06 二羽目の鶏

考えてみると、地図を見たとき、ホグワーツがどこに建っているのか、正確な位置をいまでも知らない。それがマグルの地図ならもちろん、魔法魔術学校なんて載ってすらいないだろう。
でも、冬になれば、ここにも必ず雪が降る。
昨夜からしんしんと降りはじめ、朝になっても降り止む気配がなった。上を見上げると次から次へ、六華の結晶が舞い落ちてくる。空は太陽の場所もわからない。

積雪に覆い尽くされた校庭に、彼女はひとりで佇んでいた。朝早いせいか、雪には自分以外の足跡はなかった。
急に背中をどんと押されて、前のめりに倒れそうになる。振り返ると、髪やひげに雪をつけたハグリッドが立っていた。

「痛いよ、ハグリッド」
「こんなところでひとつも動かねぇから、凍っちまったのかと思ったぞ」

ハグリッドは雪男より雪男みたいに、ウールのバカクラバ頭巾が、よく似合っている。「にわめ」と彼女は言った。
「にわめ?」
聞き返してくるハグリッドに、彼女は自分の足元を見ずに指差す。それを追って視線を移したハグリッドが、低い声でうなった。
そこに転がっているのは、鶏の死骸だった。羽をむしられ、なぶられたようなあとが目立ち、殺害されたのは雪についた血の量であきらかだ。
これで、今年に入って殺された鶏は二羽目になる。

「またか」
「え、ちょっと待……」

ハグリッドは屈みこみ、なんの躊躇もなく、分厚い手袋をした手で鶏の両足を掴み、上に持ち上げていた。彼女は身体ごと、ハグリッドから顔を逸らす。

「こいつは校長先生に報告したほうがええの」
「うん、そうだね」
「見てみろ、この傷。動物の仕業じゃねぇ」

顔をあげると、いつの間にか自分に背中を向けている彼女に、ハグリッドは声をたてず笑っていた。「おまえさん、そういえば鶏が苦手らしいな」
笑いごとではない、と言いたくなる。
「ハリーから聞いたぞ、ほれ」ハグリッドは逆さに吊した鶏を、彼女の前に突き出してきた。

「や、ちょっと」
「ただのチキンだ。おまえさんもいつも食っとるだろうが」
「いいから、早くダンブルドアのところに…」

思いきって、視界にちらつく影を振り払おうとしたときには、ハグリッドはもう嫌がらせをやめていた。
だから、油断した。そのとき、彼女の目にそれは映っていた。降りつづける白い雪の合間を縫って、目が合う。のどのあたりがさあっと冷たくなった。

「可哀想だが、こいつは今夜の夕食行きだ」

ハグリッドが白い息を吐く。
やっぱりそれも食べるんだ、と言おうとしたが、声が出ない。
吊るされ、だらしなく、しかし殺されたときよほど抵抗したのか、両羽が不自然な方向に広がっている。こびりついているのは、凍った血だろう。黄色い嘴の隙間から垂れた細い舌が生々しい。
光の失せた、鶏の目が、ずっとこちらを見ていた気がした。

「うっ…」

腹の底から込み上げてくるような不快感に、口を覆う。彼女は身体を折っていた。
直前、この世を焼きつけるかのように目を見開き、まるで自分を置いて生き続ける者を嫉み、恨むような眼差しが無言で訴えてくるのだ。彼女を責め立ててくる。

やめて。

そんな目で、私を見ないで。


身体が強張った。苦味と酸味が口内に満ちる。彼女は、雪の上にそれを吐き出していた。苦しい。吐き出すものがないからだ。
黄色い胃液が、白い雪を汚した。ハグリッドの声が聞こえた気がしたが、耳の奥に膜を張ったみたいにくぐもる。地面が揺れていると思ったら、どうやら足に力が入らなくなっていた。自分の身体が、ひどくゆっくり傾き、渦巻くなにかに巻き込まれていくように、意識が遠退いていく。
そして目の前が真っ暗になった。




けれど、気を失っていたのは、ほんの間だけだったようだ。全身が跳ねるような連続的な衝撃のせいで、目が覚めた。ぼやけた視界の焦点が少しづつ合い重なる。
ハグリッドに抱きかかえられていると気づくのに、そう時間はかからなかった。

「あ、れ……」
「吐くほど鶏が嫌いだったとは、俺を許してくれっ」
「え…?」

どかどかと慌ただしく、ハグリッドは校舎の廊下を踏み鳴らしていく。巨体を揺らして走るので、こちらまで身体が上下に揺れた。
「止まって」とハグリッドの胸のあたりまで伸びたひげを優しく引っ張ると、自分が倒れてきっとかなりびっくりしたのだろう、弱々しい目が彼女を見下ろした。
「もう大丈夫だから、ここで降ろして」
彼女は、冷静な声で言う。ハグリッドから見れば、顔色だけが血の気をひき、ぞっとするほど青かった。このまま校内を歩けば、ゴーストに間違われるだろう。

「いや、やっぱりだめだ。医務室に連れていく」
「だと思った」
「あ、おい、こら」

ひらりと腕を滑り抜けて、彼女は床の上に立ってみせる。そんな彼女を捕まえようとしたハグリッドの手は大きく、たくましくて、やさしかった。
大丈夫だよ、ともう一度言う。

「ありがとう、ハグリッド」
「一応、マダム・ポンフリーに、診てもらったほうがええぞ」
「私は病気じゃないよ」

殺された鶏の件をハグリッドに任せて、ひらひらと手を振った。
たかが鶏の死骸に、醜態を晒してしまったのだ。
自分が情けなくて仕方ないのに、廊下の角を曲がり、ハグリッドの姿が見えなくなったところで、壁に手をつかなければ立っていられなかった。

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