21 クラウチ氏の狂気

禁じられた森を飛び出し、夜の校庭を全速力で走る。ハリーは一瞬、セドリックたちがまだ近くにいるのではないか、と期待したが、樫の木の正面扉を潜っても、だれの姿もなかった。
大理石の階段を駆け上がる。数分後、三階の廊下に入り、ガーゴイルの石像の前で、急停止した。

「レ、レモン・キャンディー!」

石像に向かって、叫ぶ。
これがダンブルドアの部屋に通じる、隠れた階段への、合言葉だった。少なくとも、二年前までは。
ガーゴイルの石像に命が吹き込まれて、横に飛び退くのだが、今夜は一向に動きだす気配がない。ハリーを睨む、意地の悪い目は、合言葉が変わっていることを無言で告げていた。
暗い廊下を、端から端まで見る。もしかしたら、ダンブルドアは職員室にいるかもしれない。
そんな希望を抱き、ハリーが再び階段に向かって駆け出したときだ。

「ポッター!」

突然、降って湧いた声に、靴裏が床を擦る。ハリーが慌てて振り返ると、スネイプがガーゴイルの裏から、出てくるところだった。
ハリーに、戻れ、と合図している。スネイプの背後で、壁が閉まっていく。

「ここでなにをしているのだ、ポッター」
「ダンブルドア先生にお目にかかりたいんです!」

ハリーは駆け戻り、スネイプの前でまくし立てた。
「クラウチさんが、たったいま現れたんです。禁じられた森にいます。僕はクラウチさんの頼みで……」
「寝呆けたことを」スネイプの暗い目が、ぎらりと光る。「何の話をしている」

「だから、クラウチさんなんです!」ハリーは必死で訴える。
「魔法省の! あのひとは、病気かなんかです。ダンブルドア先生に会いたがっているんです! 教えてください、そこの合言葉を!」
「校長は忙しいのだ、ポッター」

スネイプは、嫌味な笑みを浮かべてさえいた。ハリーが必死になればなるほど、スネイプを愉しませているのだ。ハリーにも、そんなことは、じゅうぶんにわかっている。
ただの木を、パーシーだと思って話しかけるクラウチ氏の姿と、一緒に置いてきたクラムのことが脳裏をよぎり、焦る気持ちとは別に段々、腹が立ってくる。
「スネイプ先生」声を荒げるのをやめ、歯を食いしばった。

「クラウチさんは、普通じゃないんです。正気じゃないんです。警告したいと言って、いて……?」

スネイプの背後で石壁が開くのを、ハリーは見た。
緑の長いローブを着て、物問いたげな表情のダンブルドアが立っている。
「なにか問題があるのかね」
「先生!」
ハリーはスネイプの前に出て、先に声をあげる。

「クラウチさんがいるんです、禁じられた森に! ダンブルドア先生に話したがっています!」

ダンブルドアは、きっとなにか質問をするだろう、とハリーは身構えたが、ただ一言、「案内するのじゃ」と言うと、滑るように廊下を急いだ。


「クラウチ氏は、なんと言っていたのかね、ハリー」

ダンブルドアは足が速かった。遅れまいと、ハリーは大理石の階段を何段も飛ばしながら、足がついていかず、つまずきそうになる。

「先生に警告したいと。酷いことをやってきた、とも言いました……。息子さんのことや、あと、行方不明のバーサ・ジョーキンズ」
それに、とハリーは息があがっている。「それに、ヴォルデモートのことも。強力になっているとか……」

なるほど、とつぶやき、ダンブルドアの足がさらに加速する。長い顎髭が、胸の横からうしろになびく。
校庭に飛び出した。そのまま突っ切ろうとしたとき、「ダンブルドア」という声がどこからともなく聞こえた。
ハリーは振り返って、校舎を見上げる。城の形をした黒い影が、星空に向かって反り返っている。
明かりが灯った二階の廊下に、窓から身を乗り出すようにして、こちらを窺っている人影があった。逆光で暗かったが、彼女だ。ハリーはすぐにわかった。「どうしたんですか」と声が降ってくる。

「お主も一緒にくるのじゃ」

ダンブルドアが言う。たったそれだけで、なにも説明はしなかった。なのに彼女は、迷いや、ためらう素振りもなく、その窓から飛び降りようとしていた。
危ない! ハリーはとっさに声がでない。
彼女は、窓辺に手をつき、曲げた両脚を揃えるようにして、軽快に乗り越えると、瞬く間に、ハリーの前に着地する。鳥が木に降り立つような、足先から伝わる衝撃を、翼の代わりに全身の筋肉がしなやかに受け流す、やわらかな着地だった。

「ハリー?」

もちろん彼女に怪我などなく、ぽかんと見ていたハリーの腕を軽く叩く。つぎの一歩には、ともに急いだ。

「ハリー、クラウチ氏の様子はどうじゃったかね」
「あのひとの行動は、普通じゃありませんでした」ダンブルドアと彼女を案内しながら答える。
「自分がどこにいるかもわからない様子で、パーシー・ウィーズリーがその場にいるかのように話しかけてみたかと思えば、また変わって、ダンブルドア先生に会わなくちゃって言うんです。だから、ビクトール・クラムを一緒に残して僕は、先生を……」
「残した?」ダンブルドアの声は鋭い。
すっかり状況を飲みこんだ彼女が、ハリーの行き先を見つめ、「禁じられた森で、なにをしていたの?」と訊ねてくる。

「今夜は、クィディッチの競技場で、第三の課題の説明があったでしょう」
「僕、クラムと話をしていたんだ。競技場で、バグマンさんが僕たちに迷路のことを説明したすぐあとで、僕たちだけ残って、そしたらクラウチさんが森の中から出てきたのが見えて」
「どこじゃ?」

ボーバトンの巨大な馬車が、暗闇から浮き出て見えてきた。
「あっちです」ハリーはダンブルドアの前に立ち、木立の中を縫うように進む。
しかし、そこにいたはずのクラウチ氏の姿はなく、クラムまで、忽然と姿を消していた。

「ビクトール?」

大声で呼びかける。
答えはない。

「ここにいたんです」
ハリーはふたりに向かって、すがるように言った。「絶対、このあたりに……」

ダンブルドアが杖に光を灯し、上にかざす。細い光があたりを照らし出した。暗い木の幹を一本、また一本と確認し、そして、倒れている二本の足を見つける。
三人が駆け寄ると、クラムが地面に大の字になって倒れていた。意識がない。彼女がダンブルドアの灯りの下で、クラムの横に屈み込み、片方の瞼をそっと持ち上げて、瞳を覗く。
「失神術です」彼女は静かに告げ、周りの木々を見透かすように見渡す、ダンブルドアの半月メガネが、杖灯りにきらりと光る。

「……だれか呼んできましょうか」

ハリーは動転しながらも、そうしたほうがいい気がした。

「マダム・ポンフリーを」
「いや」

ダンブルドアと彼女が、すかさず同時に言い、気圧される。
彼女が立ち上がり、ハリーが想像した以上に、周囲を警戒しているようだった。

「ここにいて、離れないで」

その瞳が、硬質で、尖ったものに変わっている。彼女につきまとっている眠気が、いまは消えていた。
そっと寄り添い、見守るものではなく、見つめた相手を追い詰める、白刃の眼差しだ。
紛れもなく、闇祓いの目だった。

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