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きみが零したなみだの音が聞こえた



 あれが人間の世でいう、所謂“一目惚れ”とやらだったのでしょう。暇潰しにと雲の上から覗いた、下劣な人間達の世界。天使が下りてしまったらさいご、汚れに塗れて命を落としてしまう。だから、下りる事はタブーとして戒められていたその世界。しかしそこには、天使である俺の心をも捕らえてしまう、そんなひとりの人間が居ました。


「…なん、だよ、堕天使って…どういう、事だよ…っ!?」
「そのままの意味だよ、ぱちー。俺は堕天使。罪を犯した代償として、翼をもがれ天から追放された者。でも天使って天界以外じゃ短命でさ。だから幾ら堕天使でも、下界じゃそう長く生きられないんだ」
「…だから、消えるって?何それ、馬鹿みたい」
「ハハッ、そっか、やっぱ信じられないよな。そう思われて当然、だよな」


 打ち明けた、真実。今までひた隠しにして来た、紛れもない真実。信じて貰えない事など承知の上だった。信じて貰えなくても良かった。俺はただ彼に、触れられさえすればそれで良かったんだ。
 そう思っていた、筈だったのに。このぬるま湯のような優しさに満ちた世界に浸かってしまった俺に、以前みたく強固な決意は出来ないのだった。消えたくない。どうしてもそう思ってしまう自分がいる。彼の掌の温かさを知ってしまったから。切ない口付けの味も、慈しむ視線の柔らかさも、全部、全部。知ってしまったんだ。それが穢れなどでもない事も。
 そっと掻き抱いた彼は小さく震えていた。壊してしまわないように、ゆったりと背を撫でる。息を呑む音、微かに漏れる嗚咽に強く愛おしさを感じた。涙を堪えようと必死になっている姿がどうもいじらしい。いつの間にか背中に回されていた腕は、相も変わらず温もりに満ちていた。


「泣かないでよ、ぱちー」
「…だってもう、会えなくなるんだ、ろ…?」
「大丈夫、きっとまた、会えるよ」


 そんな訳ないだろ。馬鹿じゃないの、俺。最後まで嘘を吐き出す事しか出来ない自分に、無性に腹が立った。宇宙でたったひとりの大切な人を泣かせて、その上叶える事の出来ない嘘の約束までして。嘘で始まって嘘で終わる、なんて。つくづく最低な奴。
 狭い部屋に舞う黒い羽。この汚れた翼じゃ、彼の手を掴んで空へ羽ばたく事は出来なくて。重たく寂れた翼は地に堕ちてしまう。黒と黒の隙間を埋めるように差し込んで来る青さと陽光は、今の俺にはどうにも眩しかった。


 大好きだよ、ぱちー。囁いて繰り出した言葉を吐息ごと丸呑みしてしまうみたいに、俺達は唇を重ねた。そこに携えた甘い熱は一体いつまでもってくれるのだろう。いつかその温度を、忘れてしまう日が来てしまうのだろうか。彼の涙を拭おうと目元に添えた指は、もうこれ以上濡れそうなかった。
 きいん、と耳鳴りがした。お別れの、合図。もう、さよならみたいだ。それは安っぽい言葉だった。信じられないくらいに薄情で狡い言葉。彼の頬に這わせた掌は、もう消え掛けていた。ハッとして俺の身体にしがみ付こうとした彼の腕が俺をすり抜ける。彼の表情が悲哀に歪んだのを、俺は見逃さなかった。




(さよなら、あいしてる)




 色んな感情と色鮮やかな記憶がぐちゃぐちゃに混じり合って、頭の中はもうパンク寸前だった。だからこれは、事故だ。彼を縛ってしまうような台詞を零してしまったのは、俺の意志なんかじゃなくてただの事故。けれども事実は変わりやしない。愛に塗れたそれは、俺達ふたりを虚無の世界に取り残したままにするのだ。永久に、報われない。
 失せゆく意識の中、駆け巡る思い出の欠片に手を伸ばした。走馬灯。耳に馴染む声、ふたりで温め合った指先、真っ赤なほっぺた。苦しい、苦しいよ。ねえ、ぱちー。すきだよ、だいすきだよ。ずっとずっと。俺をあいしてくれてありがとう。きみをあいさせてくれてありがとう。泣かせてごめんね。うそつきでごめんね。あいしてるよ、心から。さよなら、俺の大切な、ひと。
 散らばる光。「だいすきだ、眉毛」。そう呟く声は涙の音に滲んで、そうして淡く優しく、消えた。




( ねえ。俺が泣き出してしまったように、お前も泣いたんだろう?自分を責める事はもう、やめにしようか )








あとがき
まゆくんの堕天使ネタより。「もうひとつの罪」のまゆくん視点です。いつかさようならをしてしまうあなたたちへ。



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