ざくり、ざくりと何処か楽しげに。学園の生徒ならば程度の差はあるもののよく耳に馴染んでいるであろう、土を掘り返す音が響く。俺は不機嫌さを隠すこともないままに眉根を寄せて、こうしている間にも着々と深さを増していく穴の中を覗き込んだ。
「おい、何してる」
「あら富松先輩、ご機嫌よう」
 可愛らしく小首を傾げてみせた桃色は、俺の問いに答えることもせず、ちぃとも悪びれた様子を見せないで朗らかに笑んだ。まだ僅かにあどけなさの残るその顔には、無頓着にも土など付けて。俺に注意を向けたためか一瞬だけ動きの止められた白い腕は、気が付けば己のいるその穴の規模を拡大するために再びせっせこ勤しんでいた。迷惑極まりない。
 いけどん体育委員長、七松小平太。穴掘り小僧、綾部喜八郎。塹壕掘り、穴掘りの代名詞とも言える先輩二人が卒業した現在でも、用具委員会の仕事の一つ……すなわち掘り返された場所を埋めるという作業がなくなることは決してなかった。それは目の前で、柔らかい掌に肉刺をうんと拵えながらも一心に地面を掘り返しているくのたま、名字名前ただ一人のためにである。
「誰が埋めると思ってんだ、これは」
「さあ。私ではないのでそのへんは、あまり」
 けろりと彼女はそう言って、砂っぽくばさばさとしてしまった髪から土くれを払った。その姿は、俺より一つ上のかの先輩によく似ているようで。二代目穴掘り小僧――もとい、穴掘り娘などと彼女が揶揄されるのも無理らしからぬ話であると思う。実際、作法委員会に所属する彼女に穴掘りの指南をしたのは彼であったし、当然と言えば当然だろう。師匠、だなんてガラではないあの人が、わざわざ己の技を後輩に託していったその真意は知れないけれど。
「現用具委員長の前でよくもそんなことが言えたもんだな、こら」
「富松先輩、顔が怖いですよぅ」
 わざとらしく身を縮こまらせてみせた彼女を尚も睨みつけてやると、渋々といった体で緩慢に穴から這い出してくる。鮮やかなはずの桃色の装束は、近くで見てみると土やら埃やらで薄汚れてひどくくすんだ色に染まっていた。不満げに唇を尖らせて手鋤に凭れる彼女の頭を一つ、こつんと小突く。反省の色が見えない。だって反省してませんもの。不毛な遣り取りに俺は深く溜息を吐いた。
「……掘ったものは責任持って自分で埋めるように」
「善処しまぁす」
 一つだって中身の入っちゃいない、薄っぺらな言葉を吐きだした彼女に、肩を竦めて背を向ける。ねちねちと説教が続くとでも思っていたのだろうか。拍子抜けしたようにあら、と疑問を含んだ声が零れる。
「見付けちまったもんは仕方ねぇし、俺も手伝ってやる。道具取ってくるから、先に作業してろ」
「まあ、なんというか……損なお人ですねぇ、先輩も」
「性分だ、ほっとけ」
 自覚が無い訳では、無い。残念なことに。俺は鋤か何かでも借りてこようと用具倉庫へ足を進めた。ああ、こういうことが続くようならば、鋤の貸出手続きは簡易化しておいた方が便利かもしれないと次回の委員会活動の時間にやっておくべきことを考えながら。
 道具を片手に先程の場所へと戻ってみると、彼女は穴を拡張するという常の作業こそしていなかったもののそれを埋め立てることもなく相変わらずぼんやりと手鋤に凭れていた。否、それ自体は想定内だ。むしろ、未だこの場所に留まっていおただけだいぶマシな部類に入ると言わねばなるまい。この手の人種は、そういうものである。ざくりざくりと俺が穴を埋め立てにかかるのを残念そうにするでもなく眺めていた彼女に、俺は僅かに刺を含んだ声音を投げた。
「お前のやったことだろ。お前が埋めなくてどうするんだよ」
 やはりその問いには答えないばかりか、彼女はふわふわと、どこか定まらない調子で逆に俺の方に別の問いを投げた。
「先輩は、ひとがどうして穴を埋めるんだかご存じですか」
「あ?そんなの……危ないから、に決まってんだろ」
 誰かが落ちると危ないから。……主に、保健委員が落ちると危ないから。行動原理など、それで十分に思えたのだが、彼女はゆるりと首を振った。
「それじゃ、落とし穴なら兎も角、蓋をしていない、明らかな穴……つまり、蛸壷なんかの部類は埋めなくて良いことになってしまいますよ」
 つまり、その作業もムダそのものです、と堂々と宣ってみせる。
「ひとはね、穴を見ると、無意識に埋めたくなるんですよ。それが例え、どんな穴であっても」
「どうして」
「みんな、常に何かを埋めたがってるんですもの。要らないもの、余計なもの全部。愚痴だとか、文句だとか、三禁だとか。普段は心の中に穴を掘って、みんなそこに埋めてるんです。だから、穴を見ると自分の中の要らないものを土と一緒にまるまる埋めてしまいたくなるんですよ」
 綺麗に馴らされた地面見て、ようやくああ埋まってしまったんだなって安心出来るの。どうです、おかしいでしょう。ちっともおかしくなさそうに、彼女は淡々とそう言った。
「じゃあ、どうしてお前は、穴を掘るんだ」
「埋められてしまったものを、掘り起こす作業って楽しいじゃないですか。わくわくします」
 わたしはそこが知りたい。見たい。手鋤の先端を何とはなしに眺めながら、どこか笑いを滲ませた声で。
「だから私、埋める作業には興味無いんです」
 それだけ言い残して、桃色の背中はゆっくりと遠ざかっていった。不思議と呼びとめる気も起こらなかった俺は、少しだけ考えると穴を埋め立てる作業を再開した。胸の奥に微かに灯った淡い恋情を、土と一緒に綺麗に埋めてしまうことにして。いつか彼女がこれを掘り起こしてくれたなら、その時には、きっと。

ロマンスは冷たい土に沈めた


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