むかしむかし、あるところに、仲睦まじい男女がいたそうな。二人は、悪魔の子から世界を救う、翼を背負い、空を舞う勇者であった。
空に愛された二人だったが、天命に逆らい、禁断の果実を口にした。
二人を良しとしなかった神は、男から女を奪った。男は、愛した女と二度と逢えぬ悲しみにくれながらも、死ぬことは許されなかった。まいにち、毎晩、女を想った。
「ぼくが彼女に触れなければ」
男は毎日、かなしみながら生きた。
男は女と見た夢を胸にしたまま、勇者の翼をもぎとる悪魔の子に身を砕かれ、息絶えた。
男は今も、女を探して天を駆けている。
女もまた、男を想い、身を雨にして男を探した。
それが星であり、雨である。天命に背いた二人は、神の天罰によって、もう二度と、結ばれることはない


駅前から少し逸れた路地。
昔ながらの喫茶店や、古いカメラ屋。玄関先に並べられた植木鉢があるその道を進めば、偶然見つけた穴場の古本屋。

高校二年生に進級した私は、早めの梅雨入りの知らせを受けて無意識に嫌な気持ちになっていた。
昔から雨が嫌いだった。まるで撫でるように肌を這い、あっという間に体を濡らしてしまう。傘を差すのも手間。気分も重くなる。だから、雨は嫌いだ。

部活動もなくなるくらいに、今日はひどく雨が降っていた。
うちの地域を走る路線は、雨に弱い。電車がなくなっては帰宅できなくなってしまう。私は親とは折り合いも悪いから、なるべくそういう、迎えに来てもらう、だとかの、小さな面倒は避けたい。だから今日は電車がなくなる前に学校を出た。ひどく降り続く雨を傘が受け止め、地面へ流す。
私は時たまビニール傘越しに天を仰ぎ、「暗いなあ」と呑気に呟きながら歩いていた。

私は寄り道が好き。
今日もいつもは通らないような、傘をさした人間一人が進むのがやっとな道を入った。昔ながらの喫茶店や、古いカメラ屋を見つけ、必然的に胸が高鳴る。玄関先に並べられた植木鉢があるその道を進んで行けば、一瞬素通りした場所が気になり、そちらを見た。
天命屋≠ニ表札にある。どうも古本屋らしい。
私は、本には興味がない。だけど、私は何も考えずに引き戸の持ち手を左に引いていた。
からからから、と、軽い音を立てて戸が開き、学校の図書室をもう少しだけ古くしたような匂いが鼻から入って胸へ届く。嫌いじゃなかった。

私は濡れた傘を入口の外に立てかけ、濡れた靴底を玄関先にあるマットに押し付けて水気を取り、中に入った。
何も買う気はないのに、何故入ったんだろう。
店員さんはいないらしい。けど私は本棚にある本を眺めたり、指でなぞった。その中でひとつ気になる本を見つけた。

「……ほしあめ贖罪しょくざい=c…、」

学校にある、魔法使いが出てくる分厚い小説くらいの厚さがあるその本を、私は開いていた。
本棚の隅にあったそれ。しかし埃もなく、カビてもいない。店員さんはきっと丁寧な仕事をする人なのだろう。

数ページ読むまでは、いつもしないことをするむず痒さからかあまりいい心地がしなかったが、読めば読むほど、興味をひかれた。
この世界のどこかにある、この世界ではないどこかの、話。
古代の歴史本にしてはいささかファンタジーがすぎるような、ふわふわとした話が続いている。一章を読み終える頃、私の左横に気配を感じて少し飛びながら驚く。予想より背が高く、優しい表情でこちらを見るのは、外国人の男性だった。

「あぁ、すまない。邪魔をするつもりはなかった」
「す、すみません、立ち読みしちゃって……、あの、すみません、すぐ出……」
「いや、いい。どうせお客さんも来やしないからな。ゆっくり読むといい。こっちに椅子があるから、おいで」

でも、と言いかけたが、私は彼の背中をおずおずと続いた。

古い、木の椅子と机。木の椅子には座布団が敷かれている。私はそこに腰を下ろしてさっき読んでいた本の表紙を見ていると、先程の店員さんがたった今書いた手書きのメニューを渡してきた。

「何か飲むか?これしかないが」

古本屋兼、喫茶店……という感じでもない。
私は変に気を遣われている気がしたが、とりあえずアイスレモンティーをお願いした。
レモンティーを待つ間に再び本を開く。少しして、店員さんは机にコースターとレモンティー、ガムシロップをいくつか入れた小さなカゴを置いた。

「すみません、ありがとうございます……お気遣いさせてしまって」
「いや、俺が好きでやってる。気にせず読んでくれ」
「すみません」
「……本が好きなのか?」
「……あ、えっと、いえ、あんまり」
「正直でいいな」
「えっと、すみません……、いつもは読んだりしないんですけど。なんだかこのお店が気になって、つい入ってしまって……。あ、この本、おいくらですか?」
「お代はいらない。君にプレゼントするよ。滅多に本を読まないお嬢さんが折角手にした本だからな。古本で悪いが、進級祝いだ」

制服にある真新しいバッチにはU≠ニある。それを見たのだろう。私は嬉しくなって礼を言った。

これが、私と古本屋の店主、エルヴィンさんとの出会い。

◇◇

私はその日から、雨のひどく降っている、下校の早い日には天命屋に訪れ、エルヴィンさんは私にレモンティーを出し、私は五つあるガムシロップのうち、二つを入れて飲む。そして、エルヴィンさんにプレゼントされた本、天と雨の贖罪≠読む日を過ごした。
ふらりと立ち寄った客と店主の距離から、少しの雑談ができるようになり、近頃学校で流行っているのはなんだとかを話したり、カウンターにいたエルヴィンさんは読書する時に眼鏡をかけるんだなあとか、一週間に二回、古本たちの整備をして、私が来るとタオル片手に出迎えて、濡れた肩にタオルをかけてくれたり。仲良くなっていくにつれ、本のページもゆっくりと減っていく。

「ここで読む方が、落ち着いて読めるんです」

そう言い訳をして、私は必ずここで貰った本を読む。
ここにきて、本を読めば。エルヴィンさんに会える。
きっと、この本の二人みたいに結ばれない運命なんだろうけど、私はエルヴィンさんが好きだった。生きた時間も、経験も、彼より二十年少ない私なんかじゃ到底叶わない恋だって、十七の私でさえ分かった。

だけど。
私は、早めの梅雨入りの知らせからしばらく経った六月の頭。

「私、この本屋さんが好き。この、本も。私は、エルヴィンさんと、エルヴィンさんに関わる全部、全部が好き……です」

エルヴィンさんは本を落として、見たことがないくらいに狼狽えた。私は一瞬、言ってはダメだった≠ニ思った。エルヴィンさんは背を向け、息を吸った。

「……今日は帰りなさい」

そのまま、エルヴィンさんは裏に行った。
私はどうすることも出来ず、勝手に涙が出てきて、本をカバンに突っ込んで、甘くなったレモンティーは半分も飲まずに店を飛び出した。
傘もささずに。ひたすら、路地を走った。私はなんで、あんなこと。本の二人は今、たった今結ばれたところだった。私のようなどこにでも居る少女の恋の結末は、御伽噺おとぎばなしのようにうまくはいかない。
カバンに入れたこの本の、愛し合っていた勇者の二人でさえ、天命によって引き裂かれてしまったのだから。

私はあれから、エルヴィンさんには会っていない。
プレゼントされた本が寂しそうな雰囲気を纏うようになった六月の後半に、私は本を返す決意をした。
言い方が見付からないが、罪悪感≠ノ近い感覚。私はその感覚を拭い去るため、エルヴィンさんの元へ向かった。今日は休みだけど制服を着て、母親が行き先を聞くのを背に受けながら、家を出た。
近頃ニュースでは頻繁に、川の氾濫が起きていると報道があるくらいにひどい雨が続いていた。傘も意味をなさないほどに降り続く雨の中、ローファーのなかに水が入り込み、ぐぢゅぐぢゅと不快な音と感覚をその中に感じながら駅前に到着する。そして、少し進んで、路地へ。

