未完成の部屋


サラが何かしらの違和感を感じたのは、同僚からの言葉からだった。

「サラ、部長と同じ匂いがする〜!まーさーかー?部長と付き合ってんの?」
「んなわけないでしょ!それに、似たようなやつ付けてるのかもしれないじゃん。私のは安い香水だし、多分一緒じゃないって。部長がつけそうなやつじゃないよ」
「たまたま部長と同じ匂いっていいなあ〜。ねえ、なんの香水使ってんのかなぁ」

話しが聞こえていない同僚に困った笑いを零す。

「部長に聞いてみればいいじゃん」
「えっ、あは……恥ずかしいよ、かっこいいし目が見れない」
「なにそれ」

サラの勤める会社の上司、エルヴィン・スミス。彼の仕事に対する熱意と、そして敏腕さ。加えて眉目秀麗、まさに非の打ちようのない男性だ。男は彼に羨望の眼差しを、ある女達は少しでもエルヴィンに気に入られようとする。良くも悪くも、皆の憧れの存在。

「サラはよくフッツーで居られるよね、私なら近くに行っただけでもうダメだよ」
「部長は私にとってはどっか現実味がない人なんだよね。例えば芸能人とか。だから逆に普通に接することができるのかもね。もう好きとか嫌いとかの次元じゃないなあ」
「あー、ちょっと分かるかも〜」

賑わうカフェの列に並びながら同僚と話し、自分達の番が来て注文した。会計時、サラ達が財布を開いた瞬間、二人の間から誰かが割り込んで店員に話し掛けた。

その人物はエルヴィンだった。

「すまない、この二人の会計は私が」
「ぶ、部長!!」
「お疲れ様です!!」

戸惑いながらも、自分達が払うだの、部下にいい顔したいだの言って、結局エルヴィンに奢ってもらった。

会社に三人で戻りつつ会話をする。

「部長、いつからうしろに?」
「あー……君達が並んですぐかな」
「じゃあ話とか聞かれちゃってたんですかあ!?やだ〜」
「イヤホンしてたから分からなかったよ、ほら」

手を開いてコードレスイヤホンを見せるエルヴィンに、同僚はあからさまに安心したような素振りをしてみせる。

「安心しましたあ」

猫撫で声の同僚にこっそり苦笑いをして、手に持ったカフェモカの入ったカップを見る。

“いつもありがとうございます!寒いので暖かくしてください”

店員の男性に覚えて貰って、初めてメッセージが書かれているのを見て顔が綻んだ。文の終わりには可愛いニコニコマークがついている。今まで地道に足を運んでは軽い雑談をした甲斐があった。気がある訳では無いがこういうのが憧れだった。

「何を笑ってるんだ?」

近くでエルヴィンの声がして目だけで見れば、優しい表情でこちらを見る碧い瞳と目が合った。

「ほらこれ、メッセージですよ。私、あのカフェの店員さんからメッセージ書いて貰ったんです」
「おお、凄いな。俺はたまに行くが、まだ書いて貰ったことはないぞ」
「何か意外ですね」
「そうか?よし、俺もこれを機に通いつめるかな」

エルヴィンの言葉に同僚と笑う。
カップを風景と一緒に撮影し、スマートフォンをコートに仕舞う。ホットのカフェモカを一口飲もうとして、熱気を感じて躊躇うが口をつけた。案の定少し熱いが飲めそうだ。

なんだかんだで会社に着いて、自分達の部署へ戻ってきた。

「サラ、」
「うん?」

エルヴィンがデスクに座るのを確認して同僚が言った。

「部長、“俺”って言ってたの気付いた?」
「……そう、なの?」
「もー、ちょっと無関心過ぎ!よく聞いて!部長の美声を!」

同僚と笑いながら雑談し、カフェモカのほろ苦く、甘い風味にほっこりする。休憩時間も終了する頃、サラは同僚と離れて席に着いてパソコンとにらめっこを始めた。

―――

「俺の家、か?」
「はい!部長のご自宅、行ってみたいんですよ〜!」
「絶対豪邸じゃないですか、ブランデー片手に暖炉の前でバスローブ」

退勤時間になった頃、エルヴィンの周りを数人の男性社員が囲っていた。中心には困り顔のエルヴィン。何やら、男性社員がエルヴィン宅で飲み会がしたいとゴネているらしい。十五分程エルヴィンは格闘し、遂にエルヴィンが折れた。

