20 もしもの話

「なぜだ」

シリウスは首を横に振った。「俺は気が進まない」
まだ学生だったころ、馬鹿らしくも面白そうな話を持ちかけてくるのは、ジェームズの役目だった。シリウスは、よくそんなことを思いつくな、と尊敬するような、半ば呆れるような思いで、魅力的な話の数々に乗ってきた。
こんなに気が進まない話は、卒業直前、リリーにプロポーズすると聞かされて以来だ。
シリウスの苦い顔を見て、ジェームズは笑った。

「僕も、どうかと思ったんだけど」

困った顔をしているが、ジェームズはだらしなく、どこか幸せそうに笑っている。シリウスはその顔を知っている。好きな女の話をするとき、ジェームズはいつもその顔になるのだ。
「リリーが、もう決めちゃったからさ」と案の定、言った。
「決めちゃったからって、おまえ」シリウスの声は呆れ、のろけている場合か、と批判的なってしまう。

「彼女がおまえたちを守るのは、それが仕事でもあるからだ。多少の危険は、経験上わかっている」
「たしかに彼女は、心強い味方だなあ」

ダンブルドアが不死鳥の騎士団を結成したものの、仲間の数はやはり、刻一刻と減っていた。いまとなっては、心強い味方は貴重だ。
自分のために、友人たちを危険にさらしたくない気持ちは、シリウスにもわかるつもりだ。だが、大切なひとの命が危ないというときに、黙って見ているなんてことだけは、なにがあってもできない。ジェームズだって、逆の立場なら、そうしていたはずだろう。

「彼女を眠らせて、それでどうするんだ」
「あなたたちだけじゃないのよ」

声がしたほうを振り向くと、赤ん坊を抱いたリリーが、部屋へ入ってくるところだった。ジェームズに赤ん坊を渡し、彼の隣に腰を掛ける。

「大切なひとを守りたいのは、私たちもなの、シリウス」

シリウスは顔をしかめ、じっとリリーを見つめた。
シリウスに見つめられて、毅然としている女性は珍しい。リリーは、まるで子どものわがままを見守るようなまなざしで、シリウスを見つめ返してくる。
「それだけじゃないの」とリリーが言った。

「彼女を、ヴォルデモートに近付けたくない」

シリウスが詳しいことを聞く前に、この話はここで終わった。家のチャイムが鳴ったのだ。時間が時間だったので、「だれかしら」とリリーが心配そうにジェームズを見る。ハリーとじゃれあい、鼻からずれた眼鏡を押し上げながら、ジェームズも怪訝そうに家の玄関のほうを見やる。
「僕が見てくるよ」と立ち上がるジェームズに、「きっと、ピーターだ」と教えた。

「きみが呼んだのかい?」
「実は俺も、おまえたちに話があるんだ」
「どんな話だろう」
「秘密の守人について、考えたんだ」

シリウスはのどの渇きを覚え、テーブルの紅茶を一口、飲んだ。緊張しているが、自分の作戦は敵の裏をかき、きっとうまくいくはずだ、と確信していた。

それが、あんな結果になるなんて、思ってもいなかった。


「ごめん」

足にすがりついてくる小柄な男に向かって、彼女は頭を下げた。垂れた黒髪が、男の禿げた頭にかかる。男は、ピーターは小さな目を見開き、愕然とした。顔を歪めて泣いていた顔が硬直し、最後の望みを絶たれたような、絶望感が広がっていく。

「わ、わたしは止めたんだよ…」

ねずみから戻したというのに、ピーターは小刻みに震え、キーキーとした声を出した。なにを言いだすつもりなのか、いやでも分かり、シリウスは舌打ちをする。

「きみを眠らせるなんて、わたしは反対したんだ」
「おまえはジェームズとリリーを、ヴォルデモートに売ったんだ」

シリウスはピーターの肩を掴み、彼女から離そうとした。が、ピーターの丸い身体はピクリとも動かなかった。
溺れている人間の助けを求める力は、救助にきた者をも溺れさせるというが、いまピーターは、どれほどの力で彼女にしがみついているのだろうか。彼女まで、溺れさせるつもりなのかもしれない。

「彼女から離れろ」

あまりに惨めな姿を見ていられなかったのか、彼女はつらそうに、ピーターから顔を逸らす。ピーターがその腕を抱きしめるようにして、さらにすがりつき、よろける。
もう一方の肩を、リーマスが掴み、ピーターをふたりがかりで引っ張った。

「だって、そうだろう? きみは眠らされて、終わらない夢のなかに、閉じ込められてたんだ。わたしにはきみのつらさがわかる。可哀想に、きみは、きみは……」
「いい加減にしろ、ピーター」

ピーターのせいで、十二年ものあいだアズカバンに閉じ込められていたシリウスは、声を張り上げていた。もうなにも聞きたくない。これ以上は、見ていられない。
こんな男に、一番大切だったひとたちの命を預けてしまった自分を、いっそ呪い殺したくなる。
もうなにも取り返しがつかない。悲しみが、怒りが、憎しみが、弾けた。
ピーターの身体を、力任せに引っ張る。彼女から剥がれるように離れ、勢いよくしりもちをついたピーターと、目が合う。恐怖と怯えに満ちた彼の目を見た瞬間、シリウスの内側に、怒りとは別の、妙な感情が沸いた。同情だった。
部屋の隅で硬直していた子どもたちの中から、ハリーが一歩、前に出てくる。

「父さんを、恨んでいるの?」

シリウスは彼女を振り向く。ピーターにしがみつかれ、支えきれず床に膝をついていた彼女の表情は、髪が邪魔で、見えない。ゆっくりと立ち上がり、顔をあげる。悲しそうな瞳が、まっすぐとピーターを見下ろしていた。

「ピーター」

びくっと身体を反応させる。ピーターの浅く忙しない息遣いが、ひどく耳障りだ。

「私は、本当のことが知りたい」
「え」
「ジェームズとリリーは、どうして死んでしまったの?」

ピーターが、わっと泣き出した。

「わたしに、なにができたっていうんだ。闇の帝王に、わたしは脅されたんだ。きみにはわかるまい…きみたちのように、わたしは勇敢ではない。わたしは怖かったんだ!」

ピーターは哀れっぽく訴えるが、だれの心にも響かない。血眼になっている目が、急にシリウスを振り返った。

「シリウス、わたしが殺されかねなかったんだ」
「それなら、死ねばよかったんだ!」

シリウスは我慢できずに、吠えた。「友を裏切るくらいなら、死ぬべきだった! 我々も、おまえのためにそうしていただろう!」

汚れた顔をくしゃくしゃにして、ピーターは泣き崩れた。嗚咽が漏れる。

「きみは気づくべきだった」リーマスが、抑揚なく言った。
「ヴォルデモートがきみを殺さなければ、我々が殺すと」

シリウスも杖を構える。ようやくだ、と心の中でつぶやいた。これですべてが終わる。
ようやく、復讐を遂げるときがきた。

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