時は平成。下を向いて歩く人が増えた今、蒼空を見据える人なんてそうそういない。信号が青に変わる度に行き交う人たち。そこにふと違和感を感じ足を止める。振り返ればなんともない人の波。おかしいな、と疑問に思いながら人の波に流されてゆく。何かを忘れているような、いや、何か私はこれを知っている、そんな感覚が頭脳を襲う。こんな体験は皆も一度ならず、それなりにあるはずだ。もう憶えてはいないが夢か何かで見たのか、それとも…。まあ、よくあることだと、この時は気にも止めなかった。きっといつもの感覚だろう。気にするなと。

数日が過ぎても記憶にかかるモヤモヤは消えない。むしろ今にも思い出せそうなのにいつまでも思い出せないもどかしさ。


「ねえ、ねえ…名前ちゃんったら!」

「え…あ、ああ」

「ああ…じゃないわよ!何時にも増してぼーっとしちゃって、どうしたの」


言葉に棘があるがユキちゃんが私を心配してくれているのは良くわかる。ううん、何にもないの、そうにっこり返せば眉間を寄せられたが彼女は無理にそれを引っ張り出そうとするような人ではない。


「あ、そういえば私に用だった…?」


それともぼーっとしてた私を心配して声をかけただけなのか。何か思い出したように、そうそう!とぱあっと明るい表情になる彼女を見てやはり別件があったと首を傾げる。


「若い先生を見つけたのよ!」

「え…」

「私たちが取っていない講義なんだけどね、先生というよりは臨時講師みたいな!」


きゃっきゃ騒ぐユキちゃんはまさに女子。それにはついていけずに相槌を打つのがやっとだ。


「トモミちゃんがその講義を受けてるのよ!だから名前ちゃん見に行きましょう」


何で私まで…!そう思いつつも手を引かれてしまってはどうしようもない。この後は何もないし、まあいいか、なんて。とことん私は人に流されるタイプらしい。走っている途中に転びそうになるも持ち直し、そして急に止まった。どん!とユキちゃんにぶつかってしまったのは不可抗力である。


「いっ…!」


ハプニングが起きて、きゃー!なんて可愛く言えるわけがない。いっ…たあ…と片手はユキちゃんに掴まれているため、空いている方の手で顔をおさえた。一体何事か、お目当ての先生でも居たのだろうか。おさえていた手を視界だけは良好にするように動かし彼女の目線の先を追った。


「あ…」


少し癖のついた髪と三白眼、すらっとした細身の男性。似てる…誰かに。私、この人を知っている。思わずじっと彼の顔を見ていた。だんだんと口角が上がるその様はやはり記憶に残っていて。


「……何か?」

「あ、えっと何もありません」


ユキちゃんはそう言って彼の通る道を開ける。私の手はユキちゃんに繋がれたままだから自然と私も廊下の端へと追いやられた。


「…クールねえ!」

「あら、ユキちゃんに名前ちゃん!」


彼の後ろ姿を見ていたのと反対側から呼ぶ声がし、そちらを向く。トモミちゃん!と彼女の名を呼んだ。トモミちゃんは私たちの目的を言わずとも知っているらしい表情で言う。


「さては利吉さんに会いに来たんでしょう」

「利吉、さん」

「あら?名前ちゃんってば早速、利吉さんにほの字?」


利吉さん、確かめるように俯いて記憶を呼び覚ます。そうだ、利吉さん。山田利吉さん。記憶のピースが当てはまったかのようにカチッと音がして衝動で動いた。彼が歩いて行った方へ走り出す。後ろから二人が私の名前を呼ぶ。それにも振り向かずに走った。どっちへ向かったんだろう、右左、それとも真っ直ぐ。きょろきょろ周りを見渡しようやく見つけた。


「利吉さん…!」


その後ろ姿に呼び掛けると彼は歩くのをやめた。ゆっくりと振り返り目を細める。


「名字が憶えていないのならそれはそれで良かったのだけど、思い出したようだね」


前世だの来世だの信じてなかったわけではなかった。いや、あれば私は幸せだなあと、そう思っていただけで真に信じてはいなかったのかもしれない。まだ記憶は全て戻った訳ではないが彼と過ごした最期は思い出した。憶えていたのだ。


「お前も思い出したからと律儀に追いかけて来なければ良かったものの…今世も私に付きまとわれる羽目になるぞ」

「それは、此方の台詞です」


彼はいつから知っていて、いつから私の存在に気付いていたのだろう。どちらにせよ、試すように私の近くにいたのだ。近頃感じていた違和感はきっと彼の気配だった。相変わらず人が悪い。


「ほう、今世は大人しそうに見えてそのように笑うんだな」

「利吉さんは昔と変わらず性格の悪さが滲み出てますよ」


瞬間にぴくりとこめかみが動いた気がした。眉間に皺も寄っている。このやり取りも彼の表情も何もかも、ああ、懐かしい。




巡り巡って今日和


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