今はまだ、このままで
「ねえギャリー、ちょっといい?」
「なあに?」
振り向いて声を掛けると、ギャリーは筆を置いて此方へ来てくれた。
まだ高い陽が射し込む夏休みの美術室には、私達二人だけ。
ギャリーの靴の音と蝉の声だけが響く。
「どうしたの?」
「あの、ここなんだけど、花弁がどうしても上手く描けなくて…」
「ああ、この薔薇ね」
後ろから覗き込んで、ここはね、と丁寧に教えてくれるギャリー。
私は、この瞬間が好き。
大好きな絵と、大好きなギャリーが、同時に一番近くなる瞬間。
ギャリーの指が私の絵をなぞり、ギャリーの声が耳元で聞こえる。
女性口調の中低音が、鼓膜に直接響いて、その度に漏れる吐息が耳を擽る。
視界の端に盗み見る整った横顔、白い肌に長い睫毛、言葉を紡ぐ唇。
彼のすべてを、私の五感はフル稼働で感じとっている。
「…ちょっとなまえ、聞いてるの?」
「あ、うん、ごめん」
「全く…ほんと、なまえってのんびりしてるっていうか、ぼーっとしてるっていうか…」
「えへ、ごめんってば」
ふいに落とされた声に顔をあげる。
呆れたようなその声色も、言葉とは裏腹に優しく笑う表情も、私の頭を撫でる大きな手も。
すべて愛しい。
「あんまりぼけっとしてると、彼氏も出来ないわよ」
「いいもん、別に」
私がそんな風に思ってること、ギャリーはきっと、気付いてないんだろうけど。
「今は、此処でこうしてる時間が一番好きなんだもん」
「…ふふっ、なまえらしいわね」
アタシもよ、と微笑むギャリーに、何でもないふうに微笑み返した。
今はまだ、このままで
(もう少しだけ、切ない片想いを楽しみたいの)