Moratorium | ナノ



流れ星の着水



 シャープペンシルの先端でトントンとリズムを取る。音楽人間らしく耳には性能重視で購入したイヤホンをはめて、ミナセは今日も大好きなロック・ミュージックに酔いしれていた。荒れ狂うギターサウンドがミナセの心の靄を掻き消すように響く。ベースの重低音は彼女の安定剤。歌詞を小さく口ずさみながら、閉じた瞼の裏側で音楽を描いた。
 音楽の世界に頭から爪先までを浸す彼女を雑音だらけのリアルに引き戻したのは、だらしなく頬を緩ませたケイだった。少し癖のある前髪が目元をくるんと隠している。プレイヤーを停止させてイヤホンを外して、ミナセは不機嫌そうにケイを見やった。邪魔された彼女の心には今、激しいロックナンバーが大音量で流れていることだろう。


「……なにか用」
「お前さあ、好きな奴居ないの?」
「はあ?いきなりなに」
「いいから答えろって。居るの?居ないの?」
「んん、居ないけど。で、なんで急にそんなこと言い出したの」
「立花ちゃんと恋バナしてたらちょっと気になった」
「ふは、ケイが恋バナって……笑うわ」


 机の上に広がっているノートと参考書を閉じて筆記用具をペンケースにしまいながら、ミナセは小馬鹿にするように笑った。肩に掛かった焦げ茶の髪を払う彼女を見て、相変わらず可愛げのない女だ、とケイは密かに思う。彼の瞳に宿ったのは、薄らとした影だった。なにかを企んでいるような、しかし一方では哀れんでいるような色。きっと無意識なのだろうけれど。
 髪に触れるミナセのその仕草は、ポーカーフェイスを崩さない彼女が少しだけ焦っているときの癖だ。それを知っているからこそ、ケイは平静を装って話題を続ける。素直に羨ましいと言ってしまえば言いのに。そうは思っても、こういうときの彼女に過干渉すべきでないことを少年は心得ている。柔らかそうな猫毛がふわりと揺れた。


「僕だって年頃のオトコノコなんですー」
「はいはい。でもそこであたしに聞いちゃう?モエノとかユキトじゃなくて?」
「樋口さんはともかくユキトはないだろ」
「いやいや案外。知らないけどさ」


 そのユキト本人は話題に上がっていることなどつゆ知らず、リサやセイヤと談笑している。と言ってしまうのには些か語弊があり、盛り上がっているのは専らセイヤだけなのだが、その場を去らないのは表情の乏しい彼なりに打ち解けているからなのだ。言われてみればユキトの表情が柔らかい気がしないでもない。ほんの、ほんの少しだけだが。
 もしや彼は、リサのことが好きなのではないだろうか。深層心理、つまりは彼が気付いていない意識レベルで、リサに恋をしているのではないのか。ミナセには、ユキトに対しそういった認識をしている時期があった。それは当初より確信が薄れつつあるが、今も継続中だ。
 人間の心理など案外読み取れないものだ。いくら分かり易い人間だって、実は貼り付けただけの「単純」という仮面であって、心の奥底では仄暗い一面が息を潜めているのかも知れない。裏表のない人間などそうそういるはずがないだろうから。ユキトは表の面を見せることに慣れてしまった。だから自分でも自分が分からない。恋というときめきに気付けない。可能性がない訳ではないだろう。セイヤの馬鹿正直で短絡的なパーソナリティも、ユキトの何分の一かの確率で作為的なものであるという可能性を否定出来ない。そう思えるのはいつだって一線を引いた向こう側で傍観しているミナセだからだ。


「なあ、ミナセ。恋とか愛とかってなんだろうな」
「そんなのあたしに聞くな。鞍馬にでも聞いとけ」
「セイヤに?……多分まともな答えはくれないと思う」


 まあそうだろうなー、と間延びした返答から推測するまでもなく、ミナセはこの話題にとんと興味がないようだ。愛だなんて漠然とした壮大なテーマを、自分が語れるはずもない。友愛や家族愛であるならまだしも、ケイが気になっているのは明らかな恋愛なのだから。そんなものを、誰かを心から大切にしたことのない自分には語ることなど到底出来ない。ミナセの瞳はそう訴えている。
 定着してしまったパーソナリティとは、実に厄介なものだ。ミナセが過ごしてきた日々の中には、年頃らしく恋にかまける彼女は居ない。そういうことに興味を持つ彼女も居ない。ピンク色の話題で盛り上がる級友を、羨む彼女も居ない。そういうことになっている。早川ミナセの立ち位置は「ちょっとクールなみんなのお姉さん」で確立されてしまっているのだ。恋への羨望や憧憬など、露わにしてしまってはならない。彼女が持つその意識こそが、本心を滲ませているという重大事項にも気付かずに。
 そして彼女が知らないことがもうひとつある。篠宮ケイという、彼女のペルソナの裏側を見透かしている人間が存在することだ。ケイが鋭い洞察力を持っていることはミナセも既知の上だったが、まさか自分がターゲットになっているなんてことは想定していなかったのだろう。ミナセの自己への無頓着さが招いた事態。それは自身を除外した集団を望遠鏡で眺める彼女と、彼女も自身も含めて全てを薄っぺらいレンズ越しに見る彼の、不可思議な関係なのである。








あとがき
達観しているようで本当は無知なだけなのだと思います。


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