02 先発護衛隊

なにもかも目撃したのは、たった自分だけのはずなのに、それからなにも知らされず、四週間もプリベット通りに缶詰めにされつづけてきた。
なにかひとつ、一言でも自分が属する世界の情報が拾えないかと、ダーズリー家の人間から隠れてテレビのニュースを聞いたり、ごみ箱から新聞を漁ったりしたが、夏の気だるい静けさを破ったのは明らかにハリーを狙った、吸魂鬼の襲撃だった。
隠れ穴に箒で飛んでいきたいのを何度も我慢した褒美が、ホグワーツの停学処分と魔法省での尋問だというのか。
それから数日後、ハリーが一ヶ月も前から待っていた迎えがプリベット通りにやってきた。
ルーピンやムーディなど数名の魔法使いにグリモールド・プレイス十二番地へ連れてこられて、ロン、ハーマイオニーと再会できたが、なにもかもが遅すぎる。自分の知らなかったことを、“不死鳥の騎士団”やその活動のことを説明されるうちに、ハリーの怒りはついに爆発した。

「僕たちも、全部を知ってるわけじゃない! ママが僕たちを騎士団の会議から遠ざけてるし、きみもここに連れてこられないかって、ダンブルドアに何度も頼んでみたんだ!」
「ハリー、ほんとうに、ごめんなさい! 私があなたなら、きっとカンカンだわ!」

ロンを唖然とさせ、ハーマイオニーを泣かせても、怒りはしばらく収まらなかった。自分がなにも知らされなかったのはダンブルドアの指示であるという揺るぎない事実に、ハリーの心はなによりも深く傷つけられたのだ。
それでも、フレッドやジョージ、ジニーが部屋にきてくれたのもあって、ウィーズリーおばさんが夕食の時間だと子どもたちを呼びにくるころには、ハリーの癇癪もだいぶ落ち着いていた。怒りや恨みつらみの矛先が、いまここにはいないダンブルドアに向いたせいかもしれないが、ロンとハーマイオニーに散々怒鳴ってしまったことをひとり、恥じ入った。
謝ろうとするハリーに、ハーマイオニーは最後まで気遣わしげに言った。

「あなたが怒ることはわかってた。無理もないわ。でも、わかってほしい。私たち、ほんとに努力したのよ。ダンブルドアを説得するのに……」

そうしてやっと、ハリーは自分の胸に冷たい風が吹きすさぶだけではないことに気がついた。ダーズリー家から解放され、ようやくみんなに会えた喜びと安堵を実感する。にわかに期待も芽吹いた。
厨房に行けば、そこにはシリウスもいるだろう。彼女はどうだ? いや、いないはずがない。不死鳥の騎士団の設立者は、ダンブルドアなんだから。
彼女の顔を見れば、ダンブルドアが残していったこの嫌な気分も晴れるにちがいない。
そう思ったのだが……。

「ストップ!」ロンが声をひそめ、片腕を伸ばしてハリーとハーマイオニーを押し止めた。
「みんな、まだホールにいるよ。なにか聞けるかもしれない」

ハリーは、階段の手すりから慎重に身を乗り出し、階下の薄暗いホールを覗き込んだ。
いくつもの囁き声が聞こえる。大勢が下に詰め寄せているみたいだ。ハリーの護衛隊だったひとも何人かいて、グループの真ん中には、スネイプの姿があった。
「スネイプは絶対、ここで食事しないんだ」ロンが小声で教えてくれる。「ありがたいことにね」
「スネイプも騎士団のメンバーらしいけど、ここでなにをしているんだろう」
「さぁな。聞いたって、だれも教えてくれないよ」
「あなたの護衛じゃない?」ハーマイオニーが言うが、自分も知らないうちにスネイプに見守られていたのかと思うと、ハリーはぞっとした。