「……分かった、明後日が休みだろう。明日なら大丈夫だから明日、私の自宅で食事でも振る舞うよ」

エルヴィンの言葉に湧く男性社員。それを遠目から「いいなあ〜」という同僚に愛想笑いを返した。

一瞬、エルヴィンと視線があった気がして、つい逸らしてしまった。

「じゃ、私達も帰ろっか」
「そだね、まあいずれは私が部長の女になったらサラを自宅に招くよ」
「はいはい、楽しみにしてるね」
「あっ!こら!嘘だと思ってたらやっちゃうからね!?」

会社から出て、同僚と別れる。
スマートフォンを取り出して、音楽を聴きながらSNSを開いた。

昼間に撮影したカフェラテのカップと、キャプションを入力する。
投稿すればまだ数秒だというのにハート(いいね)が付く。

それを確認してから、スマートフォンをポケットに仕舞い、自宅へと向かった。

―――

帰宅後。
間接照明だけの薄暗い部屋。
掃除を終え、風呂上がりに髪を拭きながら、スマートフォンでSNSを開く。チェックし終えた投稿。それを繰り返し、繰り返し更新して読み込む。ポン、と、新しい投稿がされ、そこにはまだ自分が手に入れていないものが映っていた。

ベッドに寝転んで、深呼吸しながらブラウザを開き、検索窓をタップした。

「さっきのブランドは……」

独り言を零す。
名前が紹介されておらず、分からないブランドだが、特徴を打ち込んで検索すると、いくつか候補が上がった。

「……あった」

求めていた物が見つかり、直ぐにカートに入れた。
購入完了の文字と注文番号が表示され、スマートフォンを腕ごとベッドに落とした。

「……何か足りない。何か……」

そう呟いて、瞼を閉じる。
体が重たくなり、寝落ちそうになるが体を起こし、日課である寝る前のココアを作りにキッチンへと向かった。

―――

テーブルの上のマグカップにはココアを入れていたが、カップの底が見え、隅に三日月の形を残している。

サラは間接照明のままスマートフォンを弄り、今日宅配ボックスに届いていた新しいパジャマに身を包んでいた。それもすぐにSNSに投稿している。

スマートフォンをいじりながらも、昼間の同僚との会話を思い出す。目は画面の文字を滑るばかりで、全く集中出来ず、画面を閉じた。

ベッドに勢い良く座り、横になる。

ある訳ない、何も。

次第に落ちていく瞼を止めることは出来ず、サラはそのまま寝落ちた。

―――

次の日。
出勤すると、同僚が目を輝かせながら駆け寄ってきた。

「ちょっとサラおはよう!!」
「な、なに、おはよう……」

同僚によれば、昨日のエルヴィン宅の飲み会に行く男性社員に自分のエルヴィンへの胸の内を話し、協力してもらえることになったのだとか。

その会にサラも同行することになっていた。
サラも初めはわざと嫌な顔をしてみせるが、すぐに承諾した。いつも仲が良い同僚の恋路を少なからず応援するつもりではいるのだ。

