12 蛇の目

ダンブルドアの言うとおりだった。ダンブルドアに投げかけたい質問は山ほどあった。騎士団のスタージス・ポドモアがどうして魔法省の神秘部に押し入ろうとしたのか、ホグワーツ内で益々、権力を得ていくアンブリッジ先生を止める手立てはないのか、そのアンブリッジ先生の目を盗み、ハリーたちが“必要の部屋”で行なっている活動について、もちろんダンブルドアは把握しているだろうが、放っておいてよいのか。質問が口から溢れ返りそうになるのを堪えて、頭の中で優先順位を並べ替える。彼女が真っ先に確認したのは、しかしそのうちのどれでもない、「シリウスの様子はどうですか?」ということだった。

ホグワーツの校長室、星が輝く天窓の下で、ふたりは向かい合っていた。執務机越しに、背もたれの高い椅子に腰を下ろしたダンブルドアのそばの止まり木で、不死鳥のフォークスが、嘴を羽の中に埋めて眠っている。
明るいブルーの瞳が、彼女から逸れて、フィニアス・ナイジェラスの肖像画に移る。肖像画は、気づいていないわけではないだろうに、ふたりぶんの視線などまるで意に返さぬ様子で、寝たふりを続けるつもりらしかった。

「“同じ時間、同じ場所”」

ヘドウィグが届け、一度はアンブリッジ先生に奪われた手紙を思い出しながら、彼女は言う。あれは間違いなく、シリウスの筆跡だった。
「アンブリッジ先生は、あの手紙以来、ホグワーツの煙突網に見張りを置いてます」
「暖炉越しにハリーと話していた夜、シリウスがもう少しでも気づくのが遅ければ、アンブリッジ先生に捕まっておったじゃろう」ダンブルドアが言った。
捕まったのではない。既のところでシリウスは無事だとわかっていても、彼女の肝は冷えた。さらに、シリウスはやっぱり約束を守る気がないのだ、確信する。遺書の存在を預かる代わりに、今後も大人しくしていると交わしたあの約束は、しかし少しでも意味があったのだろうか。こうなる前に守る気はあったの、とここにはいないシリウスを小突きたくなる。
一方で、パッドフットも駄目、ふくろうと煙突網も駄目ときて、シリウスはいよいよクリーチャーとふたりきりの屋敷で、いまこの瞬間も孤独感に苛まれているのではないかと思うと、彼女は落ち着かなかった。
ひとりぶんの食事が整った、大きなテーブルの端っこで、黙々とフォークとナイフを動かすシリウスの寂しげな姿が目に浮かぶ。そして、いますぐにでも、ハリーを袋に詰めて、クリスマスプレゼントだと言って、届けに行きたい衝動が襲ってくる。
そのとき、力が抜けたかのように、ふう、とダンブルドアが息を吐くのが聞こえて、彼女は顔をあげた。つぎの瞬間には、彼は肩を揺らして笑っていた。

なにか可笑しかっただろうか、と彼女はきょろきょろして周りを見てみたが、とくに変わったことは見当たらない。ダンブルドアはひとしきり笑うと、深呼吸を一度やって、ようやく、「わしもまだまだじゃのう」と泣き声じみた声で言う。
いつの間にか、杖を手にしていた。杖先を指でいじり、目を伏せたまま、「お主はまず、ほかのことを訊ねてくると思ったが」と苦笑している。
何気ない、まるで子どもがいじけているような仕草だったが、彼女の目は一瞬、彼の手元に強く引き寄せられた。自分がためらっていることを自覚しながら、「昨年末、ファッジ大臣が言っていたことですか」と口にする。
「歓迎会の夜、呼び出してくださったときは、その話だと思いました」
校長室を訪ね、ダンブルドアとふたりきりなのを想像していたら、最初に目に留まったのは、こちらを振り返るアンブリッジ先生の姿だった。奥を見ると、ダンブルドアのほかにマクゴナガル先生とスネイプもいる。肩透かしを食らい、期待が外れたのだと悟り、随分がっかりした覚えがある。
でも、と彼女は首をすくめてみせた。「私は、ダンブルドアが話してくださるまで、待ちますから」
あと少しくらい辛抱もできます、と冗談めかして言うが、ダンブルドアの微笑みは動かない。その、目の細め方が、眼差しが、どういうわけかこちらを探り、吟味するような真剣さを帯びていた。
「私は、ここにいていいんですよね」と確認してしまう。

