05 監督生のバッジ

夏休み最後の夜は、ちょっとした立食パーティーが開かれた。とはいえ、ロンが監督生に選ばれて、ウィーズリーおばさんが大いに張り切ったことは、テーブルに載せきれない手料理の数々でもわかる。知らせを聞いた、ウィーズリーおじさんとビルは、飛んで帰ってきたし、ムーディ、トンクス、キングズリー、マンダンガスなど、騎士団のメンバーも続々とやってきた。厨房にこんなに人が集まるのは、ハリーがここにやってきた夜以来だ。
人と関わるのを遮断していたシリウスが、パーティーに参加してくれたのは、ハリーもうれしかった。シリウスの顔を見ないまま、ホグワーツに帰るのは、どうしても嫌だった。

「新しいグリフィンドール監督生、ロンとハーマイオニーに」

ウィーズリーおじさんが乾杯の音頭をとり、みんなと一斉にグラスを掲げる。だが、そのグラスを空にする前に、ハリーは厨房から逃げるようにして、飛び出してきてしまった。
晴れてホグワーツに帰れる喜びも、ハリーの中から完全に消え去ろうとしていた。ロンやハーマイオニーと一緒に、ホグワーツに帰れるなら、ほかにはなにもいらないとさえ思っていたのに、なぜか心が痛んでいる。
友人が監督生に選ばれ、疎外感を覚えるせいだろうか。ホグワーツに入学以来、ハリーはロンより多くの試練を乗り越えてきたはずなのに、ダンブルドアは、ロンのほうが監督生に相応しいと判断したのだ。ダンブルドアには彼なりの考えがあるはずだ、とだれもが口にするが、ハリーはそのダンブルドアとずっと話せていない。尋問のときだって、駆けつけてきてくれたのに、ハリー本人には声をかけるどころか、目もくれなかった。
子どもじみた思いを認めたくなくて、ハリーは首を振った。すると、頭の奥から転がりでてきたみたいに、両親の顔が浮かんだ。
パーティーのさなか、ムーディがハリーを呼び、不死鳥の騎士団創立メンバーの写真を見せたせいだ。ムーディは、好意でそれを見せてくれたのだろうが、笑顔で手を振る両親の姿に不意を突かれ、ハリーは胃がひっくり返りそうだった。
両親だけではない。写真に映っているひとたちは、みなが幸せそうに笑っていた。かけらしか見つからなかったベンジーも、英雄として死んだギデオンも、気が狂うまで拷問されたロングボトム夫妻も。彼らは、彼らを待ち受ける暗い運命を知らないで、笑っている。残された者へ向かって、永遠に手を振りつづけている。その中には、ワームテールの姿もあった。
厨房に戻る気になれず、今夜はもう部屋で休もうと思ったとき、最初の踊り場に近づくと、客間からすすり泣くような声が聞こえてきた。
暗い壁際にだれかがうずくまっている。
「ウィーズリーおばさん?」そういえば、おばさんがハリーより先に、欠伸をしながら部屋へ引き上げていったのを思い出す。ムーディのお墨付きをもらったので、文机のまね妖怪を片付けるとも言っていた。
部屋に足を踏み入れた瞬間、ハリーは急に足元の床が抜け落ちるような感覚に襲われた。埃っぽい古い絨毯の上に、ロンが倒れていた。
死んでいる? 待てよ、そんなことはありえない。ロンは下の階で、買ってもらったばかりの新品の箒を、いまも誰彼かまわず自慢しているはずだ。

「リ、リ、リディクラス……!」

おばさんが、泣きながら震える杖先をロンの死体に向けた。パチン、という音と同時に、ビルの死体に変わる。「いやっ」またパチンと鳴る。今度はウィーズリーおじさんの死体が現れる。虚ろな目を見開き、頭から血を流している。ウィーズリーおばさんは、ますます激しくすすり泣いた。
おばさんがリディクラスを叫ぶたびに転がる死体は、しかしおばさんと親しいだれかの死体に変わていくだけだった。
「おばさん、ここから出て!」ハリーは、自分の死体を見下ろしながら、おばさんの肩を支えた。

「だれか、ほかのひとに……」
「どうしたの?」

背後で声がしたとき、仰向けで倒れていたハリーの死体が、わずかに動いた。翡翠玉のような不気味な瞳が、薄暗い客間に入ってきた彼女を捉えると、風に巻かれるようにしてハリーの死体が消え、パチン、と音が鳴った。
彼女とハリーたちのあいだに、背の高い青年が立っている。
ハリーの額に痛みが走った。ドン、という破裂音が響き、床が震える。ハリーがバランスを崩しているあいだに、青年がいた場所には銀白色の球が漂い、煙となって呆気なく消えていた。

