03 武器

「また会えて、嬉しいって」ハリーの部屋を離れると、彼女が歌うように言った。「よかったね」
居心地の悪さを感じながらも、シリウスは、階段を上る彼女のあとをついていく。
寝る支度をしているのであろう、屋敷のどこかから、かすかな物音が聞こえる。椅子のようなものを引きずる音や、滑りが悪くなった引き出しを閉める音。しかし、それでも、いまのシリウスの孤独を慰めることはできなかった。

「明日からは、ハリーも手伝ってくれるだろうし、シリウスも手伝ってね」
「なにを?」
「大掃除」
「好きにしてくれ」
「掃除と言えば、私が使ってる部屋の隣だけど、あの部屋は本当に後回しでいいの?」

「あぁ」シリウスの目に、まだ埃っぽく、天井の近くには蜘蛛の巣もかかったままの扉が浮かんだ。

「あぁ、後回しでいい」
「どうして?」
「あそこは、レギュラスの部屋だった」

一瞬の間があった。前を向いたまま、確かめるように、「弟くん」と彼女が口にした。

「覚えてるんだな」
「そんな簡単に、忘れないよ。シリウスの弟だって言われるまで、気づかなかったけど」
「兄弟仲もよくなかった」
「知ってる」

でも、いい子だったよね、と軽く笑うので、なんとも反応に困る。おまえから見れば、だれだって、「いい子」になるのではないか。

「きょうは、帰りが遅かったな。会議があることは知っていただろう」
「病院はいつ行っても混んでるから」
「会議に、スネイプも出ていた」
「元気そうだった?」
「知るか。スネイプのことはどうでもいいんだ」
「シリウスが言い出したんじゃない」
「会議にはちゃんと出席しろ」
「そうだね。気をつける」
「ハリーもおまえを頼りにしてるんだ」
「シリウスのことも、頼りにしてるよ」
「私はなにもできない」
「そばにいてくれるだけで、助けになるときもある」

どういうわけか、寂しそうに微笑みながら、彼女が階段の踊り場で足を止める。これ以上、なにを言っても、言い返してくるつもりなのだろう。
シリウスは諦め、自分も寝る準備をしようと、もうひとつ上の階へと、階段に足をかけた。

「シリウス」
「なんだ」
「今夜もバッグビークの部屋で寝るの?」
「だめか?」
彼女の口元が、言いにくそうに歪む。「あの部屋にはベッドがない」
「私は十二年もアズカバンにいたんだ。ベッドの上より、あの子の部屋のほうがよく眠れる」
「そうかもしれないけど」
「おまえも、モリーのように説教するのか。獣臭いのがそんなに気になるか」
「ちがうよ」
「あいにく私は、半分は犬だ。あるいは、そうだな、監獄の臭いが肌に染みついているのかもしれない。何度か風呂に入ったところで……」
「シリウス、私に喧嘩を売っても、無駄だよ」

彼女は毅然とした言い方をする。自分の苛立ちを自覚し、たまらず目を逸らした。
彼女は、私を慰めたいのだろうか。憐れみをかけられるほど、惨めな思いをするというのに。
モリーも最初はそうだった。ピーターのことを知り、シリウスにわかりやすい同情を寄せてきた。
とても一般的な反応だったと思う。だが、自分だけのもののはずの思いや、感情を好きなように想像され、訳知り顔で気遣われ、すぐに嫌気が差した。
世間の誤解が解け、手のひらを返されても、きっとシリウスの傷は癒えない。だから、どんなに親切にされても、鬱陶しいのだ。

「ただ、シリウスがいまの状況に不満があるのは見ていてもわかるけど、態度じゃなくて、話してほしい」
「なにを話せばいい? おまえに話して解決するのか?」
「気持ちが落ち着くかもしれない」
「この家にいる限り、無理だ。私のことは放っておいてくれ。おまえに私の気持ちなどわからない」
「シリウスは、私の気持ちがわかるの?」

それからシリウスは、なにも言わず、その場を立ち去った。階段を上る足音につづき、扉の開閉音。残された彼女はひとり、やるせない気持ちでため息をついた。
いまのはたぶん、彼を傷つけた。
話し相手になれれば、と思ったのだが、いまのシリウスは、近づこうとすればするほど、傷つけてしまうらしい。
不自由な生活が、彼の目を曇らせているのかもしれない。でも、シリウスも、ハリーの笑顔を見たはずだ。
自分の部屋に向かう途中で、ふと思い出し、廊下の奥に目を凝らした。明かりがないので、薄暗い暗闇のなかに、ぼんやりと扉が見える。
「あそこはレギュラスの部屋だった」
シリウスの兄弟なのだから、彼の部屋もあって当然だろう。
忘れていたわけではない。むしろ、ちゃんと覚えている。

『先輩』

スネイプといい、スリザリンの生徒は、人前で笑うと死んでしまう呪いにかかっているのかもしれない。
でも、一度だけ、彼の笑顔を見たことがある。

『先輩に、言っておきたいことがあるんです』

首を横に振り、頭に浮かんだ柔らかい笑みをふるい落す。
彼女が部屋に入ろうとしたところで、廊下の奥から軋むような物音がした。
慌てて顔を戻すと、扉がわずかに開いている。不審に思い、ふと視線を下に向ければ、レギュラスの部屋から出てきたしもべ妖精が、恨めしげな目で彼女を見上げていた。

「クリーチャー?」

ブラック家の年老いたしもべ妖精は、騎士団員や子どもたちと出くわすたびに慇懃無礼な態度であからさまな悪態をつくのだが、彼女についてはじっと見つめてくるだけで、なにも言ってこない。彼女自身、それが不思議でもあった。かといって、会話ができるわけでもない。
神経質そうに背中を丸め、彼女の横を通りすぎていく。おやすみ、と声をかけたが、やはり返事はなかった。


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