中篇 | ナノ

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竹刀が風を切る。
早く、正確に、力強く、淡々と。
早朝の涼しい空気に交ざって、単調に響き続けるその音。
一瞬、テンポが遅くなったそのタイミングを見計らって、道場の扉が開いた。



「振兄ちゃん、!」
「!………おう、なまえか」
「そろそろ止めにして、準備しないと
朝練遅れちゃうよ」



毎朝の稽古として、自宅の隣にある道場で素振りをしていた武光振蔵は、はっと顔を青くした。
毎日のことだが、振蔵は一つのこと―――特に剣道のことになると、周りが見えなくなる人間だった。
だから今日もまた、それをよく知っている幼馴染みのみょうじなまえが、振蔵を呼びに来たのである。
振蔵が満足のいくように、ある程度の時間が経ったのを見計らって声をかける、そのタイミングは、幼馴染みのなまえにしか分からないだろう。



「ま、毎度のことながら…御免、」
「いいよいいよ、気にしないで、振兄ちゃん
ほら、早く着替え…は、…まあ、いいか」



小さな頃から、自身の父の影響を受けていたからなのか、振蔵は―――いや、武光兄弟は、少し変わっていた。
彼らの父は時代劇の俳優。
といっても、実際はエキストラ止まりの役者で、普段は自宅の隣にある道場を営んでいる師範である。
振蔵と同じく、何事にも信念を曲げない、日本古来の侍魂を持っている人で、喋り方や考え方、着ているものまで侍に成り切っていた。
振蔵と、振蔵の父のそれは少し、ズレたものではあるが。
故に、振蔵も常に着物を着ている。
つまり、学校に制服を着ていったためしがないのだ。



「では、朝食を…」
「そんな時間ないよ、振兄ちゃん
おにぎり作ってきたから、行きながら食べて、ほら、鞄も」
「かたじけない」



―――では、行って参る。



なまえは振蔵のことなら何でも知っている。
鞄もおにぎりも、わざわざ世話を焼くのは、もう慣れとしかいいようがない。
それに、なまえにはまだやることがある。
なまえは拳を握り締め気合いを入れると、武光家に上がり込み、勢いをつけて布団目がけて飛び込んだ。
もちろん、中には人がいる。



「うわぁあああアアアアア?!!!」
「起きて、震ちゃん!」
「お、おう…」



振蔵の弟、武光震平を起こすためであった。
震平も振蔵に似て努力家で、何事にも全力で取り組む人であったが、どうしても朝だけは苦手だった。
震平を起こすには、声を掛けるだけでは効き目がないため、長年の経験から物理的に―――布団にダイブをして起こす方法を編み出したのである。
のろのろと布団から起き上がり、欠伸と背伸びを一つ。
もう、しゃきっとしてよ!
震平の背中になまえの平手が炸裂した。



「じゃあ、下に降りてるね」



震平がいそいそと支度を始めたのを見計らい、なまえは台所へ降りて、予め作っておいた三人分の弁当を包み始めた。
両親が共働きで家をあけているため、なまえは小さな頃から武光家に入り浸っていた。
今では武光家の胃袋をがっちり掴んでいて、食費もろとも家のことはなまえが主導権を握っている様である。
振蔵には昼にでも持っていけばいい。
なまえは自分の分を自身の鞄に入れて、台所を片付け始めた。
朝食はバランスが悪いが、振蔵と同じくおにぎり。
時間に追われる兄弟のため、なまえが考えた最善の策だった。



「はい震ちゃん、お弁当とおにぎり」
「ん、
…行くぞ、なまえ」
「うん」



ローファーの爪先を二回鳴らせて足に馴染ませると、なまえは震平の後を追った。
最近は昔ほど一緒にいることが少なくなってきた。
なまえにとって武光兄弟は本当の兄弟のように思っているのだが、思春期故に、震平はなまえに少し距離をおくことが多くなった。
振蔵は変わらずなのにだ。
やっぱり兄弟でも、違うところがあるんだなあ。
なまえは少し先を行く震平の背中を見て、朝を実感した。
ちらちらと振り返る姿がまた、相変わらずで可愛かった。











はよう

(ペースを合わせてくれるその優しさも、大好きだよ)