15 変わらないもの

スネイプは、今年ほどクリスマスがこの世からなくなればいいと思ったことはなかった。
ここぞとばかりに生徒たちは羽目を外したがり、ふしだらな行為に及ぼうとする輩を引き裂いて回る校庭の花園は、骨まで凍るようだというのに、カルカロフはこんなところまで、スネイプにしつこくつきまとってくる。

「腕が熱いし、痛い。これは闇の帝王が復活するのではないか。そうなれば、我々は危険ではないか。スネイプ、どう思う?」
「我輩は知らん、と言っている」

そんな会話を、数日前からずっと繰り返している。
スネイプは舌打ちをした。どこかで聞き覚えがあると思ったら、あのときだ。合唱部が何度も何度も練習していた、同じ曲が、大広間から流れてくる。

「カルカロフ、この曲の題名を知っているか」
「そんなことより、スネイプ。我々は、こんなことをしている場合ではない」

散歩道を抜け、噴水広場に出る。もはや不純異性交遊の取り締りというより、カルカロフの追跡から逃れようとしていた、スネイプの足が、そこで止まった。
どこに消えたかと思っていたら、彼女はこんなところで、見知らぬ男子生徒の手を取って、身を寄せ合っていた。

頭上から、なにか重たいものが降ってきたような衝撃だった。
「あ、スネイプ」と彼女は、男子生徒の肩に手を添えたまま、呑気に言ってくる。
ふたりの手の位置を見る限り、ダンスをしているようにしか見えなかったが、「なにをしているのだ」とスネイプは訊ねそうになった。だが、そのとき、スネイプのあとから追いついてきたカルカロフが、ふたりを見て、「なにをしている」と怒鳴った。
スネイプもびっくりしたが、ダームストラング校の男子生徒は、もっと驚いた顔で、彼女の腰からその手を離した。

「うちの生徒を、たぶらかさんでくれ」

カルカロフに睨まれた彼女が、呆気にとられている。そんな彼女をよそに、カルカロフは異国語で、どうやら男子生徒を叱責しはじめた。
彼女の肩にかかっていた、暖かそうなローブを引っ張る。カルカロフは、取り上げたローブを男子生徒に返したが、彼はすかさず、それで彼女を包み直した。
「ごめんなさい」と青年は、英語で彼女に言うと、カルカロフを避けて広場を出ていく。
カルカロフが男子生徒の名前を呼ぶ。最後にもう一度、彼女を睨み、すれ違いざまにスネイプを睨み、男子生徒のあとを追って、スネイプの視界から消えた。
ようやく解放されたと思い、スネイプは息をつく。

「……びっくりした」

ふたりがいなくなったほうを見て、彼女もゆっくりと息を吐いていた。


流れ星がうっかり地上まで落ちてきてしまったかのような妖精の光が、噴水のまわりを静かに飛んでいる。
毛皮のローブに包まれて、彼女は白い息を吐いた。血の気も凍えたような顔色をしている。
不本意だが、こうしてふたりきりになると、時の流れから遭難したような、拠り所のない不安がスネイプを襲った。

「お酒が飲みたい」

ちらつきはじめた雪を眺めながら、彼女が呟く。それから彼女は、ふしぎな仕草を見せた。右足のかかとで、地面を二回ほど蹴ったのだ。
地面の下にいるなにかに合図を送ったようにも、膝の位置の調整をしているようにも見えた。
本人は無意識だったらしく、平然と噴水広場をあとにしようとしている。重たげなローブの裾が揺れる。

「私は大広間に戻るけど、スネイプは?」
「おまえは」

立ち去ろうとする彼女の腕を、スネイプは掴んだ。
手の中で、彼女の左腕が強張った気がした。

「おまえは、我輩に忘れるなと言ったくせに、自分は忘れたのか」
「なんの話?」

彼女は腕を掴まれたまま、振り向かずに言う。
スネイプは、そう言われると、なんて言えばいいのかわからず、黙っていると、彼女が振り返った。
「忘れてないよ」と申し訳なさそうに微笑んでいた。

歌声が、夏の日差しが、木漏れ日が、彼女の唇の感触が、瞳の潤みが、あのときの記憶が完全に、暴力的な鮮やかさでスネイプのなかに逆流してくる。
あたりが一段と冷えこんだ気がした。自分の頬に、熱が集まったせいかもしれない。
スネイプは顔を逸らした。だが、彼女の腕から手を離せなかった。

