あめふりロマンス

美大生











「もー!最悪!」



一人ぼやきながら、既にシャッターのしまっている洋菓子店の軒下に駆け込む。
見上げると、星の一つも覗かない曇った夜空から、大量の雨が容赦無く降り付けていた。
よりによって学校帰りに急に降ってくるとか有り得ない…しかもこの辺、傘買えるお店もないし。
天気予報じゃ、雨が降るだなんて一言も言ってなかったのに!
びしょ濡れになってしまったスカートをはしたなく絞ると、思ったよりも大量の水がだばだばと溢れた。









「あら、ナマエ?」
「ん?…あ、ギャリー」



不意に名前を呼ばれて顔を上げると、雨の中濡れたギャリーが此方へ駆けてきた。
私の居る軒下へ入り込んだ彼も、急な土砂降りの被害者なのだろう。
開いたコートから覗くシャツにまで水が染み込み、紫色の綺麗な髪は濡れそぼって白い肌に張り付いていた。
それがなんだか色っぽくて、どきりとしてしまう。




「ギャリーも今帰り?」
「ええ。コンクールが近いから、つい張り切っちゃってね。ナマエこそ、今日は遅いじゃない?」
「うん、ちょっと資料室で調べ物してたから」



同じようにいつもより遅くなって、同じように急な雨に降られて、雨宿りでばったり。
運命かも、なんて柄にもない事を考えながら、滴を払う彼にハンカチを差し出す。
ありがとう、と髪を拭くギャリーの横顔にこっそり見とれていた。



「それにしても、いきなり降ってきたわねえ」
「ねー。まさかこんなに降るなんて思わなかったよ…」
「アンタもアタシも、ほんとタイミング悪いわね」





自嘲し合いながら、たわいのない雑談で時が過ぎるのを待つ。
しかし、いくら時間が経とうとも、叩き付けるような雨は一向に収まる気配がなかった。






「っくしゅ、」


濡れた空気と服で体の芯が冷えて、くしゃみが出てしまう。
背中を走り抜けた寒気に、ぶるりと肩を震わせた。
うう、流石にこの季節に降られるときついなあ……




「まずいわね、あんまり長く居ると風邪引いちゃうわ」
「だ、大丈夫だよ、これく、ら…っくしゅん!」
「大丈夫じゃないでしょ…ううん、仕方ないわね」



ひとつ溜め息を吐いたギャリーは、ばさりとコートを脱いで私の背中に頭から引っ掛けた。





「濡れてるけど、無いよりはマシでしょ」
「な、何してんの!ギャリーの方が風邪引いちゃうよ!」
「いいから被ってなさい。それより、アンタ走れる?」
「へ?」
「アタシん家、此処から二十分くらいなのよ。ちょっと遠いけど、走れる?」
「…えっと……それ、って…」





つまり、ギャリーの家に行くって事、ですか…?










「うちでシャワーとタオル貸したげるから、家まで頑張って走ってね」
「っや、い、いいよ!悪いし!」
「悪いってアンタねえ、この寒いのに濡れたまま一人で帰す方が罪悪感だわ」
「う…で、でも…」



確かギャリーは一人暮らしだって言ってた気がする。
なのに、私みたいな彼女でもない女が家に上がって、ましてやシャワー借りるなんて…いくら私がギャリーを好きでも、出来る訳無い。
っていうか、好きだから逆に無理!





「そ、それでも…付き合ってもない女の子を一人暮らしの家に上げるなんて、しちゃ駄目だよ…」


そう言えば、ギャリーは目をぱちぱちとさせてから思案するように口元を覆う。
数秒の沈黙の後、目を伏せてはあ、と一つ息を漏らした。
あ、諦めてくれた…?






「じゃあ、付き合ってればいいの?」
「へ…?」



思わぬ言葉に、一瞬呆けてギャリーを見上げる。
大きな手を退かした彼の顔は、目に見えて赤く染まっていた。
その反応に驚く私の手を取って、ギャリーは言葉を続ける。






「アタシ、ナマエの事、ずっと好きだったの」




だから、アタシと付き合って下さい。


発された其れに、喉が詰まった。
先程よりも長い沈黙が流れる中、理解し切れなかった私は間抜けに口を開けたままギャリーを見詰める。
同じように私を見るギャリーの瞳が僅かに揺れたのを見て、やっと思考を再開した。




「……え、と。い、今の、ほんと、に…?」
「ホントよ」
「嘘じゃ、ない…?」
「こんな嘘吐いてどうするのよ…」



私の手を握り締めたまま、もう片方の手で再度口元を押さえる。
先程よりも赤い頬を見れば、それが嘘なんかじゃない事は容易に判断出来た。







「……で。どうなの?」
「え…どう、って、」
「アタシは、本気でナマエが好きなの。出来れば…答えが、欲しいんだけど」




今まで知らなかった真剣な瞳が、私を真っ直ぐに貫く。

ほんき、で…すき。好き。好き?ギャリーが、私を?本当に?

のろのろと反芻しながら、頭の中で自問する。
其れが真実だと意識した時、動揺と驚愕で曖昧にしか回っていなかった頭がやっと前に進み出した。





どう、なんて。答えなんて。
そんなの、ずっと前から決まっている。











「……私も、ギャリーが好き…」



掠れた言葉は確かに彼の耳に届いたようで、今度はギャリーが目を丸くして呆ける番だった。
きっと私の顔も、ギャリーと同じくらい、若しくはそれ以上に真っ赤に火照っているだろう。
けれど、恥ずかしがっている暇はない、彼に答えなければと、私は震える唇を動かした。



「えっと、だから…こちらこそ、よろしくお願いします」
「ナマエ…!」



安心したように、ぱあっと笑顔を見せるギャリー。
嬉しそうに私の名を呟いたかと思うと、ぎゅうっと思い切り抱き着いてきた。




「ひゃっ!?」
「ありがとう、嬉しい!」
「ぎ、ギャリー…っ」


ちょっと、は、恥ずかしいって…!
抵抗すると、だって嬉しいんだもの!と、キラキラした笑顔で見詰められてしまって何も言えなくなる。
……私だって、嬉しいよ。
ギャリーと両思いだなんて、考えてもみなかったもの。
そう言うと、ギャリーはアタシもよ、とくすくす笑った。




「アタシも、まさか本当にナマエと両思いになれるなんて……夢みたいだわ!」
「お、大袈裟だよ、ギャリー」
「あら、そんな事ないわ、だってそれくらい嬉しいんだもの!」




今にも飛び跳ねそうなくらい喜んでいるギャリー。
私の方が信じられない程なのに、ギャリーがこんなに喜ぶなんて、思ってもみなかった。
ギャリーの笑顔に、私もすごく嬉しくなる。
そっと背中に手を回して抱き返してみると、ぶるりとギャリーの肩が震えた。





「っくしゅん!」
「だ、大丈夫?」
「ええ、ごめんなさい…ムードも何もあったもんじゃないわね」



口元を押さえて、ギャリーが苦笑する。
抱き締めたままの体は、コートを脱いだせいもあってひどく冷たくなっていた。
このままじゃ、ギャリーの方が風邪引いちゃうよ……コートを返そうと手をかけると、そっと手を引かれ、握られた。



「それはナマエが着てなさい」
「でも、ギャリーが…」
「いいから。どうせすぐ帰るんだし」
「え?」
「彼女だったら、家に上げてもいいんでしょ?」
「あ…え、と」
「ね?」
「……は、はい…!」




それじゃあ、風邪引く前に、帰りましょ。
そう微笑むギャリーの大きな手に引かれながら、私は雨の中へ駆け出した。














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