともなく眺めていると、とつぜん、「チョコレート、いりますか」と声がした。
飛び上がりそうになった胸を押さえた。
マクゴナガルの机の前で、板チョコレートの包みをこちらに向けるようにして立っている彼女に目を丸くし、「まぁ」となんとか声が出る。
「いつの間に」
無意識に背筋が伸びて、椅子の背もたれから離れた。
彼女が気まずそうに視線を巡らせている。

「ノックはしたんですが」
「留守だとは思わなかったのですか?」
「部屋に入るところを、見かけていたので」

ダンブルドアのことを考えていた気がするし、今後のホグワーツについて、考えていた気もするが、ノックの音にも気づかないほど放心していたのかと、半ば情けなくなる。

「いりませんか、チョコレート」

彼女がもう一度、同じことを訊いてきた。「元気がでるかもしれません」それを机の上に置く。
こちらの様子を窺い、「すみません」といますぐにでも謝りそうな雰囲気があった。

「ハニーデュークスの?」
「そうです。こないだちょっと用事があって、そのときついでに。甘いものはきらいですか?」
「あまり食べないけれど、疲れたときたまに」
「じゃあ、よかったら、どうぞ。私もあまり、甘いものが得意ではないので」

差し出されたチョコレートを手に取り、その包装紙のデザインにどこか懐かしさを覚えた。文字の字体など、なんとなく古めかしい感じだ。
「過去の商品の、復刻版らしいですよ」彼女が教えてくれる。

「リーマス・ルーピンには、会いにいきましたか?」

細心の注意を払うべきところで、マクゴナガルは我慢できず、彼女に訊ねていた。“甘いものが得意ではない”のに、店でこのチョコレートを見つけたとき、彼女が一番に思ったのはきっと彼のことだったのではないかと、思いついたときには口にしていた。
「いいえ」急に出てきた名前に驚きながらも、彼女の反応はさすが冷静なものだ。

「なぜ? 会おうと思えば、会いにいけるのに」

ほんとうに残念そうな声がでてしまった。それが逆に、思いだけでは会いにいけない相手の存在を強調している気がして、しばらく言葉に詰まる。
生きているからこそ、会いにいけるのだ。生きていてさえいれば、アズカバンの囚人にだって会いにいける。

「会っても、なにを話せはいいのか、まだわからないんです」

彼女が笑った。木枯らしが吹くかのように、とても寂しそうに。

「それに怖いんです」
「こわい?」
「現実を、受けとめるのが」

心配そうなマクゴナガルに気を遣ったのか、「そのうち、落ち着いたら、会いにいくつもりです」と言う。
「あ」と彼女が声をあげた。マクゴナガルの両手の中で、チョコレートがパキンと音を立てて、半分に割れていた。

「きれいに真ん中で割れたみたいですね」
「こんな言葉で、あなたを慰められるとは思いません」
「え?」
「ですが、あなたはまだ若いし、先があるんです」

不思議そうな顔で見つめてくる彼女に、割れたチョコレートの半分を返す。

「悪いことが起これば、必ずいいこともあります」

視線を逸らして瞬きをする目を盗み見していると、黒い瞳はうっすらと潤んで、手に持ったチョコレートではなくどこか遠くを見ているようだった。
マクゴナガルは彼女の身体を抱きしめ、「大丈夫ですよ」と言ってやりたくなる。「大丈夫、あなたが傷つかなくてもいい世界が、いつかきっとやってくるわ」と。
だからどうか、諦めてしまわないでほしい。
マクゴナガルをたまらなくさせるこの気持ちを、人は“母性”と呼ぶのかもしれない。

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