27 痕跡

ダンブルドアは、意識を失ったアラスターの身体を蹴り上げ、顔がよく見えるようにした。あとに続いて入ってきたセブルスが、アラスターを一瞥するだけで、注意深く室内を見回す。目星をつけたかのように、自分の顔が映しだす敵鏡を覗き込んでいる。
一方で、ミネルバは、まっすぐにハリーのところへ向かった。
「さぁ、いらっしゃい。ポッター」薄い唇が、いまにも泣き出しそうに震えている。

「医務室へ行きましょう」
「待つのじゃ」

ダンブルドアは鋭く言うと、たちまちミネルバの表情が引き締まった。

「アルバス、この子をごらんなさい。今夜一晩で、もうどんな目に遭ったことか……」
「ハリーはここに留まるのじゃ、ミネルバ。彼に納得させる必要がある。納得してこそ、はじめて受け入れられるのじゃ。受け入れてこそはじめて、回復がある。ハリーは知らねばならん」

「ムーディが」戸惑いながらも、ハリーが言葉を発する。部屋の奥を眺めていたセブルスも、彼を振り返った。
ハリーは、まだまったく信じられないといった様子だったが、突然現れたダンブルドアたちに安心して、気が抜けたようだった。

「いったい、どうしてムーディが?」
「こやつはアラスター・ムーディではない」

ぐったりしているアラスターの上に屈み込み、ダンブルドアはローブの中に手を入れた。指先に固いものが触れ、携帯用酒瓶を掴む。

「ハリー、きみはアラスター・ムーディに会ったことがない。本物のムーディなら、今夜のようなことが起こったあとで、わしの目の届くところからきみを連れ去るはずがないのじゃ」

酒瓶のふたを開けて、ひっくり返すと、粘着性の強い、濃厚な液体が床に零れ落ちる。「ポリジュース薬じゃ」
零れた液体を見つめるハリーが一瞬、ばつが悪そうな顔をしたのを見逃さない。ダンブルドアはハリーから目を逸らし、部屋の隅に鎮座している、大きなトランクに注目を移した。

「ポリジュース薬を作りつづけるために、ペテン師は本物のムーディをそばに置く必要があったはずじゃ」

ダンブルドアは酒瓶を机に置き、トランクの前に立ち、杖を突き出すと、今度は呪文を唱えなかった。
ふたが勢いよく開き、壁にぶつかった反動で揺れる。中を覗き込もうと前に出るハリーの腕を、彼の好奇心を諫めるようにミネルバが掴んでいる。
トランクの中はたて穴のような、地下室のようなものが見下ろせ、三メートルほど下の床に横たわり、深々と眠っている痩せ衰え飢えた男の姿があった。木の義足も、魔法の目も、白髪交じりの髪も一房なくなっていたが、それが本物のダンブルドアの旧友で、闇祓いだった、アラスター・ムーディにちがいなかった。
変わり果てた旧友の姿に冷たい怒りを感じながらダンブルドアは、「ミネルバ」と隣に声をかけた。

「ハグリッドの小屋に行き、かぼちゃ畑にいる大きな黒い犬をわしの部屋に連れて行ってくれぬか。まもなくわしも行くからとその犬に伝え、それからここに戻ってくるのじゃ」

ミネルバはひとつうなづくと、すぐさま部屋から出て行った。
監禁された人間が衝撃的だったのか、ハリーが雷に打たれたかのようにトランクの中で眠るアラスターを見つめているので、「失神術じゃ」と教えてやる。
「非常に弱っておる。マダム・ポンフリーに診てもらわねばならんが、急を要するほどではなさそうじゃ」
それから、やけに静かな部屋の奥を振り向いたダンブルドアの表情に、困惑がよぎった。

「……セブルス?」

こちらに背を向け、セブルスが見ている窓には、傷があった。ボールのような球体を思いきりぶつけたが、硝子の耐久性のほうがわずかに勝っていた、とでもいうような、蜘蛛の巣を思わせる模様のひびだ。
セブルスの様子が変だった。ダンブルドアの呼びかけに反応しないのだ。
窓のひびを慎重に、指先でなぞっている。ふいに、なにかを辿ってきたかのように彼が振り返る。ただし視線はダンブルドアではなく、ハリーをとらえていた。思い詰めていたようなセブルスの目の色が変わった。