同僚もサラも一日、前向きな気持ちで仕事に励んだ。

そして待ちに待った退勤時間。
心做しか同僚の化粧が濃い気がする。
待ち合わせた会社の外では、男性社員と部長がいた。

「すみません!遅くなりました」

同僚と軽く会釈しながら駆け寄ると、エルヴィンが一瞬目を見開いた。

「……あ、部長すみません。この二人も一緒なんですけどいいですか?」
「え!?まだ言ってなかったんですか!?」

サラ達が一緒に飲むことを男性社員は伝えていなかったようで、エルヴィンに平謝りしている。

「いいよ、人数は多い方がいいさ。それに今日は鍋パーティーだろう。作りがいがある」

サラと同僚は歓迎に礼を言って、エルヴィンの後に続いて自宅へと向かった。


―――

到着した場所は綺麗なマンション。
入口のセキュリティを解除し中に入る。エレベーターで部屋のある階に降り、一番端の部屋のドアに鍵を挿した。

少し重そうな扉をエルヴィンに代わり、男性社員がおさえ、先にエルヴィンが部屋に上がった。

「さあ、どうぞ。散らかってるが」

その、よくある文言に「はいはい絶対嘘ですよ」と皆が口々に返しながら入室していく。

「お邪魔します」
「ああ、ようこそ」

サラの言葉にエルヴィンは微笑んだ。

「真っ直ぐ行った場所がリビングだから進んでいいよ」

皆に声をかけ、それに従い進み、ドアを開けた。

目の前に広がったのは、無駄なものが無い、必要最低限の物が揃えられた部屋。

ダイニングテーブルと、少し離れた場所にローテーブルとソファーがあった。ローテーブルの方に卓上コンロが置いてあり、簡単な支度がされている。

「皆、座って待っていてくれ。私が支度するから」

エルヴィンの言葉にサラと同僚は「手伝わせてください」と食い気味に言った。男性社員も何かしら手伝う姿勢はあったが、同僚が睨んで圧をかけた。

エルヴィンにいいところを見せるため、同僚は本気だ。

エルヴィンの手から渡される食材なんかは既に下準備がされている。

「部長、前日に準備されてるんですよね。この量だし大変でしたよね」
「いや、全然だよ。だって直ぐに食べたいだろう?」

少しお茶目な笑顔を見せるエルヴィンに、サラは笑顔を返す。

先程コンビニに寄った男性社員が袋から大量に酒を取り出して、冷蔵庫に仕舞っていく。

「早く飲みたいっすよー」
「まあ待て、煮えてから」

エルヴィンは本当に部下に慕われていて、少なからず、ここに居るメンバーはエルヴィンを好いている。

数分後、鍋の具材もいい具合に煮えた。

各自、先程選んだ酒を手にする。

「じゃあ今日もお疲れ。皆ほどほどにな。乾杯」

エルヴィンの乾杯の音頭で全員が乾杯し、同僚が先陣を切って鍋を取り分けていく。同僚の座っている場所はエルヴィンの横。かなり気合いが入っているようだ。
同僚と目が合い微笑むと、口パクで「ありがとう」と言ってくれた。

良かった、サラは素直にそう思う。

両隣の男性社員と話しながら同僚を見れば、恥ずかしがりながらもエルヴィンとしっかり会話している。

今日来て良かったなあ。

サラは「これ飲みやすいよ」と勧められるまま、男性社員から酒を受けとり、飲んだ。

―――

しばらくして。
鍋も完食し、締めの雑炊をする頃。楽しい鍋パーティーに酒も進んだサラはエルヴィンに「お手洗いは」と聞く。

「ああ、そこを出て少し進んで左側にある」
「ありがとうございます、お借りします」

サラはリビングを出て、暗い廊下を進み、左手側にあったドアノブに手をかけ、ドアを押し開けた。
ふわふわとほろ酔いのサラの手は壁を撫で、電気のスイッチを探す。手に当たったスイッチを押し、明るさに目を一瞬瞑り、ふらりと足を踏み入れる。

目が慣れてきて、違和感に気が付く。

目の前に、自分の部屋。
家具の配置、小物、衣類全て、自分の部屋にあるものがそっくりそのまま置いてあった。

「……え、何、なんで、え?」

部屋にまた一歩入り、棚に置かれたシャンプーを見た。あれもまた、自分が自宅で使用するものと同じもの。シャンプーはポンプが上がり、使用済みになっている。棚の上の香水も、自分が持つものと

「いっしょ、私の……と、」

ここは、部長の家の筈なのに。
酔いはあっという間に冷め、突然恐怖心に襲われて後ずさった。

背中に壁が当たる。しかし、こんな間近に壁なんて。振り返ると後ろには、エルヴィンが立っていた。

エルヴィンはサラを見下ろしたまま、いつもの優しい表情のままで、

「トイレはここじゃないぞ」

と笑った。

―――

「あれえ、部長、サラは?」
「酔いが酷くてな。先に帰ると言って帰ったよ。皆に謝っておいてくれと伝言付きで」

エルヴィンの言葉に男性社員もサラの同僚も残念そうな声を上げた。

「てか、俺達もそろそろ帰らないとですね。時間も遅いし」
「そうだな。部長、お仕事でお疲れのところ本当にありがとうございました、ご馳走様です」
「皆もう帰るのか?もう少しゆっくりしても良かったが」

エルヴィンの言葉に酔っ払いの部下達は「もう帰りますよ」と笑った。各自でタクシーを呼び、順々に帰宅していく。
サラの同僚も結局酔っ払い、男性社員に連れられて帰宅していった。

最後の一人を見送り、エレベーターに乗ったのを確認し、部屋に戻る。施錠をし、リビングの片付けをしたエルヴィンは、先程サラが入ってしまった部屋に向かう。

ドアを押し開け、電気を付ける。

目の前には、サラのSNSから得た情報で作り上げたサラの部屋が広がる。そして、部屋の奥にあるベッドには、泣いてグズグズになったサラがこちらを睨んでいる。

エルヴィンはしばらく部屋とサラを全体的に眺めて溜息をついた。

「……は、はは……。そうか。なるほど」

エルヴィンは口元に手を当てて笑いを堪えているようだ。

「……はあ、いつも何か足りないと思っていたが……ああ、やっと完成した」

エルヴィンはそう呟いて部屋に入り、ドアを閉めた。




-Fin-




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