「みんな、玄関のほうに行ってしまったわ。フレッド、ジョージ、“伸び耳”をしまって。私たちも厨房に行きましょう。ハリー、ホールでは声を低くするのを忘れないでね」

しもべ妖精の首がずらりと並ぶ壁の前を通り過ぎるとき、ルーピン、ウィーズリーおばさん、それにニンファドーラ・トンクスが玄関の戸口にいるのが見えた。
トンクスもハリーの護衛隊だったので、自己紹介はすでに済ましてある。七変化のトンクスの髪は、プリベット通りのハリーの部屋で変身してみせたときのまま、風船ガムのピンク色だ。
「あらあら」ウィーズリーおばさんが小声で叫んだ。ほとんどの騎士団のメンバーが出ていったあとで、玄関の扉が外側から開いたのだ。

「すみません、遅くなりました」

聞き覚えのある声が聞こえて、ハリーはいまのが自分にだけ聞こえる空耳ではないことを確認するために、ハーマイオニーを見た。
ハーマイオニーも顔を綻ばせていた。

「どこまで買い物に行ったのかと、心配していたのよ」
「いろいろと寄るところがあって……」
「会議も終わってしまったし、ハリーもとっくに到着しているわ」

ウィーズリーおばさんが身体を避ける。買い物袋を抱えた彼女が立っており、目が合う。眠たげな目がわずかに見開かれ、すぐに柔和な表情に変わった。
あれ? 一目見て、ハリーは違和感を覚えた。
彼女が着ているのが、ホグワーツで見るような白のシャツブラウスではなく、長袖のカーディガンを羽織っているからだろうか。しかし、ハリーは彼女の私服姿を何度も見ている。
彼女を見た瞬間、ほんの一瞬、ハリーの心はチクッと痛んだような気がしたのだ。
先学期、彼女は医務室でハリーと約束した。「またすぐ会えるよ」と。「そのときは、迎えに行くから」と。約束は守られなかった。気にしていないつもりだったが、彼女が護衛隊にいなかったことを根に持っていたのかもしれない。
それでも、安心したかのように微笑む彼女に、ハリーも自然と微笑み返していた。
雨が降ったあとの地面に陽が射し、じめじめした空気を雲散霧消させるかのようだった。胸に温かな光が灯り、その光に癒される。

「ハリー、無事に着いてよかった」
「ついさっき、着いたんだ」
「箒で飛んできたんだね。髪がくしゃくしゃ」

くせ毛は元からだし、さっきまでこれ以上ないほど怒りをあらわにしたせいかもしれず、ハリーは気恥ずかしくなってうつむく。彼女が玄関を通り、ルーピンたちは扉の錠前や閂をかけはじめている。

「迎えに行けなくて、ごめんね。私……」

そう言いながら、トンクスの前を通りすぎたときだった。なぜかじっと彼女のことを見ていたトンクスの両手が、素早く動いた。「……え?」
彼女の顔を両手で掴み、自分のほうへ無理やり、向かせている。と思えば、角度を調整するかのように彼女の首をあちらこちらに振り回すので、膨らんでいる買い物袋から林檎が一個、床に落ちた。
「やっぱり!」トンクスがとつぜん、大声を出す。みんなも驚いて、振り返った。

「ずっと、どこかで見たことがあるなって思ってたの! 闇祓い局で、キングズリーと会ってたでしょう?」
「いま、思い出したのかい?」ルーピンが顔をひきつらせた。トンクスたちではなく、壁にかけられた虫食いだらけのビロードのカーテンに視線が注がれており、ウィーズリーおばさんまで頭を抱えている。
「やっちまったな」
ハリーの背後で、ロンがうんざりしたような声で、ぼそっと呟くのが聞こえた。

「ほら、私って人の顔とか覚えるの苦手だから。でも、いまやっと確信……」

トンクスは、でもまだなにか言おうとしていたと思う。が、それは耳をつんざき血も凍るような、恐ろしい叫び声に呑み込まれてしまった。

「穢らわしい! くずども! 塵芥の輩! 雑種、異形、できそこないども……!」

ハリーはびっくりして、反射的に両手で耳を塞ぐ。ホールに反響する叫び声の出所を探すと、例のビロードのカーテンが開かれていた。
目をぎゅっとつぶる前に見えたのは、よだれを垂らし、白目をむいて叫んでいる、いままで見たなかで一番生々しい、老女の肖像画だった。


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