「ポッター」

明らかに叱咤する、低い声が響く。ダンブルドアも不審に思い目をやると、ちょうどハリーは、トランクのふたに両手をかけたところだった。腕に体重をかけるように振り下ろし、止める間もなく、トランクを閉めてしまった。ふたに鍵がかかる。

「ハリー」
「ダンブルドア先生、もう一度、ふたを開けてください!」

ハリーが、トランクから一歩下がる。その言動はひどく慌てていた。
だがそれは、気が狂ったのではなく、彼に突如として与えられた、強い使命感のせいにも見えた。
「どうしたのじゃ」とダンブルドアが訊く。それでもハリーは、ダンブルドアとトランクを見比べ、焦れた目を向けてくるので、ダンブルドアは言われたとおりに杖を奮った。ついさっきと同じように、トランクのふたが勢いよく開く。
すると、だ。内部は構造を変え、アラスターごと、たて穴が消えたのはすぐにわかった。
脇腹を下にし、両腕両脚を重ねて身を屈めている姿は、母親の胎内で生まれるのを待っている胎児ようだ。新たに現れたトランク内部の空間に、意識を失った彼女が、いた。

すかさずハリーが駆け寄る。トランクのふちを掴み、身を乗り出すようにすると、何度も彼女の肩を揺すった。
「先生!」とダンブルドアを呼ぶ。

「彼女が起きない。これも、失神術ですよね。マダム・ポンフリーに診てもらったら、きっとすぐに目が覚まして」
「いいや、ハリー……」

自分の声が、やけに遠く聞こえる。こんこんと眠る彼女の寝顔に、目が釘づけになっていた。彼女が眠っている姿は、ダンブルドアに彼自身の無力さを思い出させる。

「彼女は眠らされておるのじゃ」

ハリーはショックを隠せず、体内で懸命に抑え込んでいた恐れが、その一言で弾けてしまったような表情をした。
ダンブルドアは考えを巡らせる。
ヴォルデモートが復活したいま、必ず彼女に接触してくるだろうとは思っていた。アラスターに化けていた者が、ヴォルデモートの命令に従っていたのなら、彼女を眠らせ、ここから連れ去るつもりだったのだろうか。
その前に阻止はできたようだが、ダンブルドアは安心などできない。
もう彼女に、隠してはおけないのだ。真実を知らせ、自衛させなければならない。
しかし、それを知ったとき、彼女は――。
ダンブルドアの胸の奥で、またあの恐ろしい声がする。

彼女は、このまま眠りつづけていたほうが、幸せなのではないか。

はっとなる。視界の隅から、音もなくセブルスが現れたのだ。隣を横切ったことに、ダンブルドアは気づかなかった。
放心しているハリーを、トランクの前から退くように肩を押す、セブルスの動きは穏やかだった。
身を屈め、背中のマントが床の上に広がる。彼女の肩と膝の下に手を入れると、そのまま持ち上げた。まるで水の中からすくい上げるようだ、とダンブルドアは思う。セブルスのふるまいは、なにか神聖な儀式にも相応しいほどだった。
彼女の寝顔がたくましい肩に寄りかかる。
なにも語らず、そうして部屋を出て行こうとするセブルスを、ダンブルドアは、遠慮がちの咳払いで引き止めた。

「きみの持っている、真実薬のなかで、いちばん強力なものを持ってきてくれぬか。それから、厨房にいるウィンキーという屋敷妖精をここへ連れてきてほしい」

無論、彼女を医務室に届けてからでよい。そう言うと、背中を向けていたが、セブルスはたしかにうなづいた。身体を傾けて出口をくぐり、彼女を抱えたまま部屋を出ていくのを見送る。ひるがえった黒いマントの端が、壁の向こうに消えた。
ダンブルドアは、空のトランクのそばで立ち上がる気力もなさそうなハリーを、気にかけた。ふたりがいなくなった出口をしばらく見ていたが、ハリーはいま目の前で起こったことに関して、口を開くことはなかった。怒りだすことも、呆気にとられた様子もなく、訊かれても困るが、ダンブルドアを問いただす気配もない。
どんな思いを彼は感じているのか、静かに降り注ぐ星明かりばかりでは、ダンブルドアにも推し量れなかった。

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