10 冬の終わり

ネビルは、まだ眠気が残るまぶたを、枕にこすった。遅れて、自分の身体がベッドのふちから落ちかけている、と気づく。
ネビルが横になっているベッドの周囲は、カーテンが垂れて仕切りを作っている。あたりは薄暗がったが、すぐ近くでぼおっと音がして、小さな灯りがついた。
少し首をかしげて見ると、ベッドサイドのテーブルに、オイルランプが置いてあった。ひとりでに火が入ったようだった。

「起きたね」

ネビルは突拍子もない声をあげ、ベッドに潜った。仕切りを割って入ってきた彼女を見、もう一度、「あ」と言った。
彼女が、「気分はどう」と訊ねてくる。どうやらここは医務室らしい。

「あ、あの。医務室…」
「クィディッチの観戦中に、スリザリンの生徒と喧嘩して、気を失ったんだよ」

窓の外はもうまっくらだ。どのくらい気を失っていたのだろう。
光が弾けて気を失う直前のことを思い出したが、一緒に乱闘していたはずのロンの姿がなく、急に心細い気持ちになった。
彼女がなぜか、じっと見つめてくる。きれいな顔は無表情なので、目が合ったら怒られるような気がした。顔があげられない。おずおずと、「試合は」と訊ねてみる。

「ハリーがスニッチを取ったよ」

ネビルに一瞬だけ、笑みがよぎったが、すぐに消えた。グリフィンドールが勝った喜びが胸につかえる。嬉しかったけれど、彼女の観察するような視線の前では、嬉しがるのもためらわれた。静かな雰囲気に飲み込まれるように、言葉を見失う。
どうしてそんな目で僕を見るのだろう。彼女が目を凝らし、耳をそばだてている気配を感じる。動物園の檻の中にいる気分だ。
「マダム・ポンフリーが」と彼女は沈黙を破った。
「え」
「マダム・ポンフリーが、気がついたら、もう大丈夫って言ってたから」
「あ、はい…」

たしかに、ガーゼが貼られた頬から薬品のような匂いが鼻についたが、痛みはなかった。
身体のあちこちにも、包帯を巻いた感触があった。痛みはない。

彼女がカーテンを手でのけて、出ていきかけ、「ネビルも行くよ」と声をかける。「どこに」と驚いてしまう。
彼女はあまりに自然に、ネビル、と呼んだ。

「大広間。まだ夕食の時間だよ。おなかすいたでしょう」

慌ててベッドから這い出て、立ち去る彼女のあとを追った。医務室は、自分たちのほかは無人のようだった。
ネビルがあせったように出ていくと、唯一の光源だったランプの火がふつりと消える。同時に、星明かりに照らされた窓枠の影が、医務室の壁を覆うように浮かびあがった。


彼女は小柄だったし、歩くスピードがとくに速いわけでもなかったけれど、ネビルはその隣を歩けなかった。頭をうつむき、彼女の後ろをついていく。静まり返る廊下に彼女の靴音だけが響いていた。
箒に乗れば暴走する。思い切って喧嘩してみれば気絶する。僕はなんて情けないのか。ため息をつくと、背中がさらに丸くなる。
目をあげる。すっとまっすぐ伸びた背中が前を歩いている。
どうしたら、と考えた。
どうしたら、そんなふうに堂々と歩けるのだろう。

でも、仕方ないのかもしれない。人には、役割があるのだ、とネビルはおもう。教室のなかだけでも優等生やお調子者、英雄とか、いろんな役割がすでにある。
自分はきっとなにもうまくできない、だめな役で、誰かに迷惑をかけるたび、申し訳ない気持ちにつきまとわれる。恐らく、一生、それは変わらないだろう。優等生にも、お調子者にも、もちろん英雄にもなれない。
そして、そういう星の下に生まれた人間とは無縁でありながら、迷惑を被るのが、彼女のようなひとなのかもしれない。
出来損ないの自分がいちばん、なりたくなくても彼女の世話になってしまい、迷惑をかけている気がしてならなかった。ウィーズリー家の双子とは、わけがちがう。

「ごめんなさい」

彼女は聞こえなかったのか、暗い廊下を歩き続け、こちらを振り返りもしなかった。

「なにが」
「あ、いろいろ…」
ネビルが口籠もる。「こないだも僕のせいで、骨を」

「あぁ」痛々しい声をあげると、思い出したかのように、あばらのあたりに手をやった。「あれは痛かった」
「ごめんなさい…」

この調子でいつか、自分が生まれてきたことを謝る日も近いかもしれない。

「かまわないよ」

そのとき、身体がびくっとこわばった。彼女が急に立ち止まり、振り向いたのだ。

「ネビルだって、手首の骨を、折ったでしょう」
「ぼ、僕のは自業自得だから」
「私は仕事だから」彼女の口調はやはり、素っ気なかった。
「謝ることなんてないよ。迷惑とおもってない」

感情がないような瞳を真正面からとらえたとたん、ネビルの脳裏に不思議な光景が浮かんだ。
木だ。白い、細い木が、雑踏にも揺るがず佇んでいる。
ふと気がついた。ネビルにとって木や草花がこわくないように、彼女をこわがる必要もないのかもしれない。
だって彼女の言葉は、余分なものをなにも含んでいない。空に向かって葉を広げる枝のように、自由で、無防備で、堅実だった。

「箒に乗れない子は、まだけっこういるし、喧嘩なんて、強くなくていいんだよ」
「でも…」
「ネビルには、ほかにすることがある」
「ほかにって?」

自分より、少し背が高い彼女を見上げる。彼女は顔をあげ、なにかを思い出すように宙を見つめた。

「前にだれかが、人はかならず、役目を与えられて、この世に生まれてくるって言ってた」
「役割」思わずつぶやいた。
そうだね、というように彼女がうなづく。
「ネビルにも、ネビルにしかできない、役割が用意されているんだよ」
「ほんとうに?」
「うん」

彼女は再び振り返ると、歩き出していく。ついて行こうとすると、「<まぁ、たぶんだけど>」と声を発した。
ネビルは驚いて、戸惑い、急いであとを追った。「いま、なんて言ったの? 日本語?」

廊下の先から少しづつ、賑やかな音が聞こえてくる。彼も気がつないうちに、ネビルは彼女の隣を歩いていた。
「日本語が話せるの?」
「まだ話せるみたい。意外と忘れないみたいだね」
ネビルが追いついたのか、彼女が歩調を合わしたのか、それはわからなかった。




大広間まで送り届けると、彼女はネビルと別れた。
ひとりになったところで、細い隙間から炭酸が抜けるような音が、玄関ホールに響いた。周りを見回すまでもなく、樫の扉の影から、ハグリットが顔を出しているのを見つける。
もしかして、あれで隠れているつもりだろうか。
こちらに手招きしていた。

「なにをしてるの」

彼女は不審に思いながらも、ハグリットに近づく。毛虫みたいな眉を中央に寄せ、口元に指を立て、彼はいやに周囲を気にする。
「どうしたの」とさらに問うと、大きな腹を邪魔そうに身を屈め、声を潜めた。

「わけは話せんが、おまえさんに頼みがあるんだ」

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