17 落としもの

真夜中の回廊を、早足にならないように、気をつけながら歩く。コートのポケットに手を入れ、無意識に携帯用の酒瓶をいじっている。
そこに、こめかみを押さえた彼女が、たまたま通りかかった。見回りの途中だろう、とムーディは思った。

「どうしたんですか、こんな時間に」
「わしも夜の散歩くらいする」

彼女は、右顔のこめかみを、人差し指と中指で揉むようにしながら、意外そうな目でムーディを見た。

「夜の散歩、ですか」

それからなぜか感心したかのように、「ムーディさんも、夜の散歩をするんですね」と一緒についてくるのだった。

「まだ風邪は治らんのか」

一時期よりマシになったとはいえ、彼女はまだマスクをしているし、苦しそうに咳をしている姿も時々、見かける。

「うつしたら、すみません」
「離れろ、いますぐ。わしから離れろ」

ムーディは本心から言ったつもりだが、彼女は、目を細めて笑うだけだった。
自分の気のせいではなければ、ここにきてだれもが扱いに困っているムーディに対して、彼女だけがちがった。暗黒の時代をともに過ごした、同志というより、気難しいながら、彼女はそんな父親を慕っている娘かのようだ。

「隣、座ってもいいですか?」

クリスマスの夜、彼女は自ら、ムーディがいるテーブルにやってきた。
「クリスマスを、ムーディさんと過ごすのは、ひさしぶりですね」と言う。ムーディが調子を合わせると、やはり少し嬉しそうにした。

「でも、死喰い人のいないクリスマスは、はじめてですね」


隣を歩く彼女が、おもむろに口を開いた。

「ハグリッド、やっと元気になりつつあるんです」

嬉しそうに声を弾ませるでもなく、淡々としている。

「さっき、様子を見に行ったら、巨人の話のこと、訊かれました」

元来、気性の荒い彼らは、そのとき大半が闇の帝王に付随した。巨人たちは、ただ破壊することだけを目的に、次々と村を襲い、そこにあった営みも、ひとの命も、巨人が通ったあとはただの瓦礫の山でしかなかった。
当然、魔法省も動かざるを得なくなり、闇祓いを派遣した結果、何人もの巨人は殺された。
子どもでも知っている、有名な話だが、実際にそれを目にした者は多くない。

「いまだに、傷が痛むんです」
「右膝か」
「はい」
「わしも、身体じゅうが痛む」
「一生、消えないんですね」
「あぁ。失った足が、二度と戻ってこんようにな」

ムーディは、彼女の身体に残っている傷跡を、すべて挙げられるだろう。右膝の傷は、避難する人びとの時間を稼ぐため、最前に立ち、巨人の囮となった際に負傷したものだ。
右足は身体にくっついたまま、なんとか生きて帰れたものの、彼女は数日間、ひとりで立つこともできなかった。
彼女はまだ、垂れた髪の下で、こめかみを触っている。
頭痛がしているわけではないだろう。冷たい風は、古傷にまったくよくないのだ。皮膚がひきつって、ちょうど傷がある部分で足りなくなるかのように、何十年後でも疼く。ムーディも身を持って知っている。

「おまえは、変わったやつだ」
「え」
「わしの知っている闇祓いに、もちろん死んでいった者も含めてだが、おまえのようなやつはいない。実力は認めるが、心持ちが優しすぎる」

彼女は目を瞬き、傷だらけの顔に見入っていた。ムーディの一字一句に、緊張しているかのようだ。

「おまえは、なぜ闇祓いになった」

しかし、答えようとせず、黙りこんでしまう。

「わしには、いたずらに自分を傷つけているようにしか見えんかった。そのこめかみの傷も、おまえならば、負わずに済んだ傷だったはずだ」

生きるか死ぬかのとき、頼りにできるのは、自分だけだ。相手に隙を見せるなど、言語道断のはずで、ましてや、心の隙などあってはならない。
闇祓いも、死喰い人とそう変わらない。同等の冷血さを求められる。
ムーディは、ポケットの中で酒瓶を指で叩く。
「理由は」とぽつりと言った。息苦しくなったのか、彼女はマスクをずらす。

「闇祓いを選んだ理由は、いろいろあります。でも一番、都合がいいと思ったんです」
「都合だと?」
「はい」

廊下の先の暗闇を見据え、彼女は落ち着いた口調だった。無表情だった口許に、ふと微笑が浮かぶ。
突然、赤ん坊が堰を切ったかのような、激しい泣き声が城に響く。すぐにぴたりと止み、押しやられた夜のしじまが、じんわりと広がった。

「……いまのは」
「あっちの方からだ」

来た廊下を引き返す。だれかの隠し子でしょうか、と彼女がマスクを戻しながら、真顔で言っている。
ムーディは歩調を早めながら、しかし一瞬だけ見えた、彼女の冷たい笑みに、背筋が凍るようだった。

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