25 歯車は廻り続ける

シリウスがバックビークと一緒に姿をくらまし、ルーピン先生が辞任して。その日から、汽車に乗って家に帰る日まで、彼女の姿を見た者は城内にいなかった。
家族に不幸があったから国に帰ったとか、重たい病気を患って寝たきりだとか、色んな噂を耳にしたが、本当のことを知っているハーマイオニーは、マダム・ポンフリーに食い下がった。
「彼女に会わせてください」
しかし、けんもほろろに断られた。
もっとしっかり、強く、あの腕を掴んでおけばよかった。そうすればあんな怪我を負わずに済んだはずだ。
彼女の肩から止めどなく溢れる、満月に照らされた大量の血を思い出すだけで、ハーマイオニーは貧血のような目眩を感じる。
このまま、挨拶もできずに夏休みがやってくるのだろうと思っていた。
ホグワーツ特急に乗る日が、のろのろとやってきた。

教科書ではち切れそうなトランクを引きずり、すでにホグワーツ特急が停車している、プラットホームに出る。
最初は、人違いかと思った。黒いローブを着ている生徒たちの隙間から、白い服が見えた気がしたのだ。まさか、と思いながら、ハーマイオニーは彼らを押し退けていく。
ホームのベンチに、悠然と座っているひとがいる。
身体を傾け、相変わらず、遠い青空を見ている彼女は、ずっと見慣れているはずなのに、いまのハーマイオニーには、知らないひとのようだった。
空いている隣に、黙って座る。どうしても肩に目が行ってしまうが、いつものシャツブラウスの下がどうなっているのかまでは、わからない。
生徒たちのはしゃいだ声や、ペットの鳴き声が、別世界のことのように遠ざかっていた。

「元気だった?」
「えぇ。あなたは?」
「なんとか生きているよ」
「そのようね」

彼女がハーマイオニーを見る。それから、なにがおかしいのか、笑みをこぼした。

「思い出って、厄介なものでね」

たどたどしく言葉を選びながら、彼女が言った。そんなふうに話してくれたことがなかったので、ハーマイオニーもつい、真剣に耳を傾ける。

「苦しくて、息ができなくなることもあるのに、すごく大事でね。そんな思い出を置いておく場所が、私にはまだわからない」

でも、と彼女はベンチに座ったまま、身体を反らして、伸びをした。右腕だけを高く、掲げて、その手が太陽と重なり、上を見上げる彼女の顔の上に、手の形の影が落ちる。

「でも、そうやって生きていくしかないだなって」

横顔が、眩しそうに笑っていた。
ハーマイオニーはもどかしい。自分にはなにもできないとわかっているから、黙って隣に座っていることしかできない。
彼女は、自分がどれほどさびしそうに笑っているか、気づかないのだろうか。
クリスマスの朝、部屋まで彼女を起こしに行ったときのことだ。彼女はきっと、眠りから目が覚めるたびに、大切なものを失っていないだろうか、と不安に駆られるのだろう。
そして、それを受け入れるつもりなのだ。

「ひどいわ……」
「うん?」

彼女が顔を覗きこんでくる。
その心配そうな目と目が合った瞬間、ハーマイオニーは言葉を飲み込み、ぷい、と顔を逸らした。

「あれよ。あの、あなたのせいで、私は恥をかいたの」
「恥?」
「もっと、ちゃんと、ルーピン先生とのことは否定してくれなくちゃ」

あー、と彼女は間延びした声を出す。くすくすと笑っている。

「否定したけど、ハーマイオニーが聞いてくれなかったじゃない…あれ?」

ハーマイオニーは、ベンチから立ち上がっていた。なぜだか、わけもわからず、涙が出そうな気がしたのだ。
立ち上がったきり、黙りこんでいるハーマイオニーが怒っていると思ったのか、彼女は駄々をこねる子どものように、ハーマイオニーの手を揺らしてくる。

「ごめんね。今度からは気をつけるよ」

そんなかんたんに、謝らないでちょうだい。
もどかしいのに、ひとつも言葉にできなくて、涙を隠すことに必死だった。きっと彼女を困らせてしまう。

「手紙も書くよ」
「本当?」
「うん。ハーマイオニーは、でも夏休みも勉強で忙しいかな」
ハーマイオニーのトランクを見て言った。
「私、もう逆転時計は使わないことにしたの」
え、と彼女が目を丸くする。「そんなものを使っていたの」
「それで、全部の選択授業に出席してたのよ」
「うそでしょう?」

彼女の反応がおかして、ふふふ、とハーマイオニーは笑っていた。
ハーマイオニーが笑うと、彼女もうれしそうに微笑む。

「でも、本当に?」
「すごく大変だったわ。だから、辞めるの」

いまは、それだけでじゅうぶんだった。


ベンチに座ったまま彼女は、汽車に乗り込みに行くハーマイオニーを見送り、ほ、と息を吐いた。
そろそろ痛み止めが切れるころかもしれない。さきほどから、左肩で熱が疼いている。それから怒っているマダム・ポンフリーが容易に想像できて、またため息が出た。
そんな彼女のひざの上に、オレンジ色の猫が飛び乗る。
にゃあ、と鳴いた。

「クルックシャンクス」

頭を撫でてやると、うっとりと目を細め、のどを鳴らしてくる。

「私の部屋に居候していたくせに、どうしてシリウスのことを教えてくれなかったの」

クルックシャンクスは、しかし彼女の声には無関心な様子で、自分の前足を舐め、顔を洗い出した。
猫の仕草を眺め、癒されていた彼女は、ふと気づく。慌てて周りを見渡すと、あれだけ混雑していたプラットホームにも、残った生徒の姿はまばらになっている。

「なにしてるの。ご主人が行ってしまうよ」

ひざで寝つこうとしていた猫を抱え、彼女は立ち上がった。

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