風に吹かれるままに揺らぐ水面は彼を映していたけれども崩れてしまう。掌と装束とが汚れることを厭わずに地面に手と膝をついて池を覗き込むさまは、水鏡に光が緩く弾かれ輝いているのに見惚れているようにも、そのままするりと水に落ちて死ぬことを望んでいるようにも見えた。このまま掛軸にでも閉じ込めてしまえば中々の品になるのではないだろうか。しかしこの絵になる情景を作り出している彼が水面に目を奪われている訳でもましてや夢見がちな乙女のように美しい死を望んでいる訳でもないのは明らかだ。萌黄に身を包んだ彼が悪名高い彼の委員会の一員であると忘れるなかれ、彼とて一筋縄ではいかぬということに変わりはない。煌めく水面を一心に眺めたり、水底を漂う己の姿に思いを馳せたりするような情緒など、持ち合わせているかどうか。

「藤内、なにしてるの」
「鯉だよ」
鯉、見てるの。視線だけをこちらに寄越してまた戻す。長い前髪が溢れて彼の目元を隠してしまったのが私の眉を曇らせた。奔放にうねる彼の前髪は嫌いではなかったけれど今回ばかりは邪魔である。それにしても、鯉ときたか。
「今度は何の予習なの」
「予習じゃないさ、見てただけ」
藤内に倣って池を覗く。膝をついてまではしなかったけれどなるほど見事な鯉がひぃ、ふぅ、五匹ほど。黒に紅白黄金と色も鮮やかでなんとも優雅だ。私たちの視線に応えるようにくるくると近くを泳ぐ様は確かに美しくはあったけれどそれほど面白味があるわけでもなかった。
「ふぅん、つまんないの」
「そうかな、僕は綺麗だと思う」
目の前の鏡に映るとろりと曲線を描いた涼やかな目許が一匹の鯉によって作られた波紋に揺れて、それが腹立たしい。
「僕、もしもう一度生まれるなら鯉になりたいなあ。こんなに美しくあれるのなら夏に暑くて死んでしまっても構わない」
弾む澄んだ声を最後まで聞きたくなくて一歩踏み出した。派手な水音が辺りの空気を震わせ散った飛沫の幾つかが藤内の装束を濡らした。
慌てて離れていく鯉を横目に重くなった髪の陰でほくそ笑む。そうよ藤内に近付かないで。
「ばか」
「馬鹿は君だろう!」
風邪を引くからほら、と差し出された手を握り全体重をかけて引くと短い悲鳴をあげて容易くこちらに転げ落ちてくる。二度目の鈍い水音で更に鯉は奥へ引っ込んで好い気味だ。魚なんかに現を抜かすからだ馬鹿め。前髪やら装束やらから水を滴らせて茫然としている肩を突き飛ばして池から上がる。裾を軽く絞って振り返ると未だに池の中で突っ立っていて笑いを誘った。少し頭を冷やすといい。


花錦


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