03 闇祓いの猜疑心

彼女が歓迎会に戻ると、ムーディさんはすでに生徒の前で自己紹介も終えたあとなのか、ほかの先生と一緒に、上座に座っていた。目の前に並ぶ、豪華な食事に、見向きもしていないようだ。
やっとムーディさんを見つけ、彼女はため息と同時に、大広間の扉に凭れかかったが、あの独特な視線を感じ、姿勢を正す。
楽しげに食事をしている生徒たちの様子をしばらく見ていたが、冷えた身体を温めるためにも、今夜はもう部屋に戻ることにした。
ムーディさんの魔法の目は、扉が閉まって後ろ姿が見えなくなるまで、彼女のことを見ていた。

初日の授業が終わったあと、しかしムーディさんはすぐに、彼女の部屋を訪ねにきた。
恐らくここにも来るだろう、と思っていた彼女は、言われるがままに彼を通す。
同じ空間にいるだけで、広くはない私室が、さらに狭く感じられる。彼の恰幅の良い背中を眺め、自分が扉の近くに立っているのにもかかわらない。一挙一動を監視されている気分になる。
室内を一度、ぐるりと見渡し、ここには山積みになっている本しかないとわかったのか、ムーディさんはため息を吐いた。

「未練がましい」

歯に衣着せぬ言い方をする。しかも、いちいち的を射ているので、彼女は傷つく。

「生まれた国の言葉が近くにあると、ほっとするんです」
「そんなに恋しいのであれば、里に帰れ」

彼は、ムーディさんは、自分の片目と片足を失ってなお、その人生のほとんどを、世界の均衡のため戦うことに捧げてきた。その執念は、闇祓いを引退したくらいで、消えなどしない。その身に、色濃く染みついているのだろう。
筋金入りの猜疑心は、後遺症のようにも思える。
彼女には、無力感しか残っていなかった。
どんなに振り払ったところで、押し寄せてくる闇に終わりはないのだ。一歩前に進むごとに、闇はどんどん深くなるばかりだった。
「昔は」とムーディさんの声が聞こえて、顔をあげた。

「杖を握っていなければ、眠れんかったはずだ」

彼女はとっさに、ベッドのそばの引き出しを見た。だれが見ても、ただのサイドテーブルにしか見えないが、ムーディさんの目には、奥に片付けられた彼女の杖が見えている。引き出しをずっと開けてすらいないが、恐らく埃も被っているだろう。
それがすべてを語っていた。
なにも言い返してこない彼女に、「情けない」とムーディさんは苦々しく言う。

「まさか、これほどまでとはな」

微妙な間があった。
ムーディさんの指先が、ぴくっと震えるのを見逃さず、彼女の身体が一瞬、身構える。だが、その手はただ、コートの懐から、携帯用の酒瓶を取り出しただけだった。

「ジェームズとリリーが生きておったら、わしは許さん。死んだところで、許しはせん」

酒瓶に口をつけ、傾けると、一口飲んだ。

「おまえには、手をかけてやったつもりだ。それが、このざまだ」

普通の目は視線を逸らしたが、魔法の目は、まだ彼女のほうに向けられている。傷だらけの横顔を見つめる。
たしかにムーディさんに、教えてもらった。闇のなかを生き抜く力をもらった。

「『油断大敵』」

目の前にいるムーディさんと、記憶に残るムーディさんの声が重なる。

「だれも信じるな。親しい仲だと油断しているから、けったいな呪いなんぞかけられるのだ」

でも、と彼女は思う。
自分たちがしてきたことは、やはり無意味だったのではないだろうか。
会ったことすらない、父の面影を、ムーディさんの背中に重ねる。木製の義足を鳴らし、部屋を出ていこうとする。すれ違いざまにようやく彼女は、「すみません」とだけ言えた。

光のあるところに、必ず影が生まれる。あの太陽でさえ、すべてを照らすことはできない。
彼女は、そうして隅でうずくまっている影に、杖先を向けるのではなく、手を伸ばしてしまいそうになる自分をすでに自覚していた。

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