百物語

※ぬるいホラー?というか怪奇系?






毎年ゴールデンウィークに行われている、烏野高校男子バレー部の強化合宿。
合宿最終日に行われる対音駒戦に向けてのハードな練習をこなし続けて早三日。
昼間の疲れもどこへやら、今夜も部員達は寝る間際の短い自由時間を満喫するべく、あれやこれやと画策していた。
そんな中で持ち出された、合宿の夜を楽しむ為の提案。
――百物語である。
怪談話の苦手な部員達――主に日向と東峰なのだが――は青い顔で震えていたが、その様子を面白がった田中や西谷、菅原などは乗り気で、率先して準備を始めた。
手分けして合宿所の彼方此方からありったけの蝋燭を掻き集め、百本もの蝋燭を部屋に敷き詰めると、どこからか持ってきたマッチで火を点けていく。
全ての蝋燭に火を灯し電気を消せば、揺らめく炎だけが室内を照らす。
同じ空間である事は間違いなどないのに、まるでどこか別の世界にいるような感覚に陥った。
縁下が手帳の空きページに書いたあみだくじで、語り手の順番を決める。
幸か不幸か一番を引き当てた東峰の定番の怪談話を皮切りに、烏野バレー部の百物語が始まった。








物語






「じゃあ次、私で最後だね」


話し終えた澤村が蝋燭を吹き消すと、隣に座っていたみょうじが、残り一本となった蝋燭を引き寄せた。
みょうじの目の前に立てられた最後の蝋燭が唯一の光源となり、室内の殆どの空間が闇に呑まれている。
その仄かな灯りに映し出されたみょうじは、にんまりと妖しげに笑った。
普段は穏和で真面目だが、反面かなりの悪戯好きな我等がマネージャーは、こういった話が大の得意である。
これまでに彼女が披露した怪談はどれも鳥肌ものの恐怖話だったし、東峰に至ってはあまりの恐ろしさに失神しかけた。
そんな彼女が大取りということで、各々反応は違えど、みな息を殺すように黙って彼女に注目した。


「これは、とある女性が体験した、とても不思議な、少し不気味な出来事です」


そう切り出された、百話目の怪談話。
先程まで恐怖や愉悦の声を上げていた面々は、語り手であるマネージャーの声に黙って耳を傾けた。




「その女性……仮に、Aさんとしましょう。
Aさんが生まれたのは、都会でも田舎でもない、静かで平凡な町でした。
サラリーマンの父と、時々パートに出る主婦の母、ひとつ上の姉との四人家族。ごく普通の、ごく平凡な家庭で育ちました。
幼稚園、小学校、中学校、高校、大学…仲の良い友達や尊敬する先生、気になる男の子もいたり。平凡な幸せに囲まれて、平凡に暮らしていました。

そんな平凡なAさんが平凡でなくなったのは、二十代の頃でした。
Aさんは、いつものように仕事からの帰り道を歩いていました。
家路を急ぎ住宅街を歩くAさんがふと気付いたのは、後方から聞こえる、自分のものではない足音。
いつもより少しだけ遅かったもののまだ一般的な帰宅時間だった事もあり、その時は気にも留めませんでした。
けれど、暫く経っても、足音はずっと後ろを付いて回っていて、しかも少しずつ近付いてきているようでした。
Aさんは怖くなって、歩く足を速めました。それは段々と早歩きになり、いつの間にか走り出していました。
無我夢中で走っていると、自宅のマンションが見えてきました。
ここまで来ればもう大丈夫だろう。Aさんは安堵して、マンションに向かって走りました。
マンションのエントランスに駆け込んで、上がった息を整えようと壁に手をついて休んでいました。
けれど、それが油断でした。

ブスリ。

鈍い音と、背中に感じた熱い痛み。
刺されたのだと気付いた時には、もう体は崩れ落ちていました。
穴の空いた背中から噴き出すような出血により、急速に意識が遠くなっていきます。
霞んでいく視界の中に見えたのは、赤く濡れた刃物を持った、昔の恋人の姿でした。
何故、何年も前に別れたはずの彼がいるのか。何故、彼はAさんを刺したのか。その真実さえ分からないまま、Aさんは息絶えてしまいました。

