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いつかは崩れる楽園と知らず愚者は弱者に罰を与える



 真っ白な無菌室。その中で僕は眠っていた。彼女もまた同じように、眠っていた。 分厚い硝子一枚を挟み隔てられたそこは、確かに病院だった。僕や彼女のような人間の為の施設。僕達を治療する為ではない。この病を発症していない他の人間に僕達の持つ危険なウイルスを感染させない為の、所謂隔離病棟なのである。
 無論他人と接する事は決して許されず、同じ病を患う彼女とでさえも触れ合う事は出来ない。せめてもとただ硝子越しに顔を近付け、その掌を合わせるだけなのだ。温もりなどない。存在しているのは、孤独感と硝子の非情なまでの冷たさだけだ。
 医師や看護師達もここへ立ち入る時は、一度たりとも消毒と感染予防を怠る事がなかった。何故なら、英語で言うならばBecause、このウイルスに対抗可能なワクチンが存在しないからである。要は治療不可能。そういう事なのだ。そんな病が広がれば言わずもがな世界は混乱の渦に呑み込まれ、やがては自ずと朽ちるのだろう。

 僕達には本名とは別にここでの呼び名が付けられていた。僕には“アダム”と、そして彼女には“エバ”と。それらは旧約聖書に登場する人間の祖先の名だ。しかしふたりは禁断の実を食した事で神の怒りに触れ、楽園から追放されたのだという。人の世から隔離された僕らには、その名が相応しいとでも考えたのだろう。
 全く、そんな下らない事に頭を使うのならもっと早くワクチンを作るなり何なりすれば良いのに。僕は密やかにそう思った。あいつらはその知識をもっと有効活用すべきだ。世界の為と銘打って、僕らの為に尽くしてくれれば良いものを。高慢だと笑われるかも知れない。だけれど許して欲しい。だってどうせ、僕らは助からないのだから。

「あ い た い」

 彼女がゆっくりと、そう呟くのが見えた。無音のまま零れた声は、僕の鼓膜ではなく心を揺らす。すかさず僕も同じ台詞を呟けば、彼女は儚げに綻んだ。彼女は熱があるのか白い頬には朱色が差している。嗚呼、今すぐこの硝子を砕いて向こう側へと行きたいよ。

「あ い し て る よ」








あとがき
本当は長編にしたかったのですが断念。


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