18 第二の課題

ホグワーツ城の校長室で、ダンブルドアは、不死鳥の美しい毛並みを静かに撫ぜていた。気持ちがよいのか、フォークスのゆっくりと瞬く眠たげな瞳を眺めていると、だれかを思い出し、つい微笑んでいる。
しばらくして、部屋の扉がノックされ、「失礼します」とミネルバが姿を現した。

「もうお決まりになりましたか?」
「ミネルバ。カルカロフたちは、どうじゃ」

不死鳥の止まり木を離れ、ダンブルドアは、部屋の壁に建て込まれた、暖炉の傍らに移動する。
マクゴナガルは、ダンブルドアに身体の向き合わせて、踵を揃える。日常とはいえ、近いようで遠い彼との距離は、心地よい緊張感がいつも伴う。

「ビクトール・クラムは、ハーマイオニー・グレンジャーで決まりました。フラー・デラクールには、妹がいます」
「そうか、そうか」
「ディゴリーは、チョウ・チャンが妥当でしょう。ダンスのパートナーでしたし、最近は廊下でも、手を繋いで歩いているのを見かけますから」
「ふむ、ふむ」
「ポッターは、どちらにしますか」

マクゴナガルが見つめる。ダンブルドアは微笑み、まだ迷っているようだった。

「私から見ても、とても仲が良さそうでしたよ」

後押しするわけではないが、マクゴナガルの正直な意見だった。

「ポッターは、彼女にずいぶん、懐いているようです。それに彼女も……」


「ポッターは、あなたにとって、やはり特別なのかしら」そう訊ねたみたことがある。第一の課題の直後だ。訊いてみたくなった、「特別」の意味とは無論、生き残った男の子としてではない。
医療テントに引っ張られていくハリーを見ていた彼女は、マクゴナガルに視線を戻した。
数秒、考えこむと、意外と平気そうに、「親戚の子を、見守っている感じですかね」と言った。
彼女の瞳は、ずいぶんと優しくなっていた。眠りから目覚めて、ここに来たばかりのころに比べると、学生のころを彷彿とさせる眼差しだった。
「そうじゃな」とダンブルドアが頬を綻ばせる。なのにどこか、煮え切らない印象を残していく。なにかが、彼の心に引っ掛かっているのだ。

「ご満足ですか、アルバス」

室内が、するりと薄暗くなった。潮が引くように、校長室全体が、一斉に息を潜めたかのようだった。
雲が多い日だったので、窓の外で、太陽が雲に隠れたのだろう。しんとしていて、音もなかった。
それとも、とマクゴナガルはつづける。

「それとも、焦っていらっしゃる?」

ダンブルドアは、暖炉から目を離さず、変わらず微笑んでいた。炎の揺らめきがちろちろと映る、半月眼鏡の奥にある瞳が、いつもと同じ慈愛に満ちているのに、眼球が動きを止めて、そのまま凍りついたようにも見えた。
「彼女にはひどいことを」ダンブルドアが口走る。

「彼女をもう一度でも眠らせるのは、酷じゃろう」

穏やかな彼の声が、空の雲を払ったかのように、日差しが溢れ、校長室の止まっていた時間が動き出す。張り詰めていた空気がほどけ、マクゴナガルの胸から、息苦しさが消えた。

「では、ロン・ウィーズリーで準備を進めます」

袖を払うように、身体の前で重ねていた手を入れ替える。
第二の課題日が近い。代表選手の失いたくないもの、大切なものは、これで揃った。

「彼女をここに連れてきて、魔法使いにして、本当によかったのじゃろうか」

なにを言い出すのです、と訝る。マクゴナガルのわずかな動揺にも気づいたのか、ダンブルドアは眉を下げ、寂しげに口元を歪めた。
「わしは、いまでもはっきりと覚えておる。日本まで、彼女を迎えに行ったときのことじゃ」
言いながら、憂いの篩をしまってある棚に目をやっていた。

