01 不吉の兆候

魔法省、闇祓い局に人気はなく、キングズリー・シャックルボルトは、書類の整理に没頭していた。彼が書類から書類へ目を移すと、片耳でちかちかと光の粒を反射する。浅黒い肌色に、その金のピアスは、よく似合っていた。
机を向かい合わせた、前の席に人が座る気配がして、「戻ったのか」と顔を上げる。その瞬間、彼の手は止まり、穏和そうなふたつの目が見開かれた。
まるで椅子の心地を懐かしむかのように、彼女が椅子に腰掛けていた。彼女は、自分の手を置いた、椅子のひじ掛けを眺め、キングズリーに目もくれず、今度は窓の外に視線を投げる。
魔法省は地下に埋まっていたが、どの部署にも窓があり、終始魔法で見晴らしのいい景色を映している。彼女はたしか、この窓が嫌いだった。

「随分と、心臓に悪い登場の仕方をする」
「びっくりした?」
「一生」とん、とキングズリーは書類の束を揃えた。
「ここには、顔を出さないと思っていた」

目を覚ましたと聞いてから、すでに三年が経っている。手紙の一通くらい寄越せばいいのに、とキングズリーはそっけなく言ってしまう。彼女が申し訳なさそうに、「ごめんね」と眉を困らせる。
「まぁ」とキングズリーはすぐに気を取り直し、それは彼の眼差しとちがいないような、穏やかな声を出した。

「元気そうでなによりだ」

彼女の表情が綻ぶ。
つい、彼女が闇祓いとして入局してきた日が、昨日のことのように感じられた。
闇祓いと呼ぶには、若く、優しすぎる彼女だった。どんなに追い詰められても、傷ついても、血を流しながら決して逃げださなかった彼女が、じつはいちばん強かったのかもしれない、とキングズリーはいまになっても、思っている。
だから、自分の前で笑ってくれる彼女に、少し安心もした。
戦うことが自由への道だった。そして、勝つことだけが、自分たちに許される正義だった。
いつか報われますように。そんなふうに願っていたころを、思い出した。

「そこはもう、おまえの席じゃないぞ」

キングズリーは、向かい合わせの机を見る。無駄なものがなく、片付いている。闇祓いの机はいつもそうだ。

「いまはだれが使っているの?」
「ニンファドーラ」
「“かわいい水の精”」
「と、呼んだら、怒られる」

彼女は、長年連れ添った相方を労うみたいに、机を撫でながら言った。

「こないだ、国際魔法協力部に提出した書類に不備があったらしくて、呼び出されてきたの」
「三大魔法学校対抗試合か」

自分たち以外、だれもいないフロアを見渡していた彼女の目が、空席の局長席で止まったのを見て、「クラウチに会ったのか」とキングズリーは訊ねていた。

「ううん、その秘書に呼び出された」
「あぁ、赤毛の。アーサーの息子の」
「パーシー」
「そんな名前だった」
「クラウチさんは、でも、魔法大臣になれなかったんだね」
「なにを、いまさら」

キングズリーは、はっとして、口をつぐんだ。あまりにも自然に出た言葉だった。
彼女と話していると、彼女を中心にするかのように時間が巻き戻り、自分まであのころに戻ったような錯覚に陥る。
すまない、とキングズリーは口にする。彼女は気にも留めていない様子だった。

「おまえが眠っているあいだに、いろいろとあったんだ」
「そうだね」

微笑んではいたが、彼女は、しみじみと言った。
「そういえば」とキングズリーは思い出し、彼女と目を合わした。

「バーサ・ジョーキンズがいなくなったことは、知っているだろう」
「新聞で読んだよ」
「嫌な予感がする」
「当たらなきゃいいよね」
「闇祓いの嫌な予感は、大抵、当たる。最近は平和すぎた」

彼女は興味もなさそうに、椅子にもたれている。
おもむろに立ち上がったとき、反射的に、「もう行くのか」と引き止めていた。「ひさしぶりなのに」と。

「そろそろ昼食に行くが、おまえもまだなら」
「帰って、書類をやり直さないといけない」

書類の作成が不得意の彼女にとって、それは拷問に近いだろうに、とキングズリーは思った。無駄なものがなく、片付いているはずの闇祓いの机に、彼女はいつも手付かずの報告書を溜めていた。

「横丁にお使いも行くよ」

そう言って、彼女がひらりと見せた羊皮紙には、どこどこのケーキだの、植木を何鉢だの、箇条書きに大量のメモがされていたが、子どものお使いのような微笑ましさもあった。

「これは」
「新学期の準備で追われている、先生たちに頼まれたもの」
「容赦がないな」

こんなにたくさん、どうやって持って帰ればいいんだろう、と笑っている彼女が、その雰囲気が、あまりにもあのころの彼女とかけ離れていて、平和そのものに見える。

「もう闇祓いには見えない」
「もう闇祓いじゃないから」

だがそれを、よく思わない者もいるだろう。
毎年のように入れ替わる、防衛術の担任に、今年は彼が就任すると聞いている。きっと覚悟しておいたほうがいい、とキングズリーが話題にする前に、彼女が先に、「クラウチさんは、元気かな」と呟いた。

「異動してからも、変わらずに仕事熱心だと聞いているが」

彼女の表情は暗い。

「どうかしたのか」
「ううん」

またね、と言って、出口に向かう彼女とすれ違って、ニンファドーラ・トンクスが局に戻ってくるところだった。
トンクスは、すれ違う彼女をあからさまに盗み見て、浮き足だった足取りでこちらに近づいてくると、机の上から身を乗り出し、「ねぇ、いまのだれ?」と輝く顔を寄せてきた。好奇心旺盛な様子に、キングズリーは苦笑する。

「恋人でしょう?」
「いいや、古くからの知り合いだ」
「キングズリーにしては、随分とご執心な様子だったけれど」
「言っている意味がわからない」
「だって、昼食に誘っていたし」
「十数年ぶりに会えば、積もる話もある」
「面白くないわ」
「立ち聞きは面白いか」
「普段のあなたなら、外にいた私に、気づいていたと思うの」

キングズリーは、ため息を吐き、椅子から立ち上がった。結局、あれはだれなの? とアヒルの親子のように、トンクスがあとをついてくる。

「ちなみに私は、中華が食べたい気分よ」

そうだな、とトンクスをあしらいながらキングズリーは、彼女が杖を持っていなかったことが気がかりだった。

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