25 最悪の幕切れ

大広間からフィルチさんが出てくる。足元に、ミセス・ノリスも一緒だ。
競技場へ向かう、生徒の流れは完全に途絶え、玄関ホールは寂しげな静けさに包まれていた。
「フィルチさんで最後ですか?」
彼女が訊いた、そのとき、静けさを破り、硬い金属が倒れるような派手な物音が響き渡った。城内にだれもいないせいか、音そのものが、二階から落ちてきたみたいだった。
音にびっくりしていたフィルチさんが、「ビーブスめ」と二階を睨む。ほとんど同時に、彼女も呆れ、二階へ続く大理石の階段を見上げていた。

「私が見てきます」

いきり立っている、フィルチさんをなだめるように、彼の背中を押した。

「いいや、今日こそ、あいつをこの城から追い出してやる」
「そんなことをしていたら、第三の課題を見逃します。フィルチさんは、先に行ってください」

どうしたら、ビーブスは悪戯をしなくなるのか。
二階にきた彼女は、やはり廊下で、倒れている甲胄を見つけた。少し離れたところに転がっている頭部が、外の星明かりに照らされ、鈍い銀色をぎらつかせている。
ビーブスの姿はなかった。呼びかけても出てこない。
甲冑の胴体を起こし、元の廊下の端に立たせて、頭を組み立てる。「……よし」
腰の剣の角度まで調節して、ふと、彼女の動きが止まった。
耳を澄ます。もしかしたら自分の心臓の音かと思うほど、今度は小さな物音が耳についたのだ。
廊下の突き当たりに目をやると、そこには闇の魔術に対する防衛術の教室がある。扉が、無用心なことに半開きになっていた。

教室の中は、しん、としている。
窓に近づくと、競技場がなんとか見える。これだけ離れていても、やけに明るいあの場所に集まった人々の熱気が、伝わってきそうだ。
窓を背に、教室を見渡してみた。
自分の足元から伸びる人影が、近くの机に触れて、歪んでいる。たしかにだれもいないが、昼間まで生徒がいた痕跡は、半透明な光に照らされていた。机の落書きや、しまい損ねた椅子。だれかの忘れものなのか、机上に真新しい羽ペンが放置されている。
気のせいだったのだろうか、と教室をあとにしようとしたとき、ごん、と内側から叩くような鈍い音が、さっきよりはっきりと聞こえた。
教室の奥にある、執務室を振り返る。

「ビーブス?」

甲冑を倒すくらいならまだしも、ムーディさんの部屋はまずいんじゃないかな、と思いながら、奥に進む。執務室は奇妙な置物で溢れ返っていたが、彼女はあまり驚かなかった。どれも、ムーディさんが昔から使っていたものだったからだ。
大きな机の上には、大きな硝子の独楽のような、かくれん防止器が置いてある。隅っこの小さいテーブルにあるのは、秘密発見器だろう。それに、壁に立てかけられた、室内を映し出さない鏡は、敵鏡だ。
しかし、ビーブスはいない。そろそろ時間もない。最後の課題が始まるし、もう戻ろうとした彼女は、しかし奥の敵鏡に目を凝らしていた。
部屋の中へ足を踏み出した拍子に、爪先がなにかにぶつかる。複数の鍵穴が一列に並んだ、大きなトランクだった。蹴ってしまったが、中は荷物が詰まっているのか、びくりともしない。
トランクを避けて、敵鏡に近づく。彼女が一歩、歩み寄るたび、本当の鏡みたいに彼女の輪郭をはっきりと、白く浮かび上がってくる。敵鏡に映る、自分と目が合い、その意味が鋭利な痛みとなって、彼女の脳を斜めに刺し貫いた。
この鏡は、自分の敵が近づくとその顔が映し出されるはずだ。それはまちがいない。
あまりのことに、ムーディさんが闇の陣営に寝返ったのかと疑ってみるがすぐに、ありえない、と打ち消す。ムーディさんに限って、それはない、と首を振った直後、視界が暗く閉ざされた。

自分の身に、なにが起こったのか、わからなかった。彼女は二度、目を疑った。
突然、後ろから手が伸びてきたのだ。星明かりの下に、ぬっと現れた手のひらは、灯りが届かない部屋の隅に棲む暗闇から生まれた、触手のようだった。
手が、目前にあった。とっさに反応できず、彼女は、身体中の血がどこかに吸い込まれていくような感覚を味わった。手に額を掴まれている。のどを絞められたのかと思うくらい、息が詰まった。
するとすぐに、近くの窓に引っ張られ、後頭部をぶつけられた。耳元でバリッと硝子の軋む音がして、頭の中が弾けるように光り、意識が遠退く。
頭のうしろで、ギチギチと嫌な音がする。視界は、人の手のひらで、ほとんど遮られていたが、指と指の隙間から、わずかに前が見えた。自分の額を掴んで乱暴に扱った人物が、かろじて認識できる。
そして再び、目を疑った。

「だから、忠告しただろう」

傷だらけの顔を歪め、ムーディさんは満足そうに笑っていた。「親しい仲だといって、油断するからだ」
額にかけられた手の、太い手首をすがるように掴む。指を立て、力を込めようとする。
慄く彼女の唇から、声とも息ともつかない音が漏れた。
この手を離して。心の中で叫ぶ。しかし同時に、この手が外されたら、背中にある窓や壁とともに崩れ落ち、だれにも見つけられない、暗い水底に突き落とされるような錯覚に、身の毛がよだった。その恐怖を完全に思い出していた。息ができず、喘いでいる。
彼女の予想以上の反応に気づき、愉快な発見をしたかのように、「あぁ」とムーディさんが声を発した。

「あぁ、そうか、あんた、そうだったな」

ムーディさんとは思えない、軽薄な口調には、哀れみと軽蔑が入り混じっている。「安心しろ」男が言う。

「おまえは傷つけるな、とあのお方から言われている」

あのお方。彼女はその単語が耳に引っかかりながらも、なんの脈絡もなく、自分の頭が重くなるのを感じた。唇を噛み、痛みに集中しようとするが、まぶたが勝手に下がってくる。
白い病室が脳裏をよぎる。手から逃れようと闇雲に抵抗するが、それもままならない。
嫌だ、絶対、冗談じゃない、と意識を繋ぎ止めようとする部分も、滲み広がるような眠気に侵食されていく。

「おまえには、大人しく眠っていてもらおう。起きるころには、すべてが終わっている」

男の言葉が、ゆっくりと頭に入ってくる。

「あのお方が、おまえを待っている」

彼女の手が、虚しくムーディさんの手首から滑り落ちる。額が解放される感覚があった。足が踏ん張れず、身体の態勢が崩れる。床にぶつかる、と構えるが、いつまで経っても、衝撃はやってこない。どこまでも落ちていく。もう意識がなかった。

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