次にAさんが目覚めたのは、白い光の中でした。
ここが天国か、と思ったのも束の間、光の中に見えたのは、手術着のようなものを着た複数の人々。
驚いたAさんが悲鳴を上げると、それはまるで赤子の泣き声のようでした。
おめでとう、無事に産まれましたよ。元気な女の子ですよ。
聞こえてきた言葉に、Aさんは更に面食らいました。
どうやら、Aさんは新しい生命として、生まれ変わったようでした。
到底信じ難い、まるで夢のような出来事です。
けれど、それは夢でも何でもなく、Aさんにとっての現実でした。
生まれ変わったAさんは、以前と同じように、平凡な家庭で暮らしました。サラリーマンの父とパートで働く母、年の離れた兄に愛され、平凡に育ちました。
しかし、Aさんは平凡ではありませんでした。前世の記憶、というものを持っていたからです。
兄ではなく姉を含めた四人家族だったこと。地元の国立大学を出たこと。
母校の高校で事務員として働いていたこと。
そして、元恋人の男に殺されたこと。
全てを鮮明に覚えていたAさんは、とても平凡とはいえない人間となりました。

それでも、Aさんは新しい命を大事にして育ちました。
幼稚園、小学校、中学校。友達も出来たし、尊敬する先生もいました。
そして、高校生になると、友人に誘われて部活をすることになりました。
前世でも経験のなかった運動部のマネージャー。大変だったけれど、それはとても楽しい時間でした。
部員達とも打ち解け部活にも慣れて、Aさんの長い記憶の中でも、それは特別な思い出になるだろうと思いました。

そんな高校生活を過ごして、一年が経った頃。
Aさんは、妙な夢を見るようになりました。
今過ごしている世界から、自分が消えてしまう夢でした。
初めは時々でしたが、次第に、頻繁に同じ夢を見るようになりました。
一ヶ月に一度、十日に一度、五日に一度、三日に一度。
そして初めてその夢を見てから一年が経つ頃には、毎晩、同じ夢を見ていました。
そして、気付いたのです。
私は、この世界にいるべきではないのだと。
あのとき死んでいたはずの私は、本来ならここで生きているべきではないのだと、私は気付いてしまったのです。
そして、与えられた新しい命に、リミットが迫っていることにも。
私は怖くなりました。
また命を失ってしまうことが、怖くて怖くて堪まりません。
新しい家族、友達、恩師、そして、バレー部の仲間を失ってしまうことが、怖くて怖くて、悲しくて堪まりませんでした。
毎日見る、"自らの最期"の夢。
迫り来る終末の期限に、いつ消えてしまうか分からない命に、私は毎日怯えていました。

だから、私は、決めたのです。
いつ終わるか分からない命ならば、せめて自分で幕を下ろそうと。
この数奇な人生に、自らの手で終止符を打つことを、心に決めたのでした」




みょうじが、最後の蝋燭を手に取る。
それをゆったりと胸元まで持ち上げる所作を、周りの者はみな、ただ黙ってじっと見ていた。
みょうじはそんな部員達の顔を見渡して、にこりと笑う。
上手く口角が上がらない、まるで何かを堪えているような笑顔だった。




「この蝋燭が消えた瞬間、Aさんの物語は、ようやく終幕を迎えるのです」




それでは、皆さん、さようなら。


みょうじが、百本目の蝋燭を、ふう、と吹き消した。
一瞬で暗闇に飲み込まれた部屋は、しんと静まり返って。
窓も開いていない夏の夜だというのに、とんでもなくひやりとした凍るような風が肌を撫でた。





「……なまえ?」


誰かが呼んだ名前に、答える声はない。
暫くの間、静寂が支配していた空間に、かちり、時計の針がやけに大きな音を刻む。
その音で真っ先に我に返った月島は慌てて腰を上げ、部屋の中央にぶら下がっているはずの電気紐を手探りに引っ張った。


ぱちん、


蛍光灯に照らされた室内を、誰もが見渡す。
そこには部員達が円を描いて座っていて、円の中には火の消えた大量の蝋燭が立てられていた。
部屋の壁に掛けられた秒針のない時計は、丁度十二時を差している。
部屋の中の様子は、明かりを消す前、百物語を始める前と同じだった。




ただひとつ、彼女が居ないことを除いて。










その後、彼らの他にみょうじなまえという人間を覚えている者は居なくなった。
彼らの顧問、コーチ、クラスメイト、幼い頃から一緒に居た筈の清水潔子でさえも、彼女を知らないと言った。
烏野高校に、男子バレー部に、この世界に……確かに、みょうじなまえが存在していたということ。
あの日、彼女が消えた場にいた彼らしか、その事実を覚えていなかった。

後になって菅原が思い出したのだが、みょうじが消えた日の翌日――いや、丁度日が変わっていたから、当日だろうか――は、彼女の十八歳の誕生日だったらしい。

みょうじなまえが語った、最後の怪談。
あの話が真実だったとするならば。
彼女はきっと、十八年間の新たな人生に、自ら幕を下ろしたのだ。






彼女はもう二度と、彼らの前に姿を表すことはなかった。