Moratorium | ナノ



爛れたヒロイズム




 昨晩の夢見は最悪だった。起きたら枕が微かに湿っていて、柄にもなく泣いてしまったのだと悟った、夢を見て泣くなんて、一体いつ以来だろう。泣くことに慣れていない身体に、まるで持久走のあとのような疲労感が襲いかかってくる。カーテンの隙間から漏れる朝日が、寝ぼけた目に少しだけしみて痛かった。
 それは自分が自分の首を絞めている夢だった。けれどもあたしの首を絞めていたのはあたしであって、あたしではなかった。あたしは、あたしの容姿をしたふたりの女の子がそこに横たわって痛々しく絡んでいる様子を、神様になった気分で眺めているのだ。汚くて浅はかな欲と欲が殺し合っている。醜い光景だと思った。どちらが死ぬことになっても、あたしはきっとこう言うのだ。「クソッタレ」と。あたしが泣いたのは、あたしたちがみっともなく殺し合っていたからではない。単なる欲望の塊のくせに葛藤しているフリをする自分が馬鹿げていて、涙を流してしまうくらい嘲笑ってしまったからなのだ。

「……起きないと」

 重たい身体を叩き起こして、のろのろと身支度をする。食欲はなかったけれど、母さんに心配をかけたくなくてバターロールをひとつだけ食べた。なんだかひどく味気なかった。だるい。パンの最後の一欠片を口に押し込んだとき、薄いテレビの向こうでは有名な女優が生放送の朝番組で新作映画の番宣をしていた。朝からご苦労なことで。そういえばこの人の名前、なんだっけ。確か鞍馬が好きだって言ってたような気がしたんだけど。ま、いっか。
 通勤ラッシュでごった返す電車を降りると、まだまだ木枯らしと呼ぶには程遠い冷たさと柔らかさの両方を持つ風が、目の前を歩く女の子のスカートを今にもめくろうとしていた。白くてバランスのいい脚に見とれそうになる。いやいや、あたしはオッサンか。焦りながら片耳にイヤホンを突っ込んで、最近ハマった海外のバンドの曲をかけた。意味の分からない英語の歌詞が頭の中を滑っていく。blue。girl。milk。sugar。知っている単語だけをまちまちに拾ってみても、それらはあたしにとって単なるアルファベットの羅列でしかない。軽快なギターサウンドが、世界一周旅行のついでにあたしの身体をすり抜けていった。

「うわ、ひっでえ顔」
「お前の腑抜けた顔よりマシ」
「その隈消してから言えよ」
「コンシーラーで消してきたっつーの」
「全然これっぽっちも消えてねえよ。ヘタクソか」

 校門には生徒指導の笹木が立っていて、やれ服装がだらしないだの、やれ化粧をしてくるなだのと声を荒げていた。どうやら今日は彼が生徒たちの見張り役らしい。愛用の音楽プレーヤーとイヤホンを没収される前にいそいそとしまっていたら、学校に着くのがいつもより遅かったからなのかケイと鉢合わせしてしまった。ケイのやつ、朝は弱いくせに今日はやけに絡んでくるなあ、とローファーを下駄箱に入れながらぼんやり思った。あ、こいつ寝癖ついてる。お前こそヘタクソかよと心中で悪たれながら、ほかの男子よりもいくらか届きやすい位置にある後頭部を撫でてやった。
 頭を出来るだけ優しく撫でたのはただの嫌がらせだ。こいつは頭に触れられるのを極端に嫌がるから。ケイは振り返りながらあからさまに舌を打って、こちらが驚いてしまうくらい強くあたしの手首を掴んだ。その手は温かかったけれど、想像よりも骨張っていて、確実に大人に近付いているオトコノコの手だった。

「寝癖直してやろうと思ったのに」
「ハ、お前わざとやったろ」
「まさか。ケイ、頭触られんの嫌いじゃん」

 薄く笑うと、白々しいっつーの、とごもっともな台詞が返ってきた。とぼけながら依然としてケイにとらわれたままの手を半ば強引に振り払って、ブレザーのポケットに突っ込む。一瞬だけ迷う素振りを見せた彼の手の平が、所在なさげに淡く揺れた。呼吸をするよりも短い時間だったから、ケイが何を迷ったのかは分からなかった。
 あたしたちはクラスメイトだ。つまり行き先も同じ。あれっきり大した言葉も交わさないまま、ふたりで騒がしい廊下を歩いた。特に理由はなかったけれど、歩くペースは速いはずのケイが珍しくあたしに合わせてくれている気がして何となく彼の隣を歩いてみた。悪い気はしなかった。
 誤魔化すなよ、と誰かが言った。悪い気がしないんじゃない。嬉しいんだろ。素直になれよ。誰かがそっと、毒みたいな言葉を囁いた。その「誰か」の声はあたしとそっくりで、数時間前に見た胸糞悪い夢の内容を想起させる。歩いてる場所はたかが高校の短い廊下のはずなのに、永遠に続く回廊であるかのような錯覚に襲われた。

『篠宮ケイといるのが楽しいんだろ? 気楽なんだろ? 篠宮ケイの前では気取る必要も達観視する必要もない。不可侵のそこへ踏み込まない限り、お前は丸裸の早川ミナセでいられる。同級生たちと変わりない、青春を謳歌する一少女でいられる。それが嬉しいんだろ? ミナセ、お前は、ーー』

 その先は予鈴に掻き消されて聞こえなかった。あんな戯言は聞かない方がよかったに決まっている。予鈴ナイスタイミング。ありがとう。
 そういえばどうやってここまで歩いてきたのか分からない。よくもまあ階段で躓かなかったものだと胸を撫で下ろし、ずり落ちそうになっている鞄を掛け直す。気付けばあたしたちのクラスがあることを示す色褪せたプレートが、目線のすぐ上にあった。教室に着くまでの間一言も話さなかったあたしを気遣ってなのか知らないが、ケイはあたしの頭を軽く叩いてからざわめくクラスの中に無言で紛れていった。正直言うと感慨も何もなくて、ただ単純にムカついた。なに、アレ。優男気取りか畜生め。
 照れ云々よりも相手の恥ずかしい行為を目の当たりにしたことによる不快感で、妙に小恥ずかしい気分になって自分の首に触れた。そしてそのまま脈打つ血管と空気を輸送するチューブを押し潰したくなる。やはり染み付いた性分は、すぐにはどうしようも出来ないらしい。この息の根を止めたくてどうしようもないのだ。夢の中のあたしたちも、あのとき、こんな気分だったのだろうか。自分であり他人であるあの子たちの心情など知る由もないが、はっきりと言えるのは、あたしがあの子たちを殺すときは自分自身を殺すときだということだ。








あとがき
『お前は、恋を知ったんだ』
ちらっと出てきた洋楽はT.he S.tryp.esの「Blue Collar Jane」です。



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