10 ライオンと蛇

私がここにいる意味はない、と思う。なら、これも私を審査するためのものなのだろうか。結果はいつ知らされるのだろう。
クィディッチの競技場で、観客席の一番、端の席に彼女はいた。右隣には、アンブリッジ先生が座っている。スリザリンを応援しているのか、羽織っているツイードのマントは、鮮やかな緑色だった。
助手ということで、こうして連れ出され、となりに座らされているが、せっかく城の外にいられても、執務室でふたりきりでいるときのように息苦しかった。
アンブリッジ先生は恐らく、彼女が闇祓いだったことを知っている。そして、彼女の記憶がたしかなら、先生は、闇祓いを忌み嫌い、ただの道具のように思っていたはずだ。校長室で、はじめまして、と挨拶をされたので、相手は覚えていないのかもしれない。
しかし、アンブリッジ先生の考えはいまも変わらず、助手や召使いとしてではなく、自分の駒同然のように彼女を扱おうとしているのが、伝わってくる。

競技場の上空に意識を戻す。十一月の、真珠のように白く、明るい空だった。気温もぐっと下がり、ホグワーツを囲む山々は雪をいただいている。太陽の光が直接、目に入らないため、視界も良好で、選手たちの調子もよさそうだ。
彼女はすでに、目まぐるしく変わる、試合の形勢を追うのは諦めて、空中に飛び交う選手たちを眺めているだけだったが、スリザリン・チームのシーカー、ドラコの髪はとくに輝き、よく目についた。
クアッフルが、グリフィンドールのゴールポストに近づくたび、スリザリン生の観客席から大きな歌声が立ち上がっていた。

♪ウィーズリーは守れない 万に一つも守れない
だから歌うぞ、スリザリン ウィーズリーこそ我が王者

スリザリン・チームに点が入り、リー・ジョーダンの解説のような檄が、鳴り響いている。

スポーツマンシップってなんだろう、と彼女は心の中で首を傾げる。
クィディッチ杯が近づく前に、最初に仕掛けたのは、マクゴナガル先生だった。
自身が授業をしている間も、アンブリッジ先生は、なにかと用事を言いつけてくるので、彼女は防衛術の執務室にいるとき以外、職員室や図書館を行ったり来たりすることが多かった。
そうして、言われたことだけを単調に繰り返していると、頭が考えることをやめて、心まで空っぽになっていくような感覚にしばしば陥った。気づけば、頭を振って立ち返るのだが、知らぬ間に一日の業務が終わっていることもある。疲れだけが溜まっていく。
その日は、アンブリッジ先生の教育方針に沿って、マダム・ピンスに嫌がられながら、図書館の本を選別していた。
マダム・ピンスは、自分の領域を荒らされるだけでなく、アンブリッジ先生の細かいチェック項目にも、「いっそ、すべて禁書にしたらいかがですか」と憤慨し、当然だが、協力してくれる気配はなかった。本の山に埋もれていると、人目を忍ぶように、マクゴナガル先生が寄ってきたのだ。

「どうされたんですか?」
「クィディッチ競技場の予約をしにきました」
「それなら、マダム・フーチが……」
「競技場の管理は、今年からあなたです」
「はい、え?」突然の指名に、驚く。
「あなたでないと、困ります。セブルスが毎年、スリザリン・チームのために競技場の予約を独り占めするのですよ。あなたなら、セブルスも予約を取りにくいでしょう?」
「そ、それだけのために私が、予約の管理を?」
「それだけのため?」マクゴナガル先生の四角い眼鏡のレンズが反射して、厳格そうに光る。
「私はもう、優勝杯が自分の部屋にあることに慣れてしまっています。セブルスに渡したくはないんです」と胸を張った。

「セブルスがきても、常識の範囲内で対応するのですよ」

彼女は予約用の日程表を受け取った。
相手の弱味に付け入るなんて、普段のマクゴナガル先生では考えられない。彼女が学生だったころから、クィディッチが絡むとマクゴナガル先生まで人が変わるようだった。
それに今回は、アンブリッジ先生がグリフィンドールにだけ、クィディッチ・チームの再結成の許可を出し惜しみしたので、マクゴナガル先生も死に物狂いだったのではないだろうか。ダンブルドアに直談判して、ようやくアンブリッジ先生に認めさせたらしいが、先生は、そのことにひどく腹を立てていた。つぎの瞬間には、ぞっとするような笑みを取り戻し、執務室でファッジ大臣と連絡をとっていたので、恐らくまた、新たに教育令が発令されるのだろう、と彼女は見ていることしかできなかった。