昔ながらの喫茶店や、古いカメラ屋。玄関先に並べられた植木鉢があるその道を進めば。

「……あれ……?」

天命屋≠フ表札はなく。
嫌な予感がして、引き戸に手をかけた。
鍵のかからぬその戸は、初めて来た時のように軽快に、そして招き入れるように開いた。

しかしそこには、勝手に懐かしさを感じる、図書室の本を古くしたような匂いも、積み重なった安売りの本も、古い木の椅子も、机も。店主も、全て。

「……ない」

ただの空き倉庫のような空間に、ひどい雨の音が響いて、足を踏み入れれば、水を含んだ砂がじゃり、と鳴った。

「……エルヴィンさん……?」

足を進め、初めて店の奥、裏手への入口を入ってみる。
知らない空間が広がる。二階への階段や、短い廊下。開いたままのトイレや脱衣場の扉。店と同じく、家具もない部屋が続く。

エルヴィンさんの暮らしていたこの部屋。
なんとなく、匂いが残っているような。

私は階段をあがってみる。
襖があり、開くと、部屋の真ん中に封筒が落ちていた。
地味な茶封筒。私はみてはならないと思いながらも、中身を取り出した。


むかしむかし、あるところに、仲睦まじい男女がいたそうな。二人は、悪魔の子から世界を救う、翼を背負い、空を舞う勇者であった。
空に愛された二人だったが、天命に逆らい、禁断の果実を口にした。
二人を良しとしなかった神は、男から女を奪った。男は、愛した女と二度と逢えぬ悲しみにくれながらも、死ぬことは許されなかった。まいにち、毎晩、女を想った。
「ぼくが彼女に触れなければ」
男は毎日、かなしみながら生きた。
男は女と見た夢を胸にしたまま、勇者の翼をもぎとる悪魔の子に身を砕かれ、息絶えた。
男は今も、女を探して天を駆けている。
女もまた、男を想い、身を雨にして男を探した。
それが星であり、雨である。天命に背いた二人は、神の天罰によって、もう二度と、結ばれることはない

「……私が読んでる、本の中の話……」

君と私は、交わってはならない。それは天命によって、神の罰によって。君の幸せを一番に願ってる。 エルヴィン


この日、私とエルヴィンさんの運命は途切れた。

◇◇

それから私は、エルヴィンさんとのことを忘れるようにと受験をし、大学に入り、勉強をして、就職した。
だけど、私が願ったように、エルヴィンさんとのことを忘れることはできなかった。手元に残された本を返せず、私はあの雨の日から進めずにいた。

雨の日には、あの路地に行ってしまいたくなる。
涙が出て、勝手に、というには短すぎた恋をそのままに消えたエルヴィンさんを探して……、探して、何になるのだろう。
学生時代の雨の記憶は私の足元を歪ませ、足取りを完全に止めてしまっている。

今年はあの年以来の、早めの梅雨入りの知らせを聞いた。どうりで、雨が続くわけだ。

私は呼吸を何度かして、何年かぶりにあの本に手を伸ばした。エルヴィンさんのお店で読んだのは、半分まで。もう半分は読めずにいた。
これは、エルヴィンさんと会うための、まだこどもだった私の口実だったから。

パラパラと開いてみると、最後のページから数枚は手書きでメッセージが綴ってある。どうやら、本自体は未完成のようだ。その事実に何年も気が付かないほど、読書自体から離れ、エルヴィンさんに関することは避けていた。

「……エルヴィンさんの字……?」

手紙のように綴られた文字。
英語で書かれたそれをなんとか読みたくて、調べながら、時間をかけて翻訳して。翻訳が終わったのは、それを見つけて一週間後だった。
いざ、私は自分でおこなった拙い翻訳で文章を読む。

これは、私と愛する人の物語。著者は神だ。最後のページにこれを綴ったのは、もう私はこの物語の雨となった君と巡り逢うことは、今回で最後だから。
私は天から、地に落ちる雨粒に君を見つけ、君が落ちる時、私もまたこの世に落ちる。そして、雨のもとを探せば必ず、きみ≠ニ巡り逢うんだ。
そして、私はその度に君を失った。私達は巡り逢い結ばれれば神の罰によって引き裂かれる。必ず、君が死ぬ。
今回で、神から許された情けは終わりだ。今回でこの世に生を受けたのは五百回。私と君が許された巡り合わせは、今回で終わる。君をこの世から失いたくない。君が死にゆく様を目の前にして、ただ神を、自らの無力さを、天命を、罰を、恨むしかできないこの輪廻を、終わらせる

