世間というものは、往々にして下世話で無粋で単純だ。
大学生ともなれば恋人がいるのが普通で、休日にはデートして。イベントは二人で過ごすのがベストで当然。そういうものを、世間は求めている。
おまけに、年頃の男女が並んで歩いていればそれはもう「恋人」なのだ、と。勝手に邪推するのは、なんというか――

「短絡的すぎだと思わない?」

ソファの上で行儀悪く片膝を立てた名前は、滔々と述べた言をそう締めくくった。と同時に、手にしたグラスの中で氷がからんと音を立てる。ふわりと香るアルコールをちびり、口に含んだ時、

「急にどうしたの」

名前の、ちょうど真後ろ。流しに立って洗い物をしながら耳を傾けていた庄左ヱ門は、そこでようやく口を開いた。

「んー?」
「珍しいから、そんなこと言うの。何かあった?」

問う割に、その手は一向に止まる気配を見せない。それを気にした風もなく、名前は手にしたグラスを無造作にテーブルに置いた。そのまま振り返り、ソファの背もたれにだらんと身を預ける。
腕を捲ってエプロンを着けた庄左ヱ門は、後ろ姿ながらなかなか様になっていて。家主同然の慣れた手つきで作業する庄左ヱ門に、名前は気の抜けた声をあげる。

「べーつに。ただ、そうなんだよなぁ、と思ったまでですけど」
「その割に、やけに現実味があったけど?」

蛇口を捻って食器をすすぎ始めた庄左ヱ門は、本当に聞く気があるのか怪しいところである。そんな様子の彼に、名前はおもむろに言葉を発した。

「恋人なんだって」
「何が?」

振り返らずに、聞き返す。聡い彼のことだ。当然、分かっててしているのだろう。気持ちは、分からないでもない。しかし、聞かれたとあっては答えるのが道理というもので。

「私たち。世間様からすれば恋人に見えるらしいよ」

言ったのは、サークルの同級生だったか。揶揄いを多分に含んだそれに、あっさりと否定を告げた時に見た表情を思い返しながら、名前は庄左ヱ門へと目を向ける。

「恋人、ねぇ……」

手を止めずに繰り返される声に、少しだけ。ほんの少しだけ、苦笑が滲む。それの意味するものを知って、名前の唇がにんまりと弧を描く。

「私たち、お互いを利用してるだけなのにね」





きっかけは、名前だった。
といっても、そう大したことではない。一人暮らしにも慣れた頃に、ただ一言。「一人で作って食べるものほど味気ないものはない」そう言っただけだった。
それに是を唱えた庄左ヱ門が、「だったら手を結ぶ?」と。
彼の中で、どういう経緯で結論に至ったのかは名前の与り知るところではない。ないが、それに頷いたのは紛れもない事実だった。

言ってしまえば、所詮この程度。本人同士からしてみれば、本気を交えたただの冗談だった。しかしそれで終わらなかったのは、言わずとも知れたこと。なんだかんだと理由を付けて互いの家に上がり込むようになるのに、時間は掛からなかった。
早い話、味を占めてしまったのだ。名前も、庄左ヱ門も。誰かが作る食事を、誰かと食べるということは。なかなかどうして、具合が良かった。

家主が食事を作ること。
上がり込んだ方が片付けをすること。

その二点のみを約束にして、庄左ヱ門と名前の関係は、今日まで続いている。





――あれから一年。そう、もう一年になるのだ。

「――黒木くんさ。私が『彼氏出来た』って言ったらどうする?」

背を向ける形で座り直した名前は、口の端にほんのりと笑みを滲ませながら、ぽつり、尋ねる。再び手にしたグラスの中で、注がれた液体がゆらゆらと揺れる。ふいに落とされた疑問に、背後でしていた水音が止む。

「そうだね……」

何かを思案して数瞬。途切れた言葉のその先は、存外簡単に形にされた。

「名字さんはどうしてほしい?」
「質問に質問で返すのはどうかと思うけど?」
「そうじゃないよ。名字さんが望むようにしようってこと」
「ああ、なるほど」
「で、どうしてほしい?」

互いに背を向けて。目も合わせない、顔すら見ないで交わされる言葉が、広くもない部屋の壁に当たって転がる。それがどうにも可笑しくて、名前は口角がつり上がるのを押さえられなかった。

ああ、それで。どうしてほしいか、だっけ。

「この関係を、さ。手放すのは、惜しい気がするとは思わない?」

この関係に名前を付けるなら、何が一番相応しいのだろう、と。思ったことがないわけではない。ないわけではないが、それは余りに不毛だった。
恋人にしては、遠すぎる。ただ食事を共にするだけで、未だに互いを苗字呼び。艶めいたこと一つ無い関係をそう称するなら、世の恋人達は一体何に分類されるのか。
友人にしては、近すぎる。私生活の半分に食い込む存在をそう定義するなら、名前の友達は彼一人ということになる。

利害の一致を理由に続けた持ちつ持たれつなこの関係は、ひどく曖昧だ。だからこそ都合が良くて、丁度良い。

「はは、同感」

得られた同意に口角が上がる。
うん、そう。それでいい。
恋人だなんて反吐が出る、とは名前の正直な感想だ。そんな甘い関係でなくても、こうして傍にいることなんて出来る。それで十分だ。むしろ他に、何を望めと言うのだ。そんなもの、大して価値もないだろうに。

洗い物を終えた庄左ヱ門が自身の向かいへと腰を下ろすのを見遣りながら、名前は心中でくだらぬ考えを笑い飛ばした。



相互利用関係


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