21 星を読むこと

 「ずっと自分の部屋に引きこもっていると、考えるくらいしかやることがないんです」
 そう言ったあとで、彼女は少し気が咎めた。やることがないわけではなかった。謹慎になってすぐ、ハーマイオニーが持ってきてくれた雑誌や恋愛小説があるし、ロンから預かっているチェス盤もある。彼らの気遣いはありがたかった。ただ、彼女はそれらのどれか一冊でも表紙をめくってみる気にはなれなかった。ドビーや“ほとんど首なしニック”にチェスの相手をしてもらう気にも。彼女は、考えたかった。
 「キングズリーの言うとおり、私はたしかに、母のことを忘れるべきなんです。私は騎士団のひとりなんですから、いまは来たるべき戦いに向けて、少しでも備えるべきなんです」
 彼女が仰向けに寝転がっている芝生には、星明かりが降り注ぎ、木々の葉を透かして光のまだら模様を描いていた。彼女は自分の胸の下あたりに手のひらを当てるようにして、指を組んだ。こうするといくらか気分が落ち着くような気がした。
 「でも問題は、“許されざる呪文”を唱えてから、なんて言ったらいいか、あの出来事以来、杖が前とはまるで変わってしまったことなんです。持ち主が十年間、眠っていようと関係ない。いまも私を批判しているのを感じます。“許されざる呪文”を使ったことは、とんでもない間違いだったと。私は、自分の杖を裏切ってしまったんです」
 彼女とは少し離れたところで、馬体の前肢を折り曲げ、芝生に腹這いになる格好で、フィレンツェはセージやゼニアオイを燃やしていた。未来を読み取るための儀式だ。つんと刺激臭のある煙が立ち込め、枝がパチパチと爆ぜる音がする。「杖が持ち主を選ぶんですよね」と彼女は言った。
 はじめて自分の杖を授かったのは例によってオリバンダーの店だったが、この出会いを喜んだのは彼女よりむしろ杖のほうだったことを思い出す。長年、眠りつづけていたそれが一気に開花したかのような桜の風を全身に浴びせられ、彼女もすぐにこの子の使い方がわかった。
 しかし、彼女は見限られたのかもしれなかった。杖の手入れはいまも欠かさずしているが、彼女が触れてもなにも感じず、また応えもしない。もはや魔法の杖とも思えなかった。

 「ヒトは間違いを犯しますが、間違いというものはありません」

 フィレンツェが静かに言った。信じられないほど青い瞳の視線が、いつの間にか炎の揺らめきから彼女に移っていた。
 「“許されざる呪文”ひとつで、私は母を二度も亡くし、唯一の家族を悲しませ、杖は枯れ枝みたいになって、自分が魔女かどうかもあやしいんですよ。それでもですか?」
 「ヒトの尺度では計り知れない、もっと大きな視野に立てば、間違いなんてものはない、という意味です。すべては起こるべくして起こっただけのことなのです」
 「起こるべくして起こった」彼女は決して届かない星空に向かって、腕を伸ばした。「それはつまり、運命は最初から決まっている、とか、なにもかもあの宇宙の壮大な計画の一部だとか、そういう話ですか?」
 「ヒトの個人的な悩みや営みなど、広大な宇宙にとっては忙しく這い回る蟻ほどの意味しかなく、惑星の動きに影響されるようなものではありません」
 「でも、ケンタウルスも星を読むって」
 ケンタウルスも星を読むはずである。だから彼はこの、禁じられた森の棲息地に似せた教室で、彼女同様、謹慎中のトレローニー先生に代わって、“占い学”の授業をしているのだ。
 「我々、ケンタウルスが空を眺めるのは、そこに時折記されている、邪悪なものや変化の大きな潮流を見るためです。我々がいま見ているものが何であるかがはっきりするまでに、十年もの歳月を要することもあります」
 十年もかけて答え合わせをして、何になるのだろうか。彼女はすぐにそんな疑問が浮かんだが、ケンタウルスに言わせればこの考え方こそがヒトという種族が持つ偏見と限界なのだろう。
 「残念そうですね」フィレンツェが言った。「星が示す傾向や起こりうる可能性を、ケンタウルスでも完全に読み取り、予言できるわけではないと知ると、生徒たちも落胆を見せます」
 「それはたしかに、少し期待しました」
 この満天の星空を見上げれば、だれだって期待してしまうはずである。人生はいつも理不尽で、未来は明るいなんて嘘でも言えそうにない。そんな地上の人生とはいかにも関係なさそうに星は輝いている。ずっと昔から変わらず、あんなふうに輝き続けているのにはなにか理由があるはずだ、と考えるのがヒトの性ではないか。自分たちを導くなにかを知らせるためだと信じたいのに、私たちは未だに宇宙の声を聞く耳を持たないわけだ。
 「自分の運命が知りたかったら、新聞の星占いを見るしかなさそうですね」彼女は息を吐いて言った。今朝も見たはずだが、ラッキーアイテムすら思い出せなかった。
 「宇宙が私たちの言葉で語りかけてきたとしても、未来は不確かなままだと思いますよ。私たちには、自由意志というものがあるのですから」
 「自由意志」
 彼女は肘をつき、身体を少し起こして、フィレンツェのほうを見た。最初に彼を見たのは、四年前だ。禁じられた森でハリーを助けてくれたケンタウルスが、フィレンツェだった。彼の胸には、馬蹄形の打撲傷がうっすらと残っている。
 「大切なのは、運命や未来など過剰に恐れず、そして信じすぎないことです」フィレンツェはさらりと言った。
 「先生は、ケンタウルスらしくないですね」
 「だから群れを追放され、ここにいます」
 瞬きもせず炎を観察し続けるケンタウルスの横顔を、彼女はなんとも言えない気持ちで見た。

 「それで、宇宙はなんて言ってますか?」彼女は訊いた。「ダンブルドアは戻ってきますか?」
 「最初に言いましたが、私が占うまでもありません」フィレンツェは言った。「彼は戻ってきます。やりかけた仕事を途中で放棄するような方ではないですから」
 「そうですか」
 ダンブルドアは戻ってくる。自分以外のだれかにそう言われて、彼女は心強くなった。
 「ですが、彼が戻ってくることが、あなたにとって幸いかどうかは、私にもわかりません」
 「え?」
 彼女の戸惑いに、フィレンツェはまったくと言っていいほど気がつかないようだった。「まあ、それもいずれ行き着く先でわかることでしょう」


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