私は紙を持って、家を飛び出した。
車のエンジンをかけ、向かったのは通学に使っていた駅。

君は出逢う度に美しく、そして、出逢う度に謝ることが癖だった。こちらは「ありがとう」と言われる方が嬉しいし、君が悪いことをしていなければ謝る必要はないよ。
もう、会うことは出来ないから、先にここで返事を。答えは「イエス」だ。生まれ変わる度に君から愛を伝えてくれる、またきっと、今回も君からなんだろう

私は紙を手にしたまま走った。
あの人はいないって、分かってる。
でも、今、行かなきゃいけないって気がした。

君を愛してるよ。何度生まれ変わっても。
君はもう、長く生きるべきだ。どうか私を見かけても、見知らぬ振りをしてくれ。
さようなら、私の愛した人。どうか、幸せに

例え、エルヴィンさんのいう君≠ェ私じゃないと分かってても、私はエルヴィンさんに会いたくて走った。路地に入る。景色は数年経過した今も変わらない。

飛び出してきた猫を避け、見えてきた始まりの場所。
表札のないその家の戸を開くと、以前と変わらず何もない空間が広がっている。私は中に入り、紙を握りしめたままで膝を着いた。
後から後から溢れては、コンクリートに染みをつくる涙が邪魔だ。会いたかった。あいたい、エルヴィンさん。私はきっと、君≠ナはないけれど、最後にもう一度だけ、

「エルヴィンさんに会いたい、エルヴィンさ」

再び名を呼ぶ前に、私は懐かしい匂いに包まれていた。

「……そんな声で呼ばれたら、俺だって堪えられなくなるだろ」

後ろから聞こえた声。温かさも、本当に。

「……エルヴィン、さん、」
「ああ、あぁ……っ、」

私は姿を確かめたくて振り向いた。
美しい髪と瞳。肌は紅を差し、探し求めた彼の姿が目に映った。

「……本、読んだのか」
「……はい、英語、最後のページの……翻訳して……」
「……そうか」
「エルヴィンさん、私、以前の記憶はないんです。だけど……私、エルヴィンさんが好きで、愛してて……、だから、会いたくてっ、それで……っ、」

私が言えば、エルヴィンさんは「もう、分かったから」と私を抱き締めた。私もエルヴィンさんにしがみつくように抱き締めた。少し顔を上げて、どちらともなく近付き、躊躇いながら、唇を重ねた。

頬に流れる二人の涙が合わさり、地に落ちる。それは雨にもよく似ていて、絶えることなく零れ落ちていく。

唇を重ねては離れ、初めてのキスとしては刺激的で、体の熱くなるキスだった。名残惜しくも離れた私たちは、また互いのことを想って静かに泣いた。

「頼む、もう……俺より先に、死ぬな……」

エルヴィンさんの顔を上げ、私から拙いキスをした。

これが、私とエルヴィンさんとの始まり=B

◇◇


その後、私達は何かを恐れ、追い付かれないように、二人だけで挙式をおこなった。きっと私達、いや、私には、時間がないから。

エルヴィンは式を挙げた日の夜、長い時間、悲しげに私を見てきた。

「……エルヴィン、私、幸せだよ」
「……本当か」
「うん。前世の記憶は全くないけど、やっと出逢えたんだって思えた。この世に生まれて、エルヴィンに出逢えて良かったって。結ばれて、幸せだって思うから」

エルヴィンの瞳からも、私の目からも、大きな涙が零れ落ちていく。
エルヴィンは泣き虫なんだね。前からなのかな。

「……なあ、」

エルヴィンに引き寄せられ、私はエルヴィンに抱き締められた。私もそれに応えるように優しく彼の頭を抱く。

「……俺より先に死ぬな」
「……うん」
「置いて、いくな」

こんなに幸せで自由なのに、結ばれた私達を老いるより先に死が別つなんて。それはきっと、今すぐにではないはずだけど。生死については、約束は……できない。
でも、今度は私が、私のために生きたあなたのために生き、二人で老いて、天に魂を還したい。

「もう、俺から、彼女を……奪わないでくれ」

小さく呟いたエルヴィンの言葉は、神に届いたのだろうか。……神様、どうか今回だけは。

「ねえ、エルヴィン」
「……なんだ」
「私と結婚したの、何度目?」
「……初めてだよ」
「……そっか」

今日は梅雨にしては雨雲もなく、綺麗な星達が輝いている。私はエルヴィンに降る雨を止ませるように、そして、願いを込めるようにキスをした。


- かれわたし贖罪うんめい Fin -
next →あとがき




8
章top

HOME
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -