20 逃走

クラウチに気がつくと、みなは一様に目を輝かせ、笑顔で近づいてくる。差し出される両手は、決まって握手を求めている。

「こんばんわ、クラウチさん」

少し歩くだけで、また声をかけられる。クラウチは、声の主に会釈し、握手に応えた。
人付き合いは苦手だ。だが、こうして人に求められると、悪い気はしない。
社会に貢献しているという実感と、視線に込められた自分への賛同は、蜜のように甘く、クラウチを満たした。

「わたくし、今夜は欠席するつもりでしたの。でも、クラウチさんもいらっしゃると聞いて、こうして参りましたのよ」

見ため、三十路も過ぎていそうなのだが、クラウチの手を掴んだ女性は、少女のような高い声をしている。
「そうですか」クラウチは、仏頂面のままうなづき、目の前で笑っている、妙に握力の強い女性を改めて見た。
ずんぐりとした体型で、たるんだまぶたの下から、目玉がやや飛び出している。しかし、歳のわりには肌が綺麗で、それがまた、不釣り合いな印象をクラウチに与える。間違っても惹かれるような妖しさではなく、疎遠にしたい怪しさを醸し出していた。
名前を思い出そうとするが、まったく記憶になく、顔を見たことはある気がするので、魔法省の人間なのだろう。
小さいが太めの指に、古い指輪がいくつも装着されていて、手をそう握り込まれると、ごつごつして痛い。
クラウチは、早くもこの場から立ち去りたい衝動に駆られた。
ここに妻がいれば、と無意識に考えている。人懐っこい妻のほうが、社交の場には慣れているのだ。

「奥様はご一緒じゃなくて?」

蛙顔の女性が、クラウチの心を見透かすように訊ねてきた。

「さっきまで一緒だったのですが、はぐれまして」

クラウチは振り返って、玄関ホールを見回しながら、妻を探している途中だったことを思い出す。
豪華な内装を施したホールには、それ相応の紳士淑女で混雑している。とくに女性たちは、花にも負けじと競うように着飾っており、混ざった香水の匂いがクラウチを不快にした。

「息子も一緒のはずです」
「まぁ」

大袈裟な感嘆を漏らして、蛙顔の女性が笑顔になる。笑うと、ますます蛙に似る。「優秀なお子さんだって、伺っていますわ」
「いや」クラウチは反応に困り、ますます、不機嫌な顔になる。でないと、だらしなく頬が緩み、照れてしまいそうだった。

「お父様が魔法界の英雄だと、息子さんも鼻が高いでしょう」
「英雄?」
「嫌ですわ、クラウチさん」

クラウチの肩を、ちょんと押すように叩く。蛙顔の女性は馴れ馴れしく打ち解けようとしたのだろうが、逆に慣れない者が冗談を口にするような、よそよそしい感じだった。
「ここだけの話」と声を潜め、顔を近づけてくる。化粧品のような匂いが鼻につく。

「大臣やその取り巻きたちは、ロンドンの地下に籠城しているようなもの。完全に闇の帝王に怖じけついていますわ。あなたのおかげで、魔法省の士気はなんとか保たれているのだ、とみんな口を揃えていますのよ。闇祓いの扱いにも、慣れていらっしゃいますし」

その口調は、表情も、やはり例にちがわず、嫌味には聞こえない。どうやらクラウチに賛美を送っているつもりらしいが、クラウチの気分は晴れなかった。
「彼らには多少、無理をさせていますが」と言いながら、つぎに相手がなにを言うか、クラウチには予想ができた。そして蛙顔の女性は、そのとおりのことを口にする。

「毒を以て毒を制する」

嫌悪感と嘲笑、それに怯えのようなものが、濃い化粧にも隠しきれず、ありありと浮かぶ。さらに顔を近づけてこようとするので、クラウチが半歩、下がらなければ、鼻先が当たりそうだった。

「わたくし、さきほどから気になって、気になって」
「なにがですか」
「ほら、あそこの」

蛙顔の女性が目配せしたほうを、追うように振り返ると、玄関ホールの端に、クラウチの部下が立っていた。
黒のローブのフードを被り、顔はすっかり隠れているが、ここに集まった人間を見張っているのはあきらかだ。彩り鮮やかな花畑のなかに、一羽の烏が迷いこんだかのような、異質な存在感を発している。

「なにを考えているのか、まったくわからないったら」
「これだけの客人が集まるのだから無論、みなさんの安全を考えていますよ」

死喰い人が恐れられ、それと渡り合う闇祓いも、しばしば恐れの対象として見られていることは、クラウチも知っている。
すると、ムーディの顔が、頭に浮かんだ。彼の過激な風貌や、歯に衣着せぬ言動、敵味方関係なく圧倒する、闇への執念が、そんな誤解に拍車をかけていると言わざるを得ないからだった。
でも、そんなムーディも、クラウチの期待ほどではなかった。許されざる呪文が闇祓いに解禁されたいまも、彼はその行使を拒んでいる。

「わたくしたちを、死喰い人だと疑ってるみたいで、気味が悪いですわ」

クラウチはもう、言い返すのも面倒だった。
この女性はなにもわかっていない。だれが死喰い人なのか、それはだれにもわからないし、闇の帝王は、ひとの心も操れる。疑って、当然だ。
その能天気さが、いっそ羨ましいくらいだ。隣町が闇の魔法使いに蹂躙されようと、自分たちに危害がない限り、彼らはまるで地球の反対側で起こっていることだとでも思っているのだ。自覚がない者はとくに、自分だけは大丈夫だ、と根拠もなく信じている。
実際に、目の前に死喰い人が現れ、杖を向けられ、地位も肩書きも関係なく自分も死ぬのだと悟るまで、すべては他人事だ。
それはでも、ほとんどの魔法使いに言える。
そこへ、「あなた」とクラウチの腕に、そっとしがみついてくる者がいた。

>>

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -