医者と患者でパロディー(貞)
「やだ、やだやだ。無理だよ先生!そんなおっきいの無理だって!」
渚は目の前に差し出された物を見て泣きそうな声を上げる。いつもヘラヘラして軽薄そうなのに、こんな表情もするんだと思ったらシンジはひどく可笑しくなってきて悪いとは思いつつ笑ってしまった。
「もう!絶対楽しんてるでしょ!シンジ先生ってばさてはSだよね?先生のドS!!」
「別に意地悪でしてるわけじゃないだろ?ほら、さっさと腕出して。」
初めてこのクリニックを受診した時から渚はシンジにタメ口をきく。そんな渚にはじめは苦手意識を持っていたシンジだったが、いつの間にか彼のペースに巻き込まれてしまっていて今ではシンジも渚にタメ口で話をする。
「い、痛くしないでよ?」
インフルエンザの予防接種のためにシンジのクリニックへとやってきた渚は、拗ねたように口唇を尖らせて腕を差しだした。
「はい、じゃあ刺すよ。」
シンジは手慣れた手付きでワクチンを打つ。ちらりと渚の様子を伺うとギュッと目を瞑って恐怖に耐える姿が見えた。
そんな渚を不覚にも抱き締めたいと思ってしまったシンジは慌てて煩悩を振り払い注射器を渚から抜いた。
「はい、終わり。…そんなに痛くなかっただろ?」
心の内を悟られないように、注射器を片付けるふりをしながらシンジは渚に背を向ける。と。
「先生、なんか、きぶんわるい…」
珍しくひ弱な声で渚が呟いた。シンジが振り返るとそこには真っ青な顔をした渚がへたり込んでいる。
「え、ちょっ…渚?」
アレルギーかと肝を冷やしたがそういうものではなく、どうやら注射に対する極度の緊張で貧血を起こしたようだ。
シンジは渚を取りあえず診察台に寝かせると、カルテを書いた。
本日最後の患者である渚の様子は自分が診るから、と受付の事務員や看護師には帰るように指示したのでクリニックの中はとても静かである。
「ごめんね、先生。迷惑かけたよね。」
漸く少し回復したらしい渚はゆっくりと身体を起こした。
「迷惑じゃないよ。そういう人よくいるんだ。渚に限ったことじゃない。…まだ本調子じゃないなら無理に起きなくていいよ。」
診察台の上で再び目眩を起こしている渚をもう一度寝かせてやると、渚がシンジの白衣の手をきゅっと掴んだ。
「…何?」
シンジの怪訝な声に臆することなく渚はシンジを掴む手に力を込める。
「何だよ渚。痛いって!」
「元気になったらもう会ってくれない?」
渚の縋るような眼差しがシンジを捉えて放さない。
「…何、言ってるんだよ?」
「僕、丈夫だから先生に会いたくても風邪ひとつ引かないし。ワクチン打っちゃったからもう次いつ来れるか分かんない。」
渚の言葉にシンジは何とも言えない気持ちになった。
健康であることは幸福なことであるはずだ。シンジは多くの人の健康と幸せな生活を守りたくて医師になった。
渚がここに来なくなることはとてもいいことのはずなのにシンジはそれがひどく悲しい。
「…こんなこと言うべきじゃなかったね。ごめん、帰る。迷惑かけて本当にごめんね、先生。」
渚はシンジの手を放すとのろのろと起き上がった。
「迷惑じゃないって言っただろ!来たかったらいつでも来いよ…カウンセリング、してやるから。」
シンジの言葉に、捨てられた子犬のような表情をしていた渚の瞳にみるみる光が戻っていく。
「ほんと?いいの?僕、毎日通っちゃうかもよ!」
「診療費払えるならいつ来たっていいよ。」
「えー!!そうなの!?」
はしゃぐ渚にピシリと言ってやると渚はまたしてもしょんぼりとした。素直に一喜一憂するその様子が微笑ましくてシンジはもっと渚に意地悪を言いたくなったが流石に我慢する。
「いちいち真に受けるなよ。これ…ほら。」
机の上にあったメモ用紙に携帯番号を書くと、シンジは渚に手渡した。
「気が向いたら、掛けてきていいから。診療費よりは安いだろ?」
「ホントに?ホントにいいの?」
信じられないとばかりに渚はメモとシンジの顔を交互に見つめる。
「いいよ。だから…元気でいろよ、渚。」
瞳を輝かせて喜ぶ渚の肩をシンジはぽんと叩いた。
‐おしまい‐
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渚は表情が目まぐるしく変わるところが魅力のような気がします。嬉しかったらはしゃぎ、悲しくなるとしょんぼりし、怒ったり、喚いたり…とても人間臭い人(使徒?)なのではないかと。そういう渚の魅力を書き表せていたら…いいな。
ちなみにインフルエンザワクチンの注射器ってそんなに大きくないですよね。(笑)
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