彼女を指差し、まるで糾弾するかのようだったファッジ大臣を思い出すたび、同時に、彼女はホグワーツに必要だと言ってくれたダンブルドアを思い出すのだ。

「もちろんじゃよ」

自分を見つめてくる、輝く青い瞳は相変わらず美しかった。見つめ返しているうちに、彼女の意識がその瞳の中に吸い込まれる。うねりに身を任せていると、ずっと昔の記憶が唐突に甦ってきた。
伸びやかな青空が、絶えず風に揺れる桜の木が、儚げに舞う花弁が実際、あの場面に帰ったかのように現れる。暖かな陽気を浴び、ダンブルドアの銀髪がほとんど透明に近く輝き、見慣れているはずの、うちの庭は、彼がそこに立っているだけでざわめき立っていた。
十一になったばかりの彼女は、どうして、と不思議に思う。どうしてみんな、この美しい木を、そんな哀しそうに見上げるのだろう。
……どうしていま、あのときのことを思い出すのだろう。
「いずれ」というダンブルドアの声に、はっと我に返る。

「いずれ、話さねばならぬ。お主の役目について」
「役目」

ダンブルドアがその言葉を選んだのは偶然なのか、彼女は、昨年末に偽ムーディさんに眠らされていたあいだにみた夢を思い出さずにはいられなかった。
「リリーも、同じことを言っていました」
「リリーが?」ダンブルドアが眉をひそめる。そんなふうに動揺をあらわにするところを見たことがない。
「私はまだ、自分の役目を果たしていないらしいです」
彼女はそこで、リリーがそう言ったのは生前ではなく、妙に現実味に満ちた、しかしあくまで夢の中だったことを説明した。
「そうかね」とダンブルドアは自分の顎を手で撫ぜた。頭を回転させ、深い森の中で道筋を見つけ出そうとしている。そうして、少し考えてから、「それならリリーは、お主にこうも言っておったじゃろう」と続けた。

「なにがあっても、生きろ、と」

え、と彼女の口から声が漏れる。混乱もした。
警戒していなかった部分に踏み込まれ、狼狽を隠す余裕もなかった。
「どうして」かろうじて、声に出す。「どうしてそれを」
頭を必死に働かそうとするが、リリーの寂しげな表情がどうしても引っかかり、気づけば、そのことばかり考えている。
崩れていく大広間を、リリーは静かに見上げている。あれはただの夢だ、と打ち消そうとすればするほど、最後の最後、「約束して」と告げた切実な想いが、遠く離れた場所から、「生きて」と願うことしかできない、リリーのやりきれない気持ちがまるで自分自身のもののように感じられ、リリーがそう願うならなにがなんでも叶えねばという、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような狂おしい思いに駆られるのだ。
知らずに、自分の胸に手を当ててしまう。中にだれか、涙をなんとか堪えて震えている、泣き虫な何者かが入り込んでいるのではないかと思う。
彼女は顔を戻した。が、ダンブルドアと目が合ったとたん、いつものように、出かけていた言葉を飲み込みそうになった。
彼の微笑みが、まるで一枚の大きなベールのように広がり、彼女の進行を阻もうとする。薄く、柔らかいのに、手で払おうとしても上滑りして、受け流され、空回る。
その向こうに、重要ななにかが、あるいは答えそのものがあるはずなのに。
彼女は己を奮い立たせると、挫ける前にどうにか、「なにがあるんですか」と声にできた。

「ダンブルドア、私の役目って……」

そこで、だった。彼女の背後で扉を叩く音が鳴った。
ダンブルドアが杖を手に取り、振ると、扉が開き、マクゴナガル先生が部屋に入ってくる。ハリーとロンを連れて、三人が続けて部屋の中に踏み入ったとき、彼女は思わず、歴代の校長たちの肖像画を見上げていた。
彼らは新たな訪問者を一目、確認しようと首を伸ばしていたが、彼女が見ていることに気づくと、慌てて寝たふりを試みる。彼女は困惑した。
残念、時間切れだ。意地悪なだれかが、どこかで、そう呟いた気がしたのだ。

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