26 墓地

求めるときは必ずいると、彼女は誓った。
誓いは破られ、裏切られたのは少年だった。
ひとり、影の中を歩きいてきた。瓦礫と燃え尽きた灰だけを残していく少年はいつか、「闇の帝王」と呼ばれるようになった。
星明かりさえ届かなくなっても、少年を呼ぶ声はまだ聞こえてくる。

トム

少年は再び歩き出す。
あの声が呼ぶほうへ、この心が求めるまま。




物音が聞こえなくなっても、ゴーストが大気に溶けだしたかのような霧は、なかなか晴れなかった。銀色がかった濃霧が、暗闇さえ霞め、漂い、墓地全体を果てしなく包みこんでいる。
ルシウス・マルフォイは動けず、神経を研ぎ澄ました。一歩先もまったく見えない状況であった以上に、ハリー・ポッターを逃がしてしまっただろうことが、一瞬で空気を凍らしたご主人様の怒りの雄叫びで悟れたのだ。それから一切、なにも動く気配がないのは、仲間の死喰い人もルシウス同様、冷や汗をかき、立ち尽くしているからだろう。
葉の擦れ合うような音が頭上から聞こえ、それでルシウスは、自分がイチイの木の近くに立っているのではないか、と推察した。敷地に唯一ある木だったから間違いない。
縦に割れ目が走る樹皮で覆われた幹は、大人が腕を伸ばしてもまだ余るくらい、立派な大木だった。枝は上を向いて伸び、全体が円錐形をなしていた。墓場の陰鬱な雰囲気に拍車をかけるため、そこに立っているようにしか見えなかったのを思い出す。螺旋状に生える針型の葉が、風に揺れたのだ。
風は、どんどん強くなる。ルシウスの足元にぶつかり、銀色の渦をつくり、後方へ流れる。羽織ったローブがなぶられ、胴や脚に張りつく。
渦巻く霧の跡を残して、あたりの景色が突然、目の前に現れた。思ったとおり、腕を伸ばせば届きそうな近くに、イチイの木が空を刺すように伸びている。
視界の隅でなにかがもぞもぞと動いたと思ったら、ワームテールが地面にうずくまっているのを見つけ、ルシウスは顔をしかめた。
ワームテールが自ら切り落とした右手の部分には、新しい身体の一部として銀色の手が授けられいる。一見、水銀でできた手袋をはめているだけのようにも見える、その手が、髪の薄い頭を守るようにしていた。
なんて無様なのだろう。同じ死喰い人とはいえ、彼の惨めさは嫌悪せざるを得ない。この男は、対峙するすべての人間に見下されるために生まれてきたのではないだろうか。潰れた蛙みたいな格好から、おそるおそる立ち上がるその姿は、同情に値した。

ワームテールから視線をずらした先で、「トム・リドル」と刻まれた墓が目に入り、はっとなる。ハリー・ポッターを縛りつけていた縄が、墓のまわりにたゆんで落ちている。
周囲を見渡してみる。かしいだ墓石の隙間を埋めるように繁り合った雑草が揺れて、ルシウスの膝を撫ぜる。ただでさえ荒んだ墓場は、数分前より、目に見えて壊滅的な状況になっていた。逃げるポッターを目がけて、死喰い人たちが闇雲に放った呪文が手当たり次第、墓石を壊したらしい。
ルシウスの淡い期待は霧が晴れたいま、はっきりと裏切られた。ポッターの姿が、やはりどこにもないのだ。青年の死体も、星明かりを受けて冷たく光っていた優勝杯もなくなっている。
大きな鍋のそのそばに、あのお方は立っていた。
ヴォルデモート卿。我が君。
最後に見たときと、変わらぬ姿がそこにあった。
すらりとした痩身なのに、貧弱な印象はまったくない。黒いローブから露出した肌は、夜でもほのかに明るく感じられる。そして、血より鮮やかな紅い瞳が、愉快そうに細められていた。
濃霧から解放された死喰い人は、みなが、我が君をただ見つめた。
後退りそうになる踵を、ルシウスは心の中で叱責する。これからいったいどうなるのか、底知れぬ期待と興奮が、恐怖と不安を相手にせめぎあった。

「ひどい顔色だ、ルシウス」

我が君が言葉を発する。自分の発言の力を味わうような、ゆったりとした口調だった。

「……ハリー・ポッターを、取り逃がしました」

にもかかわらず、我が君はもはや怒り心頭しているようではなく、ルシウスは戸惑った。
どうやら、我が君は、自分たちの三歩先を生きているらしい。

「あぁ、あの小僧は、ホグワーツに戻った。死体を連れて」

蛇の目を思わせる紅い瞳孔が、獲物を見据えたように細くなる。
ハリー・ポッターは、闇の帝王の復活を目撃したのだ。
死体はじゅうぶん、証拠になる。
世界がひっくり返る。

「ダンブルドアは信じるだろう」

我が君は、しかしまるで興味がないと言わんばかりに、杖を持ってないほうの手を宙にかざした。指輪をはめた指を眺める仕草に似ている。
蒼ざめた大きな蜘蛛のような手を、ルシウスは美しいと思う。

「しかし、我らの同胞は……」

ホグワーツに送り込んだという、「忠実な死喰い人」のことだ。
我が君の命を受け、ダンブルドアを欺き、炎のゴブレットにハリー・ポッターの名を入れ、この墓場まで導いた者。そして、いまもまだ、ホグワーツに滞在しているであろうその正体を、ルシウスは知りたかった。
我が君に誠意を尽くし、無事に、ホグワーツの外へ出てこられるのだろうか。
すると我が君は、同情するような表情を浮かべた。冷酷だと恐れられる一方で、自分の配下の者を想うとき、こういう表情をする。ルシウスは恍惚とした優越感を味わった。
自分たちは、純血主義という思想のもと、庇護されている、とさえ思えた。

「俺様は、やつを送り出す前に訊ねたのだ」

主人のためにあらゆる危険を冒す覚悟があるのか、と。ルシウスには、否応なしに答えがわかった。
忠実な死喰い人なら、その命はだれのためでもない、我が君のためにあるのだから。

「たとえ生きてホグワーツから出てこられないことになっても、やつの本望だろう」

ルシウスは、死喰い人たちはただ見つめるだけだった。だれひとり身動きしない。声も出さない。
我が君は点検するように、愛しむように、飽きず自分の身体を眺めている。
肉体を取り戻した闇の帝王は、つまり、役目を終えた者は放っておけばよいと言っているのだ。
「以前の俺様は」我が君の声がして、ルシウスは慌てて視線を戻した。

「以前の俺様は、眠ることも許されなかった」

なにを掴もうとするのか、我が君は腕を伸ばし、指を握りこむ。
ただの錯覚だろうが、ルシウスはふいに自分の胸のあたりが苦しくなり、手で押さえた。ぎゅっと人の手に掴まれた心臓が、それでも脈動しようとする窮屈さを感じる。
この命は我が君のもの。しかし、苦しさは消えない。

「夢がまだ、俺様を呼んでいる」
「夢……?」
「雨があがる、あの夢だ」

迎えに行こう、と我が君の指先が、ゆっくりと開く。

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