ぼくがもう少し強くて、

もう少し勇気があって、

もう少し大人だったら。

そう思うことが、今になっても良くあります。



名前先輩は、優しい方でした。
特別ぼくに優しかった訳ではなく、誰にでも分け隔てなく優しい、素晴らしい方でした。
ぼくは、そんな名前先輩が大好きだったんです。


「三治郎くん」
「……っ、う、ひっく」
「三治郎くん泣かないで」

頭巾越しに撫でられる手の温度が優しくて、よりいっそう涙が出る。
泣き止まないぼくに、名前先輩はきっと困った表情を浮かべていただろう。


「名前先輩、名前先輩……っ」
「うん、うん、わたしはここにいるよ」

だから泣かないで。
そう言って名前先輩は、頭を撫でてくれた手を背中に回して優しく抱き寄せてくれた。
優しい名前先輩。
名前先輩が優しかったから、突き放さなかったから、ぼくは名前先輩に甘えていました。


「名前せんぱ…っ、竹谷、先輩が、竹谷先輩がっ、うぐ」
「うん、うん」

竹谷先輩が委員会活動を放棄して幾日も経った。
あの女の人がやってきてからだ。
みんなあの天女さまと呼ばれた女の人のせいだと分かっているけど、何も言えない。
委員会を取り仕切る上級生がみんなそろって天女さまに傾倒しているから、何も言えない。
そんな不可思議な現象は有り得ない、気味が悪いとぼくたち下級生は怖くて、上級生にも天女さまにも近付けないでいる。
こんな状況が長く続いちゃいけないと分かっていても、どうして良いか分からなかった。


「泣かないで」
「ひっぐ、う、ぐ」
「三治郎くん」

ぼくを落ち着かせようとする名前先輩の手の温もりは、本当に優しくて、温かくて、涙は止まることを知らないように溢れてくる。


「名前、せんぱぁい…っえぐ」
「うん?」

名前先輩は、本当に、本当に優しくて、ぼくたちのお願いを断るようなことはしない人だと知っていました。


「名前先輩、っ、うぅ、…けて……ひっく、たすけて、くだ、さい………っ」
「三治郎くん……」

名前先輩は、ゆっくり撫でていた手を優しくぽんぽんと背中を叩くように変えて、顔を上げるよう促した。
涙の止まらない顔を上げると、悲しそうな、困ったような、でも優しそうな表情で笑みを浮かべる名前先輩と目が合う。
慈しむように目を細めた名前先輩は、背中に回していた両手でぼくの頬を包み、親指の腹で優しく涙を拭ってくれた。


「名前、せんぱ」
「三治郎くんの笑顔がね、わたし大好きなんだ」

笑ってね三治郎くん、約束だよ。
優しい笑みを浮かべた名前先輩はそう言って、ぼくの瞼に口吸いをした。


名前先輩

名前先輩

大好きです、大好きなんです。

拭ってもらったはずなのに、涙がまたこぼれた。



それから幾日かして、上級生が自身の委員会の下級生に頭を下げた。
竹谷先輩も例外ではなく、とても申し訳無さそうに謝罪をしてくれて、みんなで喜んだのを覚えている。
これでいつもの学園に戻る。
良かった、良かった。
嬉しくて、名前先輩に伝えたくて、名前先輩がいつも勉強されてる木陰に向かっていると、学園の門の辺りに数人の人がいるのが見えた。


「あ、名前先輩!」

その中に小松田さんと話をする、知らないお兄さんの腕に抱き抱えられた名前先輩を見つけて駆け寄る。
ぼくに気付いた名前先輩は、ふわりと笑みを浮かべた。


「三治郎くん」

笑みを返そうとしてハッとした。
名前先輩の周りを忙しなく荷物を外の牛車に積めていく人たちに気付いたからだ。
何か言い得ぬ嫌な予感を感じた。


「ぁ、名前、先輩……どこかにお出かけですか?」
「お出かけ、というか実家に帰るの」

名前先輩のいつもと変わらない笑みは、知らないお兄さんの腕に抱き抱えられているため普段より高い位置にあり、それが言い得ぬ不安を助長させる。
休日も長期休暇もまだまだ先で、明日は明日で変わらず授業があるはずで…。


「どうか、されたんですか……?」
「うん、ちょっと療養を兼ねてね」
「帰って、きますよね?」

嫌な予感と不安で揺れる瞳で名前先輩を見やると、名前先輩は少し驚きで目を見開き、そして申し訳無さそうに笑みを浮かべた。


「ごめんね、三治郎くん。私、中退するの」
「え…」
「軸足がね、切れたところが悪かったみたいで感覚がなくて」

そう言いながら名前先輩が視線を移した方に倣って移すと、足首を中心に真っ白な包帯が巻き付けられていた。
……ぼくの、せいだ。
ぼくが、おねがいしたから、だから、せんぱいは……。


「あ、ああ……ごめ、なさ……っ、名前せんぱ、い」

名前先輩が何をしてくれたのかは分からないけれど、名前先輩のおかげで元に戻ったんだと思う。
二度と片足が動かなくなるという代償を払って。
とんでもないことをしてしまった後悔で、涙が溢れてきた。
きらわれた、せんぱいに、きらわれた……!


「三治郎くん、泣かないで。三治郎くんのせいじゃないよ」

知らないお兄さんから下ろしてもらい、動かなくなった足とは逆の足でバランスを取りながら、名前先輩は優しく抱き締めてくれた。


「せんぱ……名前、せ、ぱい……きらわ、な、で……っ」
「三治郎くん、三治郎くん」

ぼくを支えにしながらゆっくりと屈んで目線を合わせた名前先輩は、怒っても憎んでも、まして軽蔑もしていなくて、いつもと変わらない笑みを浮かべていた。


「嫌うわけないよ。わたし、三治郎くんのこと大好きだもん」
「…っく、せんぱ」
「約束、三治郎くん。三治郎くんが笑ってくれるだけで元気になれるから」

笑ってよ、三治郎くん。
ね?と優しく言った名前先輩の言葉に、幾日か前に交わした約束を思い出し、乱暴に涙を拭って無理矢理笑みを浮かべた。
悲しい悲しい行かないでごめんなさい行かないでそばにいて大好き悲しいごめんなさい大好き大好き大好き


「せん、ぱい…名前先輩……、っく、だいすきです」
「わたしも、三治郎くん大好き」

立派な忍者になってね。
そう言って名前先輩はぼくの額に優しく口吸いをした。



ぼくがもう少し強くて、

もう少し勇気があって、

もう少し大人だったら、

先輩に頼らずに動いて、

先輩の傍で共に戦って、

先輩を守れたのかな?

……なんて、ね。

これがぼくの忘れられない恋と悔いのお話です。



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