触れない指先(Q)

 自分の少し先を歩くシンジの手が、誘うように揺れている。カヲルはその手を取りたくてそっと自分の手を伸ばした。しかしあと少しで指先がこつりとぶつかる、という所でカヲルの手は彷徨うように離れた。
「どうしたの?カヲル君。」
 シンジが無垢な微笑みでカヲルに振り返る。カヲルは繋ぎかけた手をパッと上げ、困ったように頬を掻いた。
「なんにも、ないよ。ああ…雨が降りそうだ。早く帰ろう、シンジ君。」
 カヲルは何事も無いような風でシンジの横を通り過ぎる。シンジはそんなカヲルの背中をじっと見つめた。

 夜中、カヲルはシンジのベッドサイドに立ち、シンジの寝顔を見つめる。カヲルとシンジは寮で同室なのだ。
 月明かりに照らされた愛らしい天使のようなシンジの寝顔。微かな寝息は安らかに響き、カヲルの耳をくすぐる。
 滑らかな頬に触れたくてカヲルは手を伸ばすが、もう一息のところで弱気が顔を出した。伸ばした手を引っ込めてカヲルは自分のベッドに戻り、眠れぬ夜を過ごす。

 触れたいのに、触れられない。気持ちを伝えたいのに、勇気が出ない。こんなにシンジの事が好きなのに、嫌われるのが怖くて曖昧に微笑んだまま春が過ぎ、夏が過ぎ、秋を越えて冬になった。季節がどんなに変わっても、カヲルの気弱さは変わらなかった。
 そんなある日。寮への帰り道のこと。
「ねえカヲル君。」
 少し先を歩いていたシンジが振り返った。その表情はいつになく真剣でカヲルは反射的に視線を逸らす。
「何かな、シンジ君…」
 シンジへの浅ましい思いを見透かされるのが怖くてカヲルは目を伏せた。そんなカヲルにシンジはため息をつく。
「いつになったら、カヲル君は僕に触れてくれるの?」
 頭の上からは空が零した白があとからあとから落ちてきて音を無くしていった。まるで世界にカヲルとシンジしかいないような静けさだ。
「気づいていないと思ってた?」
 降り積もる雪と同じくらい静かな声でシンジは問う。しんとした冷たさがカヲルの身を引き裂くようで、シンジへ自分勝手な思いを抱く自分を責めるような痛みだとカヲルは思った。
「何か言ってよ、カヲル君。」
 カヲルは何も答えなかった。いや、何も答えることができなかった。何と言えばいいのかが分からない。どんな言葉を繋げれば、シンジの気持ちと自分の気持ちとを丸く収めることができるのかが分からない。
 黙ったまま立ち尽くすカヲルにシンジは歯噛みし悔しそうに表情を曇らせると、突然カヲルの右手を掴んだ。
「痛いよ、シンジ君…」
 力ない声でカヲルが言うと、シンジはますますカヲルの手を強く掴む。
「僕はずっと待ってたんだ、カヲル君が僕に触ってくれるのを。でも君は、触れてはくれなかった…」
 シンジの双眸から涙が溢れ出した。寒さのせいではなく、口唇が震えている。
「僕はもう待たない。君の答えも、君の行動も。僕はもう、この手を放さないから。」
 触れたいのに触れられなかったシンジに腕を掴まれたまま、カヲルは真っ白になった頭で必死に考えた。シンジの言葉の意味を、『待たない』と言ったシンジが真実として何を求めているのかを、真剣に考えた。
 そして逸らし続けたシンジの瞳を真っ直ぐに見つめる。
「シンジ君ごめん。僕はシンジ君のことが好きだ。好きで好きで、嫌われるのが怖くなるほど好きなんだ…たくさん待たせてごめん。不安にさせてごめん。」
 こんなに『ごめん』を繰り返したのは生まれて初めてのことで、涙でぐしゃぐしゃになったのも生まれて初めてのことで、理性がまともに働かなくなったカヲルは止めるものがなくなった本能のままに震えるシンジを抱き締めた。
「遅いよ、カヲル君!」
 シンジの腕がカヲルの背中に回る。強く密着したシンジの身体から甘い匂いがした。
「ごめん、ごめんね。僕も放さないから。シンジ君のこと大切にするから!」
 海のように青いシンジの瞳から溢れる大粒の涙を止めてやりたくて、カヲルはシンジの口唇に自分の口唇を重ねる。

 誰かを守ることが愛というなら、シンジのために強くなりたい。カヲルはもう一度シンジを強く抱きしめてそう心に決めた。

‐おしまい‐



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弱気なカヲル君が書きたくて、こんなお話になりました。相手が自分のことをどう思っているのか分からないから不安で一歩が踏み出せない…そんなカヲル君の逡巡をもう少しきちんと書いてみたいです。



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