「噂に聞いていた、サクラは、それは見事な木じゃったよ。わしが訪ねたときは、薄紅の花がちょうど満開じゃった」

記憶のなかになる、そのサクラの木をよく見ようとするかのように、目を細める。ダンブルドアのうっとりしたようは表情を見ていれば、よほど美しい木なのだろう、と想像がつく。
マクゴナガルはサクラを見たことがない。その木は、万人の足を止めさせ、見上げさせると聞く。春の訪れに呼応するかのように花びらをほどき、それでいて儚く、夏に連れ去られていく。

「その木のそばに、彼女はおった。木を見ておった。わしに気づいて、英語で話しかけてきてのう、ずいぶんと驚いた」

愉快そうに煌めく、青い瞳は、まるで宇宙の神秘を燃料にしているかのよう。

「祖母君は、彼女の入学を、渋っておったんじゃ。自分たちが魔法使いだとは孫にも隠して、それでもしっかりと、異国の地でも彼女が困らんように、英語を教えておった」
「日常会話ができる程度でしたけど」

入学して間もないころ、彼女の、言いたいことはなんとかわかるけれど、読解に苦しまざるを得ないレポートを思い出し、マクゴナガルは微笑んでいた。
「そうじゃな」とダンブルドアもさすがに、苦笑を浮かべる。

「祖母君も、迷っておったのじゃろう。半分は、わしが迎えに来ないことを、願っておったのかもしれん」
「それほど、あのひとは……」
「それほどじゃ。可愛い、孫娘なんじゃ」

だとしても、あのひとはそんなに過保護だったかしら、と疑問がよぎるが、自分の娘であり、孫娘の母親が闇の魔法使いだとは隠したいことなのかもしれない。いっそ、娘を奪った魔法界から遠ざかり、田舎でひっそりと暮らしたいくらいの事実なのかもしれない。
マクゴナガルが口に開くより先に、ダンブルドアが言った。

「あのころの、花のような少女だった面影を、いまの彼女に見つけるたびに、わしはほっとする」

ダンブルドアの背筋は、水滴のようにまっすぐ伸びている。
彼女が、あまりに多くのものを背負いながら、ここまでこられたのは、やはりこのひとがいたからではないか。
ダンブルドア、と彼をファミリーネームで呼びつづける彼女は、決して玉座に近づかず、忠誠を誓い膝まずく騎士に似ている。
そして、彼を見上げる横顔にはいつもあのころの彼女が帰ってくる。

「しかし、いつか彼女から笑い顔が消えたら」

ダンブルドアの苦しげな声音に、マクゴナガルは面を食らった。

「アルバス……?」
「ミネルバよ」

強張った声で名を呼ばれ、マクゴナガルは戸惑う。
賢く、それでいて慈悲深く、尊敬されるべき彼は、もうずっとその高みにいた。
なぜだろう、それはやわらかい雲の上ではなく、彼の足場の周りは削ぎ落とされ、草木も育たぬような厳しい頂きを思わせた。限りなく天に近いが、ひとの領域だ。
彼はそこでひとり、なにを思うのだろうか。
ダンブルドアを見極めることは、太陽を凝視するかのようだ。光はたしかに見えているのに、輪郭を捉えることは、決してできない。
急に、マクゴナガルは改めて、怖くなった。彼が当たり前のように背負っているものは、あまりに大きすぎる。
常に大局を見極めてきたのだ。この世界のために、ダンブルドアは自分自身を犠牲にしたあと、つぎはなにを代償にするのだろう。

「あの子が、微笑みかけてくれるたびにわしは……」

胸の上に手を添えたまま、ダンブルドアの表情は、悲愴感に歪んでいた。顔のしわが深くなる。
いまにも引き裂かれそうな心を、精一杯、手で押さえつけている。

「わしは、つらいんじゃよ……」

いつの間にか、また薄闇に沈んだ部屋のなかで、マクゴナガルは立ち尽くす。かける言葉など、自分にあるはずがない。焦燥感の出口を探して、闇雲に空を仰いでいた。そして、思いがけず愕然とした。
不死鳥が悲しげな声で鳴く。
校長室は円形の壁に囲われている。日差しをよく通すように、天井には硝子が用いられ、球体の半分をかぶせたような設計だ。
だが、そこに解放感はなかった。ここはまるで、巨大な鳥かごの中だった。

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