24 第三の課題

彼女は、ひんやりしている手すりに手を添えて、大理石の階段を軽快に下りる。
玄関ホールを抜けるとき、横目に見えた大広間では、早起きな生徒の姿が各寮のテーブルにちらほらとあった。
試験最終日。教科書を見ているのか、眺めているだけなのか、寝不足気味の目を必死にこじ開けている者もいる。
正面玄関をくぐり、早朝の穏やかな陽光のなかに出た。風がないので、熱っぽい空気が、濡れた服を着ているみたいにまとわりつく。
目の上に手を翳し、校庭を眺める。緑が広がり、ホグワーツ城まで続く道を辿るように、数台の馬車が近づいてきていた。

今夜、第三の課題が行われる。
試験勉強の傍ら、生徒はだれもが興奮と期待を高めていた。
代表選手は、期末試験を免除されているのでそのぶん、第三の課題に備えているはずだ。ロンとハーマイオニーも、ハリーの訓練に、毎日のように付き合ってきたらしかった。
その手応えを感じているのか、あるいは前もって課題内容を知らされているおかげか、ハリーもここ数日は落ち着いているように見えた。
それでも彼と話していると、ハリーのなにか言いたげな目を思い出し、彼女は首を傾げるのだった。

「ご苦労様です」

石段の下に止まった馬車に近づき、まず一台目の扉を外から開いた。中から、夫婦と見られる、中年の男女が出てくる。
ふたりの顔立ちを見て、セドリックの両親だと直感した。男性は、顎髭を生やしており、人がよさそうな感じがセドリックに似ている。馬車の外に立つと、漲る期待に鼻を膨らませて、ホグワーツの空気を思いきり吸い込んだ。
順に入ってきた、二台目、三台目、と代表選手の保護者を迎える。
そして最後、彼女は四台目の馬車の扉に手をかけた。

「おはようございます」

ハリーの保護者として招待された、ウィーズリー夫人もすでに興奮が抑えられぬ様子で、「さぁ、着いたわ」と馬車から降り立つ。つづいて、赤い髪をポニーテールに結んだ青年が、腰を屈め、現れる。
ウィーズリー氏が出てくると思った彼女は、思わぬ青年の登場に、「わぁ……」と感嘆の声をあげていた。
背の高い青年が、自分を見て目を丸くしている彼女に気がつく。片耳に、牙のようなイヤリングがぶら下がっていて、首の動きに合わせて揺れた。

「ビル、なの?」

青年に心当たりはあったが、まるで見違えている。
「この髪でしょう?」彼女の反応が面白いのか、ウィーズリー夫人が可笑しそうに言った。

「まったく、この子ったら、結ぶくらいなら切りなさいって、いつも言ってるんだけど」

焦れったそうな目で、息子の頭のうしろに垂れた髪の束を見ている。ここに鋏さえあれば、いますぐにでも散髪をはじてしまいそうだ。
ビルは言われ慣れた感じで苦笑し、母親の言葉を聞き流している。

「髪だけじゃなくて、身長も伸びましたね」
「もう二十五ですもの」
「二十五ですか」

彼女はますます、目を丸くする。親しげな会話が気になったのか、ビルは母親と彼女を見比べ、「ママの知り合い?」と訊ねた。

「とりあえず、中にどうぞ」

ホグワーツ城を興味津々な様子で見上げている、ビクトール・クラムとフラー・デラクールの両親に声をかける。ディゴリー夫妻は、勝手を知っているのもあり、すでに玄関ホールの中だ。
「大広間の奥の小部屋に、お茶を用意しています。朝食を終えたら、代表選手が会いにきますから、それまで寛いでください」彼女は彼らを案内した。


「ドラゴンの搬入のとき、チャーリーにも会いましたが、彼も見違えましたね」

小部屋で紅茶とお菓子を順番に用意し、彼女はウィーズリー夫人とビルの紅茶を淹れながら言った。

「あなたのこと、覚えていた?」
「いいえ。もうずっと昔のことですし」
「ママ?」

ビルが呆れたような声を出し、「彼女は、ママの後輩なのよ」と夫人が説明する。

「後輩? ホグワーツの卒業生なんだ?」

半分、疑いながらも、ビルは彼女が自分より年上だと判断したようだ。

「あなたも覚えていないの?」
「なにを?」
「小さいころに、会ったことがあるのよ」
「会ったかなぁ」彼女を見て、ビルが首を傾げる。

「彼女も、不死鳥の騎士団だったのよ」

どこを見てよいかわからず、彼女は彼らに淹れた紅茶に視線を落としていた。
死んでいった仲間のことが思い出される。多くの団員が闇の陣営に殺され、そこには、ウィーズリー夫人の弟もいた。

「それで、伯父さんたちと、うちに食事にきてくれたことがあって、アーサーが日本のことを質問責めにして大変だったわね」

ウィーズリー夫人が、懐かしそうに笑みをこぼす。彼女も、そうですね、と笑みを浮かべた。
大変だったのは、でも食べても食べても出てくる、手料理の洪水も大変だった。一晩の食事の時間に、「遠慮しないで、もっと食べていいのよ」と何度も言われた思い出がある。
「で」とビルが話を戻す。「それは、僕がいくつのとき?」
「いくつだったかしら」ウィーズリー夫人が彼女を見る。
彼女は、記憶の細部を探った。

「ビルはたしか、六歳か七歳でした。先輩のお腹が、三人目で大きくて」

思えば、あのとき先輩のお腹にいたのがパーシーだったのか、と感慨深くなる。
ドラゴンに魅せられた、筋肉質な青年は、まだ半分、赤ん坊の面影を残した幼児だったし、ヴィジュアル系の青年は髪も短く切り揃えられた、あどけない少年だった。
どうしてかはわからないが、そのとき、「子どもって、いいわね」という言葉が頭に浮かんだ。リリーとそんな話をしたことがあった、気がしたのだ。まだ学生だったのか、もう彼らが新婚だったころか、判然としない。
無意識に目を伏せていた、彼女の視線の先にあったビルの履いているブーツが、ドラゴンの革だ、とぼんやりと気づく。しかし、それは眼球に映り込むだけで、頭の中は鬱蒼とした霧のようなもので充満していた。
そこに求めるひとがいるとわかっていても、誤って手を伸ばしそうになっても、たまにこうして空気が揺れるかのように霧がちぎれて見えるのは、なびく赤毛の毛先だったり、翻るスカートの裾だったり、断片的でしかない。追えば、もう二度と戻れなさそうに、霧は深くなる一方だった。
彼女は顔を上げた。

「私は、まだ卒業したばかりで、一晩だけでしたけど、先輩のような家庭は憧れました」

ウィーズリー家は、どんな夜でも家の明かりが窓からこぼれているような、印象だった。その光の温かさは、家の外にいる人間にしかわからないのかもしれない。
「また、いつでもいらっしゃい」ウィーズリー夫人が、包み込むように言う。

「去年の夏より、痩せたみたいだもの」

彼女も微笑んで応える。
そのとき、「ちょっと待てよ?」とビルが彼女の顔をじっと見つめた。なにか思い出したのだろうか、と見つめ返してみると、「きみ、かなり若く見えるよね」と真顔で言う。
「こら、ビル」
ウィーズリー夫人が、恐らくは事情を察して慌てるが、「よく言われるよ、それ」と彼女は笑った。

「それで、ビルは普段、なにをしているの?」
「この子はこう見えて、銀行で働いているのよ」

ビルが答える前に、ウィーズリー夫人が少し誇らしげに教えてくれる。
「銀行員?」彼女はつい、青年の髪や格好をもう一度、見ていた。

「銀行員には見えない」

「僕も」ビルは微笑み、肩をすくめている。
「僕も、よく言われるんだ、それ」

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