Moratorium | ナノ



愛の埋葬は密やかに



 必死になってどれだけのものを積み上げても、気付けば崩れて地面に散らばっている。人付き合いにおいてそれは顕著で、仲良しだと思っていた相手から、手の平を返したように突然冷たい態度を取られるというのはよくある話だ。恋人関係だって、運命の人だの自分にはこの人しか居ないだの言っておいて、結局何もなかったかのようにあっさり別れてしまう。吐き出した言葉が一瞬で嘘にすり替わってしまえる希薄さが、人と人の間には常にあるのだ。ああ、人間とはなんて薄情な生き物なのだろうか。
 強固な繋がりなど求めるだけ無駄なのだということをモエノが知ったのは、中学二年生に上がった二学期のことだった。夏休み明けに登校してきたモエノに向けられたのは、今までとは打って変わったクラスメイト達の視線。仲良しだと思っていた生徒ですら、モエノを避けた。クラス全体が敵になった瞬間の気持ち悪さを彼女が忘れることは、もう一生涯あり得ないのだ。幼少の傷心は必ず、死ぬまで鈍痛で苦しめる。何度も何度も、癒えることなく。

「樋口ってさ、本当に人間? あんた、感情のないアンドロイドみたい」

 樋口モエノという到底理解し得ない不可解な存在に対面したクラスメイト達は、皆口を揃えてこう言った。「彼女は恐ろしい」と。誰に言われた言葉だったのかは忘れてしまった。どうでもいい記憶など勉学の妨げになるだけだと、余計なものを切り捨てて生きるモエノ。友情も恋愛も全て余分だ、と彼女は判断する。そうすればもう、規定外の感情が行く先は心のダストボックスだけ。彼女のごみ箱はいつだって膨れ上がりそうなくらいに詰め込まれていた。
 それから彼女は、他人を信じることを止めた。縋ることも、頼ることも、求めることも全部、止めた。それが賢い方法なのだと、学年首位をキープしているとはいえ所詮は子供の頭で子供なりに考えた。モエノは故意に影を消し、空気になろうとしたのだ。
 そうして尚更大人しくなったモエノに、クラスメイトたちは次第に興味を示さなくなっていった。やはりそこにも人間の薄情さというものが表れていて、一度つまらないと思ってしまえば興味を失うまでそう時間が掛からないのだ。
 あれから、数年が過ぎた。彼女のスタンスは今も変わっていない。

「樋口さんって大人っぽいね。わたし、憧れちゃう」
「……そうですか」

 教室の隅。窓側の席で読書に耽るモエノに声を掛けたのは、クラスの人気者のリサだ。柔らかな笑顔は偽物ではなくて、彼女のモエノに対する素直な厚意の表れである。リサの後ろに立つ女子の中には中学時代の級友も混じっていて、皆一様に渋い顔をしていたが、モエノはただ彼女達を意味のない背景みたいだと感じただけだった。群れることにしか能のない、虎の威を借る狐の集団。もしかすると狐よりも知能が低いのかも知れない、と文字を追いながらふと思った。
 リサの言葉に対して冷ややかな態度を取ったことを、モエノは後悔していない。身勝手に信じて、裏切って、また寄り添って。そんな外面だけの付き合いなどもう懲り懲りだった。リサに悪意がないことなど初めから分かっていたが、馴れ合ってしまったら不安と孤独感の中にまた置き去りにされてしまう。そんなのは、もう。

「リサー、次生物室だって」
「あっ、うん、今行く」

 女子生徒とモエノの顔を交互に見ながら、迷っている素振りを見せるリサだったが、遂に折れたのかモエノの元から去って行った。パタパタと小走りで駆けるリサのスカートが翻る。彼女みたいな人間は苦手だ。独善的で生半可なやさしさは人を殺す。雪山の寒さに慣れた心が、ぬるま湯のせいでふやけてしまうのだ。
 そして憶測でも推測でもなく、リサは確かに、モエノに救いの手を差し伸べていた。ただ、モエノが居る場所が暗闇だと判断してしまうのは早急過ぎたように思う。自ら進んで殻に閉じ籠もった彼女が、助けて欲しいと思ったことは一度もないし、不要な馴れ合いを嬉しいとも思わなかったためだ。情けをかけられるのは尚更嫌いだと、モエノはあらゆるやさしさを突っぱねる。清楚な表情の裏では、絶大な嫌悪にどっぷりと浸かっているのだ。
 段々と静かになってゆく教室の中で、読みかけの本に挿まれたピンク色のしおりが、やけに色褪せて見えた。








あとがき
愛されることを忘れちゃうって、かなしい。


back

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -