「んぎゃあっ!」


名前の間抜けな声が船内に響いた。それにいち早く気付いたのはアーロンで、駆けて行きたい気持ちを抑え名前の元へ歩いて行く。
心配で仕方ないのにわざわざ歩くのは周りに余裕が無いと思わせたくないからだ。つまりは意地っ張り。


「名前!」

「アーロンさん…すみません…何があるんでしょうか」


座り込んでる名前の足元には板が数枚置かれ、僅かだが段差になっていた。板をどかし片手で名前を担ぎ上げ、自身の部屋へと向かう。


「板が置いてあった。全く…誰が」

「…すみません。私が見えないせいで」


名前は盲目だ。それ以前に魚人でもないのに肌が鱗状で(恐らく、魚人と人間のハーフだろうが真相は定かではない)、見た目の珍しさから見せ物小屋に置かれていた。盲目ゆえに何も出来ず、文字通り置かれていただけだったが。
アーロンはそれを見、気まぐれで名前を引き取った。
最初の数ヶ月はこんな間抜けな叫び声が絶えなかったが、船内の見取り図を歩数で教え込めばすぐさま覚え、めったに声を聞かなくなった。


「気にすんじゃねェよ」

「…ありがとうございます」


ぎゅ、と服を掴まれた感じがする。申し訳無いと思うと何かを掴む名前の癖、その癖を知ったのは最近で、しかも気付いているのはアーロンだけ。…密かに優越感に浸る。


「…アーロンさん?」

「何だ」

「いえ…何だか楽しそうな感じがしたので」

「シャハハハ…!わかるか?」

「何故かはわかりませんが…愉快なことでも?」

「秘密だ」

「…ふふ、教えて下さいよ」

「秘密は喋らねェもんだ」

「…ケチ」


ふふふと背中から笑い声がする。つられて笑いながら自身の部屋に入り、名前を降ろす。
しれっと歩き始めれば慌てたように服を掴まれた。


「…どうした?名前」

「急に、離れたので…」

「シャハハハ…!手を離せ」

「…はい」


服を離されたのを確認し歩き、愛用しているソファに深く腰掛けた。


「名前」

「はい」

「…向かって左、十時の方向」

「はい」


指示してやればすぐ動く。アーロンはこの指示している時間が気に入っていた。
たまに、ぐるぐる回してから逆方向を指示して遊んでいる。勿論名前には不評だが、その不服を言う姿が愛らしいと密かに思っていた。


「…そのまま真っ直ぐ、六歩だ」

「はい。…今日は回さないのですね」

「回して欲しかったか?」


いいえと答えながら目の前で立ち止まる名前。座っていてもアーロンのが目線が高い。それを知ってか知らずか名前は軽く見上げて次の指示を待つ。


「後ろを向け」

「はい」


くるっと回り背中を向けた。
アーロンは名前の腰に抱き付きソファへと引き寄せ、足の間に座らせる。


「おわ」

「…寄りかかれ」

「…はい」


腰に手を回したまま二人で寄りかかる。


「…今何が聞こえる」

「…アーロンさんの鼓動と船の音、波の音も聞こえます。遠くでハチとモームの声も。ご飯の時間ですね」

「あァ、もうそんな時間か」

「そうですね。…アーロンさんはお昼ご飯食べましたか?」

「いや。…名前は」

「まだです。…特にお腹空いてませんし」

「そうか」


会話が途切れた。

暫くして、名前はアーロンの手を触り始めた。持ち上げてみたり、指の間を撫でてみたり。名前の手が指に埋め込まれている物を見つけた。


「…これは何ですか?埋め込まれてるみたい…」

「埋め込んであるんだ」

「…触っても?」

「たっぷり触っておいて何を言っているんだ。気が済むまで触れ」

「…はい」


埋め込んである部分をなぞり、指で軽く摘み。本当に埋まってる…と呟いてはまたなぞり。
その行為がアーロンの眠気を誘い、気を緩めた瞬間に寝入ってしまった。
規則正しい呼吸音に気付いた名前もアーロンに寄りかかり、手を握って意識を手放した。




触れて






夕飯時になっても現れない二人の様子を見に来たハチ。

「アーロンさん、失礼します。…ニュッ…!」

ハチの目に入ってきたのは眠るアーロンとアーロンの足の間で眠る名前。

「ニュー…これじゃぁ声かけられねぇな。仕方ねぇ!二人の夕飯は後で作ってもらうか。…と、その前に写真撮っておこう」

カシャ。

「よし、いいのが撮れた!」

数日後、アーロンの部屋にはその写真が飾られたとか。

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