「いまの、まね妖怪?」

うるさそうに煙を手で払っている彼女に、動揺した様子はない。が、まね妖怪が消えても、客間の空気は凍りついていた。
「どうした?」物音を聞きつけて、リーマスが急いで駆けこんできた。シリウスとムーディも一緒だ。
「まね妖怪を退治してた。もう終わったよ」
あぁ、とリーマスが沈んだ声を出す。「モリー、恐ろしいものを見たんだね」
リーマスに身体を支えられると、ウィーズリーおばさんは堪えきれず、両手に顔を埋めて、激しく泣きだした。

「わ、私……」
「大丈夫、ただのまね妖怪だよ」
「私、いつも、みんなの死、死が見えるの……! 夢に見るのよ……!」

シリウスは、ウィーズリーおばさんの様子を見つめていた。ムーディはハリーを見ていた。目が合ったとき、ムーディの魔法の目は、厨房からずっとハリーを追ってきていたような気がした。
「アーサーには、い、言わないで……」嗚咽しながら、ウィーズリーおばさんがリーマスの肩にしがみつく。
「私、し、心配なの……子どもたちを本当は、ホグワーツにだって行かせたくないわ、離れたくない……なにが起こるか、わからないもの……もし、もしなにか恐ろしいことが、お、起こって、それっきりになったら……」
涙に濡れたおばさんの瞳が、そこでなにかに気づき、見開いた。自分が「恐れているもの」を思い出し、震えているのだろうと思ったが、ちがった。
おばさんの手が、引き寄せられるようにゆっくりと持ち上がって、空中へ伸ばされる。

「お願い、お願いよ……」
「モリー?」
「子どもたちを守って……」

おばさんの腕の先には、彼女が立っていた。

「あなたなら、ねぇ、守れるでしょう?」
「モリー、それは……」
「ど、どうして? だ、だって、ホグワーツにいるあいだ、私たちはそばにいられないじゃない……!」
「ホグワーツには、ダンブルドアがいるじゃないか」
「あの方はお忙しい身だわ! ミネルバや、スネイプだって、うちの子たちだけを見てはいられないでしょう? もしなにかあったときは、あなたが……」
「しかし、なにも彼女ひとりに……」

必死に落ち着かせようとするリーマスを遮ったのは、彼女だった。「はい、もちろん」彼女はウィーズリーおばさんの手を両手で力強く握り返し、そばにひざまずいた。

「もちろん、子どもたちを傷つけようとする者がいたら、だれであろうと、私が守ります」
「ほ、ほんとうに? きっとよ……」
「はい」

安心したかのように、ウィーズリーおばさんの目から涙が溢れ、彼女に微笑んだ。「あなたの手って、とても冷たいのね」
それから、彼女に支えられながら、おばさんはなんとか立ち上がり、自分の部屋に戻った。ウィーズリーおじさんに腫れた目元を気づかせないために、パーティーを長引かせることまで、彼女と約束していた。
「ハリーも、平気かい?」
リーマスが、ハリーの青白い顔を覗きこんでくる。なにか言い返す前に、シリウスがリーマスを呼び、一言二言やりとりすると、ふたりも客間を出て行った。
こんなに一気に年をとったように感じたことはなかった。少なくとも、だれが監督生バッジを受け取ろうが、いまとなっては大昔のことのようで、どうでもよくなっている。
「安請け合いしおって、あいつの悪い癖だ」とムーディは呆れていた。

夏休みに入ってからというもの、ハリーの額の傷は、廊下を歩き、鍵のかかった扉の夢を見ると決まって痛むようになっていたが、たったいまハリーを襲った痛みは、しかしムーディに訴えるべきだろうか。
魔法の目が、ずっとハリーを追っていたのなら、ムーディも、彼女の前に現れた青年を目撃しただろうか。
ハリーは、あの青年を知っていた。会っている。二年前、ホグワーツの秘密の部屋で。
あのときの死闘が蘇り、目の前が点滅する。
間違いない。あれは、トム・リドルだ。ホグワーツ生だったときの、ヴォルデモートだ。
なぜ彼が、彼女の目の前に現れたのか、ハリーが混乱しているうちに、ムーディの姿はいなくなっていた。


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