でも、たしかに、私に自分から声をかけるなど、スネイプにとっては拷問かもしれない。やってこないかもしれない、と思った。が、つぎの日、図書館で引き続き作業をしていると、彼女の前にあっさり、スネイプが現れた。

「競技場の予約だが」
「うん、いつにする?」

用意しておいた、日程表のファイルとペンを構える。スネイプは、この先の週末をすべて指定してきたので、「それは」とさすがに彼女もためらった。

「ちょっとやりすぎでは……」
「そうか」

猫が足元にすり寄ってくるような、しおらしさだった。動揺して、日程表が手から滑り落ちた。スネイプは当たり前のように、彼女の代わりにファイルを拾うと、相変わらず不機嫌だが、「おまえなら、我輩の力になってくれると思ったが」と残念そうに口にする。
スネイプの言葉が、口ぶりが、矢のように胸に刺さり、亀裂があっという間に崩れ落ちると、長年、持て余している想いが決壊を起こした。一気に飲み込まれ、もちろんいつだって、力になるよ、というように、「わかった」と言わずにはいられなかった。頭が完全に、のぼせていたとしか思えない。
日程表の週末をスリザリンで埋めたとたん、だ。ふん、と嘲るように鼻で笑うのが聞こえてきた。
顔をあげ、親しげだったスネイプが夢のように消えているのを見て、目が覚める。懐いたと思った猫の頭を、撫でようとしたら、思いきり手を引っ掻かれた上に、最後は餌だけ取られた気分になった。
「マクゴナガルがわざわざ、おまえに管理を任せたのに、こんな簡単でいいのか、そんなに単純で大丈夫なのか」心配などしていないくせに、スネイプが言ってくる。むしろ、軽蔑しているのだろう。
「う」と言葉に詰まるものの、馬鹿にされている、と愕然するより、クィディッチのためにここまでするの、と爽快でさえあった。

「確信犯だったんだ」
「マクゴナガルの思いどおりにはならん」
「弄ばれた……」
「人聞きの悪い言い方をするな」

スネイプが去ったあと、共有していた日程表の更新後を見たマクゴナガル先生が、すぐに乗り込んできて彼女は、こっぴどく怒られた。なぜかマダム・ピンスは止めにこなかった。
寮監の子どもじみた、しかし熾烈な駆け引きに巻き込まれ、疑問はますます深まる。スポーツマンシップって、なんだろう。

一際、大きな歓声が競技場に沸き起こり、笛の音がつんざした。どうやらハリーがスニッチを取ったらしい、のに、グリフィンドール生からは野次や怒号があがっている。審判のマダム・フーチが空中で、スリザリン・チームのビーターを激しく叱っており、観客の注目を集めていた。
なにか反則があったのだろう、とふと視線をピッチのほうへ落とした先で、箒から降りたばかりの選手たちが、なにやら集まっていた。
彼女は、鞭で打たれたみたいに、座席から立ち上がった。ハリーと、双子の片割れがなにかの拍子に、そばにいたドラコに飛びかかったのだ。周りの選手が必死に引き離そうとするが、ふたりがかりで馬乗りなって、拳を振り回している。マダム・フーチは、というと、箒の上でまだスリザリンの選手を叱りつけていて、地上の騒ぎに気づかない。
彼女は、身体を乗り出そうとするが、右腕を、立ち上がると同時に、となりのアンブリッジ先生に掴まれていた。大振りの指輪が食い込むほどの強い力で、座れ、というように引っ張ってくる。
「先生、手を……」
振り向くと、アンブリッジ先生は目を見開き、ハリーたちの騒動を食い入るように見ていた。
いますぐ彼らを止めるべきなのに、なぜ、腕を掴んでくるのか、わからない。
「そうよ、もっとおやりなさい」先生の唇から、甘い囁き声が漏れる。

「悪い子ね、ポッター。わたくしが、もう二度と空を飛べなくしてあげるわ……」

アンブリッジ先生の顔は、最高の獲物を目前にした獣のように、恍惚とさえしている。口の両端が裂けたように広がる笑みは、本当に蛙のようだった。

その日、教育令第二十五号が宣言された。

アンブリッジ先生が、生徒に関する罰則のすべての権限を手に入れたのだ。


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