「…これも命令だよ」(Q)

 僕は学生時代からの友人で最近はれて恋人同士になったカヲル君の会社で、彼の秘書として働いている。
「おはようございます。渚社長、今日は10時から役員会議が入っています。」
 朝、出社してきたカヲル君をエントランスで出迎えて一日のスケジュールを伝えることから僕の一日が始まる。
 渚カヲル君は僕が手渡したスケジュール表と役員会議用の資料にざっと目を通すと少し表情を曇らせた。
「月一の新作検討会議だね。これが資料か…」
「如何なさいましたか?」
 僕が尋ねるとカヲル君が困ったように微笑んだ。
「役員は年寄りばかりだろう?これだと字が小さくて読めないとかぶつぶつ言っていたのを思い出したんだ。拡大印刷してもらえないかい?」
 僕はこれでも一向に構わないんだけれどね、とカヲル君は笑う。僕は老眼まっしぐらの役員たちの顔を思い浮かべた。確かに彼等にこの資料は厳しいかもしれない。
「かしこまりました。そのように手配いたします。」
 手帳にメモをする僕をカヲル君が何か言いたげに見つめる。何か間違えたのかと思って僕が少し首を傾げるとカヲル君はその美しい顔に再び笑みを浮かべた。
「今日は夜にレセプションパーティーがあるんだったね。その時にネルフカンパニーの冬月社長にお渡しする羊羹を用意しておいてくれないかな?」
「羊羹は獅子屋のものでよろしいですか?」
 大の甘い物好きの冬月社長は確か獅子屋の羊羹が特にお気に入りだったはずだ。けれど得意先の社長の好みを間違えてはいけないのでカヲル君に再度確認する。
「うん、それで間違いないよ。あと佐藤園のお茶も用意しておいて。冬月社長は玉露が苦手だから深蒸し茶で頼むよ。」
「かしこまりました。」
 やはり甘い物には緑茶か、などと思いつつ手帳にメモを取っているとあっという間に社長室に到着した。
「その他に何か用意しておくことはありますか?」
 僕はカヲル君の着ていたコートを受け取りハンガーに掛け、更に尋ねる。しかしこれ以上は何もないらしくカヲル君は黙って首を横に振った。
「それでは資料と冬月社長へのお土産の手配をしてまいります。」
 そう言って僕はカヲル君に一礼し、社長室を出ようとする。ところが。
「ねえシンジ君、」
 カヲル君は部屋の扉に手を掛けた僕を呼び止めた。いつの間にかカヲル君が僕の後ろに立っている。
「シンジ君、此処では敬語を使わないで。」
 この間大学院を卒業し、おじいさんから引き継いだ会社をますます発展させているカヲル君はとても立派な社長だ。自分より年輩の役員たちとも上手に付き合い彼等の意見を尊重しながら新しい業態を創り上げ、業績は右肩上がりである。
 他の会社のやり手の社長たちにも物怖じせず意見をはっきり述べるが、嘘のない彼の清廉な性格ゆえに信頼は篤い。
 そんなできる男の代表格でイケメン社長の代名詞であるカヲル君は今、誰にも見せることのないふにゃりとした笑顔で困惑気味に僕のことを見つめている。
「シンジ君に敬語を使われると、何だか君が遠くに行ってしまったみたいで辛いんだ。」
「…ですが社長、」
 反論しかけた僕の口唇をカヲル君の口唇が塞いだ。絡み合う甘い舌。思わず僕は吐息を漏らした。
「前にも言っただろう?二人きりの時は敬語はやめて欲しいと。…これも命令だよ。」
 そう言って愛しい恋人に微笑まれては僕に抗う術はない。
「もう、カヲル君たら甘えん坊さん。」
 僕が笑うとカヲル君も可笑しくなったみたいでクスクスと笑う。白くて大きな手が僕の髪を優しく撫でた。
「僕、仕事に戻らなくちゃ。何かあったら声を掛けて?」
 すっかりカヲル君と離れ難くなってしまったけれど仕事をすっぽかすわけにはいかないので、僕は自らカヲル君から身体を離す。カヲル君が名残惜しそうに僕の額にキスをした。
「お昼、一緒に食べようね。」
 カヲル君の素晴らしい提案に頷くと僕は社長室を後にした。

‐おしまい‐



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素晴らしいお題で絶対に書きたい!と意気込んではみたものの、ネタが思い浮かばなくて四苦八苦した作品です。いや、いつもネタをどうするのか悶々とするのですがこのお話と「月が綺麗だね」は特に大変で七転八倒して何とか書き上げました。(笑)



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