9:猫の記憶-後編-

何故だか忘れない。
忘れられない。







微かに身体が生臭かった。
憂さの為の遊びも無駄で、あの部屋の扉を開け放つ。
物の配置、空気、纏う気配。シーツの皺までいつも変わらない。
ある種は延々と完璧だ。

アジトには監禁用の部屋が並ぶ一帯がある。
使用していた部屋が空室になれば、いつか次の人間を入れるだけで、部屋は誰の所有でもない。
もっと言えば、中に入れられる人間は一瞬だってそんな気にならず過ごすのが普通だ。

ケージで飼う動物と一緒で、奴等には常に立場ってものを分からせてやらなくちゃいけない。
あそこは人間にとって、生かされているだけの牢獄だからだ。



…それに引き換え。

一連の部屋とは離れた場所にある、忽然とした特異な小空間。
これはどう見たって人間の個人部屋だ。
だから自宅の庭に知らない奴の博物館があるみたいに気分が悪い。

一歩踏み入れると、前に入った時に投げた瓶が今も床へ落ちたままだった。
花は萎れ、よく燃えそうな茎の先で醜く干乾びている。


この部屋のせいかもしれない。

この部屋が、不在の住処ぶっていつまでも残っているから。
使われない家具や持ち物が、黙って「待っている」から。


「……」

気に入らない。

一度こちらの手に落ちた人間が、外の世界でのうのうと生きているなんて。


…だけど、そんなのは。
外で泳がせてる奴なんて他に幾らでも…。

決めつけようとした先から思考のカードがひっくり返る。
どうにも日常レベルでの自分の考えがしっくりこなくて。
ほど良い妥当性を感じなくて、それが落ち着かない。






"エンヴィー。"










ああ、まただ。
また思い出している。

押し込めようにも霧散させようにも、日に日に酷くなる記憶。

名前を呼ぶ声が忘れられない。
おチビさんと話す姿が忘れられない。
何気なく見下ろしていた筈の顔が忘れられない。

感情を害して仕方ないんだ。

不思議なくらいにこびりつく。
どうって事のない日の記憶に、あの人間の存在が纏わりつく。
何度も繰り返して、鬱陶しくて。



一体あいつが、何だって言うんだ。



腕に力を込める。
負荷の掛かった扉の一部が破損し、欠片が下へ落ちる。

開けたばかりの粗末なドアを力任せに閉めると、
鈍い音と高い音とを立てて板が歪んだ。

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