「なら、なぜあの男子生徒と一緒にいた」
「散歩に誘われて、ついでにダンスを教えてもらっていただけだよ」

ほっとしたわけではないが、スネイプは腕を解放し、彼女から離れた。
我輩はなにを言っているのだろう。これでは、自分があの男子生徒に嫉妬をしているみたいではないか、と思い、彼女に背を向けたところで、「もしかして、やきもち?」と彼女が言った。
すかさず、杖を取り出し、スネイプは彼女に向けていた。
彼女が目を丸くしている。すぐに困ったように笑いながら、両手を挙げた。

「そ、そうではない」
「わかってる。見回りをサボっていたこと、怒ってるんでしょう」

スネイプは、どうしようもなく、この場から逃げ出したい衝動に駆られる。
わからない。なぜ、彼女は自分なんかを好きだというのか。理解できずに、戸惑う。
それでも自分にまっすぐ向けられる、誠実そうな瞳が、スネイプはなによりも怖かった。
彼女は、自分が傷つくことを知らないのだろうか。スネイプが同情してしまうほどに、その想いはひたむきだ。
自分が想っているぶん、同じだけ相手も返してくれることはないのだ。
あのとき、彼女の無造作に垂れた髪がスネイプの顔にかかるほど近くで、その瞳を見た。
まったく予期していなかった想いに、スネイプの内側で、なにかが壊されそうになり、それを守ることで必死だった。
彼女を傷つけることはできない。そして、スネイプ自身が変わることも、スネイプは望まなかった。

いまもそれは変わらない。

だから、彼女から逃げることしかできなかった。
なのに彼女は、いまもスネイプの前で、笑顔を見せてくれる。怒りも、追求もせずに、ただ自分を見てくれている。
スネイプに避けられても、彼女は何事ともなかったかのように声さえかけてくるので、スネイプが自意識過剰なのではなく、もしかしたらあれは夢だったのではないか、と思うことさえある。
結局、我輩は、いまも彼女を傷つけているのだろうか。

「スネイプ」

彼女が、ふいに名前を呼んだ。

「ごめんね」
「いいから、見回りに戻れ」
「そうじゃなくて、あのとき突然、キスしてしまって」

無意識に自分の口に当てていた手の女々しさにと気づき、スネイプは彼女に背を向けていてよかった、と思った。
振り返り、彼女を見る。彼女は、どこかいじけているような様子だった。
そのまわりを漂う、綿飴みたいな妖精の光が、神秘的な雰囲気を作り出している。
このひとのことを、神秘的だ、と言ったのはだれだったか、すぐには思い出せない。

「私の気持ちは変わらないけれど、もしスネイプが迷惑だったら……」
「おい」

スネイプは、弱気そうな彼女の言葉のその先を、聞きたくない気がして遮っていた。

我輩は、彼女の気持ちが迷惑なのか。

スネイプの心に青空が広がる。
彼女が立ち去ったあと、ひとりきりになってから見上げた、澄んで晴れ渡った青空の美しさは、何度忘れようとしても、とてもむずかしかった。

『世界中のどこかで……』

この世界のどこかで、きょうも自分を想っているだれかがひとりでもいるというのは、まるで。

まるで……。

「おまえは、謝らなくていい」

え、と彼女が眉をひそめる。

「ど、どういう意味?」
「そのままの意味だ」

スネイプはそれ以上、答えなかった。
この関係を、心地よいと認められないのに、終わらせることもできない、自惚れた男の戯言だった。

「うん」

声がして、顔をあげる。彼女が、「そうだね」とうなづき、いともあっさり、といった印象で、微笑んでいた。
「じゃあ、キスしたことも、やっぱり謝らない」とおどけたように言う。

まったく得はないはずだ。報われもしないのに、彼女はスネイプを許しつづける。それは彼女が本来、持ち合わせた優しさなのだろうか。
申し訳なさそうな微笑みの意味をそのとき、少しだけわかったような気がして、切なくなる。この胸の痛みは、急に流れ出しだ血が、血管を擦り切らしているかのようだった。

「……………」
「うん?」

彼女が、ふしぎそうにスネイプを見つめ返す。

「いま、なにか言わなかった?」
「……いいや」

スネイプは、彼女に見えぬように、左腕の前腕に右手を添えている。カルカロフの言葉がよぎる。

『闇の帝王が復活するのではないか……』

そのときがくる前に、彼女に言わなくてはいけない。本当のことを。
スネイプは、だが同時に、もう少しだけ、と先伸ばしにしている。
いずれ、彼が戻ってくる。おのずと、彼女に伝えなくてはいけない日もくると思う。
そのときは、きっと……スネイプの脳裏で、真っ白いカーテンが風を孕んで、優しく揺れる。
……わかっているのに、スネイプはやはり、言いだせない。
いつかいつかと逃げ出して、そうやって、手遅れになることもあるというのに。


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